SNS依存だった | プレッシャー世代の心づもり

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私は、働き方改革の第一線で生きています。

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ワークライフバランスの向上、ハラスメント、いじめ、体罰、不公平、過労死が無い社会へ。

私がFacebookを始めたきっかけは、好きだった人がやっていたから。


Facebookの人気も落ち着いた頃で、「なんで今更Facebookなんて登録してんだろう」って思ったけど、その好きな人の投稿を見たいがために始めた。

そして一番最初に友達申請を送ったのは、その好きだった人。



中を見てみたら結構な知り合い・同級生が見つかって、友達申請を送ってみた。


でも、対して親しくないヤツには申請送らないでこっそりチェックしていた。

何故かそーいう人達って全公開になってるから、結婚して子どもが生まれたとか、就職したとか、旅行行ったとか、子どもの顔とか、、、丸見え。鍵かけとけよって。


そして未だに学生時代の仲間でいつも集まって遊んでんんだなって、哀れになった。



分かったのは、mixiを登録していた人がFacebookもしているという事。

「Facebookしてる人ってmixiにいる人と同じじゃん」って、みんなSNS依存体質なんだね。




私もだ、、、。


私がFacebookに投稿した内容は、旅行行ったとか、何買ったとか、映画見たとか、友達と遊んだとか、趣味の事とか、、、もちろん鍵かけてグループ分けもして、公開範囲を細かく分けていた。

あとは、お気に入りのページに”いいね!”して情報を得る事、著名人と友達になって情報を得る事をしていた。



その好きだった人に向けては、女子力アピールするような記事を見せつけた。

ネイルしたとか、有名な美容室行ってパーマかけたとか、可愛いワンピースを買ったとか、お洒落カフェでランチしたとか、、、。

若かったんだな~アホだな。


その好きだった人は、私とFacebookで友達になった事が切っ掛けになったようで滞っていた更新を再開するようになった。

そしたら使い方とか、投稿の内容とか、共通の友人の事とか、、、話題が増えて楽しくなった。

その人の誕生日には「お誕生日おめでとうございます」って投稿して、一緒に写っている写真にタグ付けして、、、一生懸命だった。



そしたら常にFacebookありきの生活になってしまった。

次は何を投稿しようか、何をしたら”いいね!”を貰えるか、あの人が食いつくような話題は何か、、、って常に考えていた。1時間に1回はFacebookをチェックしていたかも。

狂っていた。


それに、友達の投稿した記事を一々気にして・深読みして、友達ではない知人の投稿も気になるようになっていた。

友達の友達になっている人や、”いいね!”しているページまでチェックして、ネットストーカーをしていた。

仕事で出会った人や知り合った人の名前を直ぐに検索してしまう、悪い癖も付いてしまった。

成功している人、リア充、結婚報告、、、見ると自分が劣等感に苛まれウツになった。

特に適齢期になると、毎週毎月誰かしらのキラキラ投稿が入ってくるようになって苦痛だった。


それに以前記した事件や、好きだった人への感情も無くなった事、Facebookの個人情報がビッグデータとして利用されているという事を知り、鬼女が怖くなり、嫌気がさして止めるに至った。

止める気っ切っ掛けがあって良かった。私にはSNSは合っていなかったのだ。

特に、Facebookの実名制というのがデメリットだった。


今までFacebookは大事な情報源で、流行やニュースや近況報告、全てを得ていた。

だから止めるまでに時間が掛かった。

止めたら自分が好きだったページが見れなくなる事を危惧していた。

しかし止めたらとても気が楽になった。

自分は自分、人の目が気にならなくなり、欲しい情報は違う場所でも得られるし、本当の友達とは会って話せばいいし、雑念が消えた。

嫌いな人やあまり仲良くない人・長い間会っていない人の情報なんて全く要らない情報だったのだ。



私がFacebookをしていた約3年で学んだことがある。

SNSの悪い面、人それぞれ使い方や感じ方に差があると言う事。

私はITの知識を学んでいてるので、IT弱者と言われる人のSNSの使い方・感じ方とのギャップに苦しんだ。私は2次元の世界だと思っていたのに、ちょっと年上の方には理解されなかったようで。