リンクからですが、元記事を失禁、あ、失念しました。
医者も学者も政治家もデー婦ステイともよく聞け!
(ん(?_?) そのまえにオマエがよく聞け?)
次に感銘を受けたのは、医師は病を治すだけでなく、人間そのものを直すのが本当の医師ではないかという保本の考え方です。これはとても良い考えだと思いました。
どんなに技術があっても、弱い人の立場に立って、その人に寄り添える医者でなければ、本当の意味での医者ではないと思います。そう考えると、「赤ひげ」はまさに理想の医師です。人間としても、強い志と信念を持っていなければ、そうはなれないと思います。「赤ひげ」は、病気を治すことだけではなく、その人の心のケアも同時に出来る人でした。体だけではなく、心も弱ってしまった人々に、優しく寄り添いながら治療していきました。
・「ーーー医が仁術だなどというのは、金儲けめあての藪医者、門戸を飾って薬札稼ぎを専門にする、似而非(えせ)医者どものたわ言だ、かれらが不当に儲けることを隠蔽するために使うたわ言だ」
・「仁術どころか、医学はまだ風邪ひとつ満足に治せはしない、病因の正しい判断もつかず、ただ患者の生命力に頼って、もそもそ手さぐりをしているだけのことだ、しかも手さぐりをするだけの努力さえ、しようとしない似而非医者が大部分なんだ」
・「毒草から薬を作りだしたように、悪い人間の中からも善きものをひきだす努力をしなければならない、人間は人間なんだ」
・温床ならどんな芽も育つ、氷の中ででも、芽を育てる情熱があってこそ、しんじつ生きがいがあるのではないか。
眼先の事ですぐによろこんだり、絶望して身を滅ぼしたりする例は貧しい人間に多い、恒産なれば
恒心なしといって、根の浅い生活をしていると、思惑の外れた場合などすぐ極端から極端にはしってしまい、結局、力のある者の腹を肥やすだけだ」
・「この病気に限らず、あらゆる病気に対して治療法などはない」登はゆっくり去定を見た。「医術がもっと進めば変わってくるかもしれない、だがそれでも、その個躰のもっている生命力を凌ぐことはできないだろう」と去定は云った、「医術などといってもなさけないものだ、長い年月やっていればいるほど、医術がなさけないものだということを感ずるばかりだ、病気が起こると、或る個躰はそれを克服し、べつの個躰には多少の助力をすることもできる、だが、それだけのことだ、医術にはそれ以上の能力はありゃしない」去定は自嘲とかなしみを表白するように、逞しい肩の一方をゆりあげて、「ーーー現在われわれにできることで、まずやらなければならないことは、貧困と無知に対するたたかいだ、貧困と無知とに勝ってゆくことで、医術の不足を補うほかはない、わかるか」
山本周五郎氏著、新潮文庫
・どんなものからもまなぶ、という謙遜な気持なのだろう。
・「つかぬことをうかがいますが、医は生死のことにあずからず、ということがあるそうでございますな」「あるようだな」と去定は答えた。(略)「治る病人は治る、死ぬ病人は死ぬ、医者の知ったことではない、というわけでございますかな」「そういう意味もあるだろうね」「するとその、藪医者も名医も差別はない、高価な薬も売薬も同じことだ、というわけになるのでしょうかな」そこで徳兵衛はわざとらしく付け加えた、「もちろん新出先生のような御高名な方はべつとしてですが」「私をべつにすることはない」と去定は答えた、「おまえさんの云うとおり、医者にも薬にもたいした差別はないというのが事実だ、名医などという評判を聞いて高い薬札を払ったり、効能も知れぬ薬を買いあさったりするのは、泥棒に追い銭をやるよりばかげたことだ(略)」