《薬害根絶の誓いの碑はむず痒い》
1999、6、19
himaari
薬害エイズ事件の被害者側から出されていた『薬害根絶の誓いの碑』は、厚生省の反対によって実現しなかったーーーというニュースを新聞で見たんですが、これについてはごもっともな応対だと思いました。
この問題はけっして難しいのではなく、少しばかりむず痒いというのが本音でしょうか。
なぜか?って言うと、ごくごく当たり前のことでして、医療に薬を使うかぎりは今後も薬害は起きるということを意味しているんですね。
だから、「薬害根絶を約束する事はできないのでそんな碑は立てられない」という意味なのでしょうから、これについては厚生省の誰かが言っているのでしょうが、その関係者の名前は出ていないので分かりませんが、その方はとても正直な方だと思いました。
だから「根絶は不可能だが、せめて努力する誓い」の碑は建てようという妥協案を受け入れたのではないのでしょうか。 そこんとこが少しむず痒い決着だったと思うのです。
これは担当者が決して悪意でこれに反対した訳でもなんでもなく、医療に薬というものを使う以上は必然的に起こり得るのが薬害、すなわち薬の副作用と言われるものですから、これを無くすには薬を使わないことしか解決のしようがないと知っているのです。
しかしながら、現代医学においてこの医薬品無しに治療行為を行おうということは、これも無理な相談ですから、これは薬害根絶の要求を出した側が、薬というものの本質を無視した無理難題の要求だったというわけです。
薬害被害者の方は心情的にも「根絶の誓い」を出して欲しかったのですが、厚生省側(誰が担当者なのかは不明ですがーーーーよって、いつも責任は厚生省イ
コール国が相手になって賠償問題を論じ合うのだが)それは「難しい!」と言って反対し、内心はもう少し解りやすくその理由を説明してやりたいのだが、それ
もちょっと・・という「むず痒い」気持ちがあった・・・のかどうかは私の妄想像のはなしです。
そこでついど素人の私が横からちょっかいを入れて解説してみたわけなのです。
という事はこれからも必然的に薬害はいつ起きても不思議はないか?と言うと、私にはまったくその通りとしか思えません。
わが家が火災になったとき、消防署に対して「うちはつい最近建ったばかりの新築なんだから、決して家には水をかけてはいけない! 火だけを消してちょうだい」などと、のたまう人に消防署の人はどう答えて良いか分かりません。
「家に水はかけないから安心してください。ただし放水もやりませんが・・」などと言われるかも知れません。
そう、薬の本質を知れば決して害の起きない薬など無いに等しいと言われるでしょう。では、どうしてそんな危険をともなう医薬品を使うんだと食いつかれそうですが、これはもう大昔から「病気に対しては薬」という信仰が出来上がってしまったからでしょう。
いまさら、その薬信仰を全面的に廃止してしまったら、医学はいったい何をしたら良いんだという様に、そのジレンマに専門家も頭を悩ませているのではないでしょうか。
薬剤信仰?----病気を治し身体を癒す助けになるのが薬剤----この鉄壁とも言える常識から抜け出せない限り、これからもずっと「薬害」という切っても切り離せない裏面を抱えたまま、つき進み続けるのが薬剤医療と言えると思います。
なにをど素人が! と怒りと非難を向けられるかもしれませんが、続出する薬害事故の報道を見ていて、いつかきっと多くの方が深い疑問をいだいて医学の本
質の深いところを探る日も近いものと、被害者には申し訳ないのですが、薬害事件は我々に貴重な教訓を与えてくれているんだなと感じている次第なのでありま
す。(ウホン)
それでは、薬剤中心の現代医療を見離してしまったらどうなるんだという不安もあります。薬剤治療、それに代わる信頼できる代替え医療などがあるものかという疑問もあります。
しかし、現実に巷には多くの民間医療が見いだされています。
その多くの体験者が語る文には、私は〇〇によって薬から離れられた・・私は〇〇で薬害から救われた・・などという様な報告が多いのです。
なかには信仰によって、精神面によってとか、治療法とは言えない様なものもありますが、それらの多くは現代医学から見離された患者が非医学的とも言われるものに走っている結果なのです。
もちろん、中にはいかがわしいものも数多くあります。しかし、多くの効果ある治療法には共通したものが見られるのです。
それは、まず、「安全性」 という事です。
「効無くして安全性」と言われればそれまでですが、「効果あり、しかも安全である。」というのが人間本来の健康に戻すための本当の「治療」なのですから、まず何よりも第一番は安全な治療ということです。
自然治癒力に働きかけるーーーーこれは、どの療法(現代医学においてさえも薬の役目をそう意味付けているようだが)も唱えているようですが、本当にそうなのかどうかは、「生命に対して安全である」かと言うことが重要なカギです。
「効あり、しかし危険もあり」 などと言うのでは人間本来の健康体にする、「治癒」をもたらすものではないでしょう。
「薬」---その本質はやはりリスクを伴うのですから、けっして安全とは言えないと気づく人は賢いのでしょうね。
だから反対に読んでクスリと言うーーなどと聞いたことがありますが。
現代人なら、そして英明な方々ならもうそろそろ気づいてもよいのではないでしょうか。
薬は毒である。
毒は薬になる。
この裏返しにもなる定式を理解できるなら、「薬害根絶の誓い」という矛盾した要求は、必然的に薬剤を使用する現代医学(古来からの医学がそうであった)には突き付けられない酷な誓いなのだとお分かりになりそうですが。
こんな事は別に知恵があるから理解できるとかできないというものではないでしょう。
こんな浅はか短気(無関係?)な私めでさえ、単純な自然な道理としか思えません。
ただし、いくら知恵あふれるひとであっても、薬剤信仰をやめられない方には、ちょっと難問に思えるかも知れませんが。
では、そのかたいカタイ薬信仰がなぜ出来上がり、こうも永く人類に信じられ続けて来たのかという疑問。危険と知りつつも止められないのは?---こんな疑問に少しはお役に立ちますかどうか、押し付けはしませんが、暇有りの方はどうぞ覗いて見てらっしゃい~~。
すべてが真実かどうか、それは別にしても、病気というものの考え方がいっぺんにいっぺんするかも知れませんネ?