手術の進歩は医学の退歩 | akyoonの異端の医学と不思議な情報

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医学や健康医療の【トンデモ論】を主としています・
本人はいたってまじめ。 しかし自分で自分を検証できないので、眉唾と取捨選択が必要。

 《 手術の進歩は医学の退歩 》
                                1999、3、27   ひのもと異学

現代医学は進歩したと言う者は多い。ほとんど大多数の者はそう思い込んでいる。
なかでも、『手術の進歩が医学の進歩』と同じ意味を持つものと信じている者がいかに多いかということには呆れかえってしまう。

「手術が進歩する」という事は、「医学が進歩していない」と言うことに気が付かないのだ。

『手術とは病に冒された機能を除去する手段であって、病そのものを除去する手段ではない』のである。

『病気とその機能とは密接な関係はあるが、本質は異なっている』ことに気が付かないのである。

『真の医術とは病だけを除いて、機能は元のままでなくてはならない』

ところが、医学はそれができないために、やむを得ずに冒された機能までを除去してしまうのである。
その結果、必要な機能を失った患者は、人間本来もつ真の健康者には戻れないことになる。人体に不必要なものがあるはずもなく、手術とは、本来が自然の姿で ある人体を不自然な状態にしてしまう欠陥をもっているのだから、手術という治療手段は、決して医術の本道ではなく、横道にそれた方向性を持つのである。 言ってみれば邪道である。

ほとんどの人が、
近年、手術の技術は大きく進歩したので、それを医学の進歩と思い違いしているが、本当に医学が進歩した暁には、手術という野蛮な方法はほとんど必要なくなるはずである。
あくまで手術とは二義的手段でしかないことを知れば、この真理を簡単に理解できるはずであるのだが、医学はその二義的手段を本道の様に宣言するためか、手術そのものを本来の治療と思い込んでいる人がいかに多いかというだけのことである。

しかし、現状は除去手術の横行はもとより、臓器の取り替えまで行うほど手術手段に頼る現代医学は、その手術という行為そのものが、すでに医学の末期的症状を現して来ていると感じるものである。


繰り返すが、『本当の医術の進歩というのは、病に冒された身体を五体満足のまま、元の健康の状態に戻してやる』ことであり、手術で切り取ることは『医学の退歩』である。

これが「医学が進歩していない」という理由と根拠である。

ゆえに、今後手術が進歩すればするほど、医学はその無力を表明しているということになる。
マスコミが手術の成功を大々的に発表すればするほど、医学は真の医術から遠ざかって来ていることに気が付かえねばならないのである。


人類の歴史として見ても、
手術の「技術的な進歩」を「医学治療の進歩」と“錯覚”して、邪道を驀進し続ければ、結果は自ずと明らかになるだろうが、そこに行き着くまでにどれだけの『体験者』が必要なのかーーー今はだれもそれを語れないだろう。


そうして、いつの頃からかこの『手術』という手段方法が必要不可欠かの様に『思わされ』続けて来たのには、いくつかの理由があるのだろう。

その最大原因とは、人間をただの物質として見たからであろう。

無生物も生物も同様な扱いで見ているから、人間をまるで無機物であるかの様に切ったり、くっつけたりするのが手術なのである。
「人体という物質」という感覚で人間を見ているから、人間を人形かロボットの様に簡単に考えてしまう思想は、唯物科学から生まれたのが現代医学だからであろう。
もちろん、唯物科学は人類に絶大な貢献をし、人類を数々の迷信から科学的進歩をもたらした功績は称えきれない程のものであるが。

しかし、人間という生物までを唯物科学で解決できるものと思い込んだのが失敗の原因なのだ。生物を無機物と同様に扱い、そればかりか、動物と人間をほとん ど同等であるかの様に錯覚したのが現代唯物医学だから、そこから手術という野蛮な方法が生まれたのも当然の成り行きなのかも知れない。


真実は簡単に考えてみればすぐ分かる事である。

人体に不必要なものが果たしてあるだろうか?
盲腸も扁桃腺も卵巣も片方の腎臓も・・・
必要であるからこそ生まれながらに皆満足に揃っているのであろう。

それを、さも不要物であるかの様に切り取ってしまい、また、この大胆極まる暴力的手段に対して随喜の涙までこぼしている。
しかも、国を挙げてそれを奨励する文明じんと称する御仁方には何と言ってよいか、無知蒙昧なる文明国人と言うべきなのだろうか。

たしかに、冒された臓器や(手足その他の)機能等を切り取ってしまえば、そこはもう決して病に冒されることは無い。
それはもう“無い”のだから、病に冒される心配もないというわけだ。

しかし、その手術の結果は『不具者』となるのでるある。
手の指一本でも足の指一本であっても、一生涯その不自由さは悩みの種となる。
しかも、外的でなく、内的不具者となると、これは目に見えないところで重大な欠陥を生み出してしまうのである。
盲腸にしても、扁桃腺にしても、不要であるとして簡単に除去してしまうが、医学はその機能の働きをいまだ発見していないだけであり、その働きの重要さを知ったなら二十一世紀の人類はその無知で野蛮的な旧医学を知って落胆するのであろう。


人間の身体の個々の機能の働きはどれひとつ不要なものがあるはずも無く、それらが密接に関連しあって人体という総合機能の働きをしているのだから、病を治す医学の進歩とは、手術という手段から遥かに遠ざかって行く道である。


その事も知らないで、手術の成功をさも医学の進歩と思わせるような記事にするマスコミもそうだが、それを鵜呑みにして得々と語る一般信者さんにも辟易してしまう。