親戚から言われた事がある。
「どうして、そこまで守る必要があるの?」
「守る」というのは向こうにしてみれば、耐え難い苦痛の中で自分の信条を曲げないで守り通すという意味だろうけど・・・
つまり、僕が「薬を飲まない」という掟のようなものをもっていて、それを破ることが出来ない「縛り」にあっていると思っているらしい。
要は、そんなにまでして「向きになって守るほどの信条ではないでしょ」と言いたいようだ。
薬を飲まないのは、別に信条とか教えとか掟とかじゃないんだけど・・・
「嫌なんですよ」というと、それも信じられないらしいから、もう無駄だなあ・・何言っても。
でも、実際は命かけてやっている様なものだから、このムキになるという風に思える行為は、彼らにして見れば恐ろしい奴に見えるらしい(笑い)
まあ、こちらの方から見れば、彼ら彼女らも立派な信者なんだけどねえ~~
こちらは信者と認識できても、あちらは信者だなどとは思いもつかないところが味噌くそかな(笑い)
だから、オレに言わせると、なんでそんなにムキになって薬を飲ませようとするの?と 言いたいんだけど。
あちら様は、医学教信者だし、薬信仰にのめり込んで、ハヤ○千年の古参だからねえ~~
かないやしません!!
下記はどうでもいんよう
ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー
しかし、とにかく、
こと精神的修行や宗教にかかわる者たちに限れば、彼らほど、ムキになり、感情的になる事を抑圧してしまった者たちはいない。
(とはいえ、そこらの宗教は、既に充分に、全くの感情的人種の集まりではあるのだが)そして、もしも人間の枠を超えた絶対真理や絶対基準、あるいは悟りの探求に向かう時には、その時は「ムキ」になれる資質こそが飛躍の鍵になる。
ムキになれるということは、結局そこに死活問題、つまり「命」がかかっている場合だ。
ただしそれは「熱狂」というものとは違う。熱狂というものは冷めやすい。熱狂は人為的な失望によって簡単に冷ます事が出来る。
だから、熱狂する者を追い出すのは、実に簡単なことであり、彼らの期待をほんの少しでも裏切ればいいだけなのだ。それには全く何の苦労もない。
だが、熱狂ではない「執念」は、冷めることがない。
なにしろ、自分の生命がそこに賭かっているのであるから、それは冷めようがあるまい。
探求に「命と、人生そのもの、死活問題が賭かっていなければ駄目だ」と私が何度も何度も言うのは、こうした、思考と感情と恐怖心の三位一体の効果という「全く法則的な根拠」によるものである
TITLE:はみだしQ&A集(EO):1DATE:2004/08/28 12:56URL:http://www.mumyouan.com/e/eoa2a.html
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