薬害を無くす名案  薬害肝炎訴訟をみて | akyoonの異端の医学と不思議な情報

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医学や健康医療の【トンデモ論】を主としています・
本人はいたってまじめ。 しかし自分で自分を検証できないので、眉唾と取捨選択が必要。



実に簡単なんですよ。名案でもなんでも無いのです。

まず薬害の訴訟で問われているのが主として「国」の責任です。

しかし、「国」という焦点の定まらない責任者は反省などするのでしょうか。

責任者が誰かもよくわからずに賠償金を国庫から出して貰っても、誰も痛くもかゆくも無いのでしょうし、第一、謝っているのが当時の政府の担当大臣でもなく、役所の担当者でもなく、現在の大臣や役所の代表です。

実際に携わっていた当時の責任者でもなんでもなく、実際に反省などしてみたくとも身に覚えのない人たちが頭を下げるているだけのことです。

だから反省の無いところにまた薬害は起こります。

責任の所在が国家とか役所とか製薬会社とか病院とか言われても、それは集団としてあるだけの名称です。
どこの誰がというより団体名に過ぎません。

団体が反省すると言っても関係ないと思う人の方が多いのではないでしょうか。
そこには反省すべき人間の姿が見あたらないのではないでしょうか。

そこで、薬害の責任はやはり実際にその時点で実力をもって物事を決めている個人が深く反省しないとならないのです。

責任をもってやる立場の人はそういう権威や決定権を与えられている者です。
そういう人たちが実際に反省をして改善を行うことが大切です。



そこで、薬害を無くすための名案(でもなんでもなく、当たり前のこと)なのですが。

薬害の責任を

薬を造る会社
薬を認可する役所の担当者
薬を売る会社
薬を処方する医師

に問うべきことです。

今の薬害裁判ではほとんど「国」が主となっているでしょう。

これじゃあ、誰も責任者なんていませんよ。
実際の決定権を持っていた人物は誰だったのかもほとんど知らされていません。


一歩譲っても製薬企業としても、その当時の実行担当者や社長の責任もありますね。

そして、その薬を認可する際に、どこかの医師が試験して資料を提出するわけですから、その個人。
そして、国(厚生省の担当役人)の実質上携わった担当者個人。

そして、どの様にして売っていたのか担当者と責任者たちの個人。


そして、患者が実際に顔を合わせて薬を処方支持を出す医師。


これには相当な批判があるでしょうが、今の薬害訴訟をほとんど「国」が対象になっているうちは、誰も責任など無いようなうやむや状態ですから今後も薬害は起こる可能性は強いということです。

(個人的に本音を言えば、薬は毒ですからどんな薬でも薬害はあるはずなんですが、副作用の多少や個人によっての相違があるので、表に出なかっただけです。今後も薬を使えば薬害が出るのは当たり前だと考えます。)


以前、厚生労働省と言わず厚生省と言っていたころ、「薬害根絶の誓いの碑」が建てられたと聞きましたが、その後その碑はどうなったんでしょうか?

役所名が変わってからもその碑は残っているのでしょうか??


あの当時、何か書いた覚えがあります。
「薬があるうちは薬害は無くならないだろう」と。

やっぱり起こりました。
そして、今後も起こるでしょう。
それは薬の宿命だからです。

「毒が薬になる」という事を、もっともっと国民は知るべきです。
しかし、どうやら頭が受け付けない、ひどい目にでも遭わなければ気が付かない、いや、ひどい目にあっても他の薬にまた頼ろうとするをみていると、これはもう何を言っても無駄なのかという無力感がわいてきます。