この暖冬で、
今年は既に札幌で滿開 
のよーどす。

そやけど九州から關東では、
開花に必要な眞冬の冷込、
所謂『休眠打破』が弱ぁて、
東京で四月開花は7年振との事。

昭和の頃は普通やったけど 
この近年には珍しい 
“櫻花の下の入學式”、
が實現したよーで。

そ云や 
十年前『昭和の日』 
の半月ちょい前の 建禮門
京の御所で見ました 
滿開の染井吉野や枝垂櫻、
あの年も暖冬やったんどすやろか。
 

櫻の時季になりますと 
毎年思ひ出しますのんは、

“俳聖” とも稱せらるる 
『松尾芭蕉 翁』 
(正保元年 (寛永廿一年、1644 Gre) 伊賀上野 ― 
 元祿七年 十月十二日 (1694.11.28) 大坂)、

  伊賀の國の生れだけに、
  實は徳川幕府の『公儀隱密』 
  やったんやないか、
  なる説が頻りに云はれますなぁ、

許多の名句を詠まはりましたけど、

『樣々の 事思出す 櫻哉』 

さまざまのこと おもひだす さくらかな 

の句が一番好きどす。

詞書や前書も無く、
解説も註釋も 現代語譯すら要らず、
掛詞など何等の技巧も凝らさずして、
  とシロート眼には見えますけど ^^、

讀んだ人、聽いた人、
それぞれの記憶にある何年前、何十年前の 
花咲く樣が瞼に浮ぶ、

そして、
此の先の生涯、
果して幾度櫻を眼にする事が 
出來るんやろか、

等々の想ひが去來する 
素晴しき一句やと思ひます。
 

あ、
“何等の技巧も” て書きましたけど、

“樣々な事” と “樣々の事” 
を較べますと、

“な” やと “樣々” を 
單に竝べて思ひ出してる 
よ~な氣ぃするんに對して、

“の” やと 一つ一つの情景、
その時の自らの心、
が有々と浮ぶんやないか、

直感で “の” にしたんか 
或いは推敲を重ねた末なんか、
は知る由もありまへんけど、
やっぱその邊りが『俳聖』たる所以 
なんどすやろなぁ☆^o^v。