臓器移植と人間の生命 | akyoonの異端の医学と不思議な情報

akyoonの異端の医学と不思議な情報

医学や健康医療の【トンデモ論】を主としています・
本人はいたってまじめ。 しかし自分で自分を検証できないので、眉唾と取捨選択が必要。

いつもお読み戴き愛光楽秋遊(ありがとう)ございます。
コメントも嬉しくて・・・愛光楽秋遊
お返事をかかなくてすみません。 





《臓器移植と人間の生命》

                        1999、7、16       himaari

近ごろ、この大日本●国ではマスコミをはじめ、臓器移植を推進しようという働きが進められているかの様に思いますが、なぜか、それに反対する声がかき消されているのではないかと、自称“非国民”としては少々心配しているわけです。

こんな風潮に歯止めをかけないと、いつかは国民全体が知らず知らずのうちに巻き込まれてしまい、とんでもない事になりそうな気がして、小市民としては出来 る限りの意思表示をしておかなければいけないと思い、“大本営”一辺倒のの片寄った情報を切り崩すべく、少しでも異端情報をご紹介したいと思う所存でござ います。

さて、地方新聞での記事から表題のごとく『臓器移植と人間の生命』という本の紹介が載っていましたので、このわたくしメまだ未読ながらも、人様からお先に読んで戴きたく、新聞切り抜き判を・・・



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
新潟大名誉教授(元法学部教授)の沢登佳人さん(七二)=新潟市=がこのほど、脳死移植に反対する立場から「臓器移植と人間の生命」を出版した。
すでに日本でも脳死移植が行われているが、沢登さんは「この風潮に待ったをかけ生きることの意味を問い直したい」としている。
論点となっている「脳死は人の死か否か」という命題について、人の死と認める側は「脳が死ねば人間らしい知情意の働き(理知)なくなる」を論拠にしている と分析。沢登さんは「理知的な牛命の働きはなくなっても、本能的(生理的)な生命の働きは存続していて、それは脳死者という『人』の生命の働きだ」とし て、脳死は人の死ではないと主張する。
そして、そのうえで「生きている身体を切り刻むのは残酷」と、現段階での脳死移植に反対している。
このほか、同書では、人生や生命、現代社会や文明など幅広い分野についても論じている。
同書は、白順社刊、B6判、二百四十ぺージ、千八百円。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


ということで、
「臓器移植」という“絶対善”?の旗印の元に、『脳死』という不自然なことが堂々と認められ、しかもそれが着々と実施されはじめて来た現実に、深い憂慮を示す有識者も多いということをこの無識者からお知らせ致したくご紹介しました。

なほ、ほかにも数々ある脳死に対する異論もあるということを是非とも多くの方から知っていただき、どうぞどうぞ出来るだけ反対の意思表示をして頂きたいのであります。
わしには関係ないわい・・・なぞと申しておりますと、いずれ御身にふりかかる危うき事態にトホホと言わねばならぬことが起きるやもしれず、何ごとも大事は早めに対処しておかねば間に合わぬのであります。
そういえば、テレビの特集で欧州の一部ではすでに国民が半強制的に臓器提供のシステムに組み込まれ始めているそうです。


【脳死は、死ではない。】梅原 猛編/思文閣出版/1600円
【生命をもてあそぶ現代の医療】現代社会を考える会・山口研一郎/社会評論社/2200円
【クスリで病気は治らない】丹羽 靭負ユキエ(医学博士)/(株)みき書房/1300円
ほかにも数多い異見がありますが、ここではチョット専門家からのものを選んで見ました。この本の中にはその道の専門家からの意見や実状が書かれています。その他、あなたの市町村図書館をのぞいても結構脳死問題についての本があるはずです。
いつも無関心でいると、気がついたら「国民皆徴兵制度」が出来上がっていた・・・なんてことあるかも。


いつも真理とは簡単なことです。
なにもむずかしい事を考えなくても、人間にとって死とは、
            心の臓が止まったときなのです。

それを小難しい理屈をつけて、オツムに手を当てて考えるから、しかめ面で変な方向に向かってしまうのです。
長屋の八つぁんや熊さんは胸に手を当てて考えますからまずは安心です。
ホッと胸をなでて「あっしはまだ生きておりますゾ!」

生命のみなもとは心臓にあり、生きている証しは心臓の鼓動です。
それでも分からないのは血のめぐりが悪いからなのでしょうね(笑い)。
それは、手を当てる場所が違うのでしょうね、きっと。