奇跡の贈り物を授かった元プロ投手 -2ページ目

NPBバッテリー力の著しい進化と新たなビジネスモデル(裏リーグ的な)

今季のプロ野球では規定打席に達した選手で3割に乗せた

日本人選手はセパでホークス近藤選手だけ。

 

この現象は、振り返ってみていつ以来なのでしょうか。

 

オールスター後に、少しだけボールが飛ぶようになってきた感じはありますが

バッテリー力、投手力の向上、に

打者がついていけてはいない事がわかります。

 

打者の技術やパワーも明らかに進化はしているのですが

バッテリー力はそれ以上。

 

異質の発想で 「裏リーグ」なるものを提唱したのですが

(基本は主にNPB所属選手により、NPB球団の裏球団発足からのスタート(選手登録などの規制はあえて緩めに)

NPB所属選手は各球団からの年俸が基本で人件費の負担を減らしながら

地方開催や集客型だけではない新たなビジネスモデルにチャレンジしていくもの)

 

球団数のいきなりの増加は、現実的課題を考えると、乗り越えなければならないものが

多く、簡単ではない

 

しかし、若手投手陣を中心に、二軍戦や三軍戦のステージも大事ですが

より、一軍に近く、真剣勝負の度合いが高い環境を作り

 

そこで、経験値を高めて

(一軍の戦力になり得るにもかかわらず、枠からもれてしまう選手を中心 有望若手、ベテラン、中堅、+登録外外国人選手など)

 

ポスティングシステムでのメジャー移籍選手が増えるようにもできないものか

(以前はそう考えませんでしたが、球団経営の一つとして新たな角度で)

 

地方での開催を増やし、NPBの運営の妨げには決してならない形

共存共栄

 

(最初は4球団くらいから、11月からのウインターリーグ含め、NPB公式戦等の開催日時に

かぶらない事を基本としながらも可能か

 

前期、後期、ウインターリーグと40試合前後から30試合程度で

ウインターリーグなどは国内に限らない形もありでは?)

 

このようなざっくりとした案ではありますが、たとえばホークスのように

4軍制を敷いて、今後、戦力は更に充実していくとなった場合に

活躍できるはずの選手が溢れてくる事すらも考えられますので

 

活躍の場と、プロ野球としてのビジネスモデルが合致していくものを

作り、やがては、裏リーグの球団増の中から

 

表、NPBへの球団増へ移行する球団が誕生していくのもありではないかと。

 

またまた

おかしな事を言っている

 

と捉えられるかもしれませんが

 

けっこう本気で考えている私です。

 

 

 

 

 

 

「不要」感と向き合い

人生をかけて目指したプロ野球の世界から

21歳の時点で

 

「不要」

 

とされ、最も大事な世界、最も強い思いを継続して向けていたものから

終わりを告げられました。

 

人生を一度終えた感覚。

 

廃人のようになった1か月少々の時間を経て、何かをやらねばならない

また、打者でのプロ復帰や、故障の原因解明などを含め

引き続き野球への追究もスタートする事に。

 

プロ野球という人生を懸けた目標以外のものへは

整理して進む事は簡単ではない

 

というのか、今でもそうなのでしょう。

 

その後、あらゆる手探り、模索を続けに続けた人生。

 

その間にも

 

「不要」

 

とされる事は、多々ありましたが

 

最近の「不要」感は、今までとは全く違います。

 

転換チャレンジでも、エリアから「不要」とされ

二度と同じ形で転換チャレンジする事はないと思いますが、それはそれで

ある意味、潔く方向転換をしていかねばならない

 

激痛と不自由という、これでもう二度とスムーズに動けなくなると

覚悟する試練は、ある意味

 

自らの力では、道を開くためのアクションは極めて限定的となってしまう

初めての経験。

 

野球での致命的な故障以来、それ以上の覚悟かもしれない感覚に。

 

しかし、その時期を経て、一定程度スムーズに動ける部分が増え

日常生活は問題少なく過ごせ、仕事でも動けるようになる

 

そして、新たな仕事の機会を得て、これ以上できないというほどに

種まきに猛進。

 

しかし、なぜかはわかりませんが

全く動かなくなり、今まで経験のない

 

手も足も出ない

 

という感覚に。

 

この仕事では「不要」なのか

 

仕事に限らず

コミュニケーション上でのアプローチに全く反応のない

ところばかりで

 

本当に、全てに手も足も出ない

 

私の役割はもうないのではという

「不要」感に満ちています。

 

しかし

 

本当に全てで「不要」ではないはずである

という思いも当然奥底にはあり

 

動ける状態を与えていただいているわけですから

 

全く新たなステージ

 

新たな「必要」となる機会へ

移行すべきなのであろう

 

そして、小さくなりすぎていた感覚を解放し

 

自分に与えられている「異質」「特異」という個性を理解しながら

また、その感覚で

 

残り時間を進む事へのシフト

 

という形で

 

「不要」との向き合い方を整理してみているところです。

 

手も足も出ない、全く反応がない

 

となると、「今まで」感覚を

単純に「忍耐」で継続するだけではなく

 

「転換」を図る

 

事で、「不要」感の意味自体を「転換」していく「必要」があるの

かもしれません。

 

こう考えている事自体がガチガチなのでしょうが

 

コチラへ寄り過ぎていた部分を「転換」してみる事にしてみようか

と考え中です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

終わりと次を見る事と

野球の世界でもそうですが

仕事その他

全てにおいて

 

私の役割は終わり

 

不要

 

に、近づいている感じが強い最近。

 

居場所がない感覚。

 

ならば

 

全く新たな事

へ進むか

 

終わりに近づいているため

全てが清算できるようになる事が

望ましいため、そちらに向かって

あらゆる事は全て止まるのか

 

それはまだわかりませんが

 

どちらの可能性も頭に入れ

 

望まぬ方が良いならば

それはそれ

 

それでも望む自分で良ければ

望み、可能性の枠を広げ続けましょう。

 

また、生きよう

次を目指そうと

し過ぎているのならば

 

目を閉じて、終わりを受け入れる

準備に入り

 

それはそれで良い

完全に止まっているけれども

それでもそれは次のためだ

 

という事ならば

 

まだまだ次を見て

進もうとする事にしましょう。

 

終わりの覚悟から

また少し距離が出始めた感覚に

 

引き戻しがかかっているのか

 

そういう意味のバランスが

崩れているのかもしれません。

 

ただただ感謝と

 

もう一度

終わりを思いきり近づけて

 

もっと大胆に次を見る事すら

考えてみましょう。