師から破門され、いえ、弟子から出て行く。
たとえ、我が師であっても納得
出来ない事には従えない
この覚悟が無いと、いつの間にか腐敗への道を歩いていると考えて良いと思います。動きのない世界は神としては出来ない相談でしょう。
なんでしょか、宇宙の姿は停滞を受け入れないとでも言うんでしょうか?
よく相撲の世界では兄弟子との対戦で、将棋の世界では師匠との対戦で、歴史的になると何かの論の師弟関係もあるわけです。
実際に顔を合わせた事も無いのに師弟関係というのも変でしょうが、ある人の論に共感してその人の論を自分が受け入れてしまう事で、心の中の師弟関係というものでしょうか。
そういう関係は、科学の論でもあるでしょうし、精神世界の論でもあるでしょう。
僕が対象としているのは主に「医学論」関係ですので、ここを考えてみるとなにかが見えてくる気がします。
まず、科学的と言われている現代医学。
近代医学の基となっているのが、ジェンナー先生やパスツール先生、またゴッホ?先生などの大先輩たちと言われるのでしょうね。
今の医学関係者は研究者も教授たちも現場の医師たちも、これらの大先生の論を採り入れて共感しているわけでしょう。
そして、この人たちを師とすると皆が弟子たちになるわけです。
ここに一種の師弟関係が結ばれていると見ています。
どういうことを言いたいのか? と言いますと。
いま世界の数多の弟子たちは世界最高の医療技術はこれらの大先生方の論を採り入れた弟子たちが発展発達させたもの、進歩させたものという自負があるのでしょう。
だから、彼らはこの師をいつまでも崇め奉り、決して捨てる事は出来ません。まして、根本からの批判など考えても見ようとはしないのでは無いでしょうか。
例えばコッホ先生の細菌の三原則などもそのひとつ。
パスツール先生の細菌自然発生の否定説。
ジェンナー先生の予防接種による病気予防説。
まあこんな事を「ちょっとおかしいんじゃないか?」などと
言おうものなら、この近代医学の世界からお邪魔無視にされるのは必然でしょうから、師弟関係は破綻、もう師匠を捨てなければならない運命にあります。
師を捨てるということはその勢力の範囲から投げ出されることです。
師をこけにした輩 ひどい弟子ですね。
しかし、師を越えられない弟子たちだけだったら、その師はなんだったんだ?
自分を越える弟子を育てられなかった師匠は、永遠に偉大だったということでしょうか?
それもあるかも知れません。無いかも知れません。
あるの方ならここで話は終わりになります。
こんどは精神世界の代表として宗教にて見てみました。
こちらは単純明快ですね。
宗教で言えば、師はその教祖になります。
弟子たちというのは信者さんがたです。
その数が10人であろうが、100万人であろうが同じことです。
弟子たちは師匠の越える事ができるでしょうか?
出来ませんね。
それは信者の崇め奉る対象が教祖になっているからです。
ここではほとんど教義というよりも、教義を出した教祖の方を崇め奉りますから。
もし、教義に対しての批判などありましたら、それはとんでもない事になりますね。それは師を否定する行為だというわけです。
とにかく弟子は師を越えてはならないのです。
師の一言一句たりとも否定してはならないのが弟子だとすると、その宗教の信者は永遠に師弟関係を続けられる訳です。
で、本当のそうなっているか?
といううと案外そうでもないんですが・・・
キリスト教信者と自称していても平気で宗教裁判にかけたりして残虐な事をしてきたし、今でも平気でよその国の人を殺しています。
仏教信者と自称しても、やっぱり同じ様な事をしてきましたし、今でもやっていますね。
それは師弟関係にあると言いながらも、弟子の方は師を崇め奉りながらももう勝手に好きなだけやっているのでしょう。
なんだ、それならば・・・・
という訳で皆が勝手に師を越えていても良いのでしょうが、そこはまたおもしろところでして。
堂々と胸を張って言い切れないところが似非信者のよいところでしょうか?(笑い)
本当のところを言うと、イエスさんもお釈迦さんも偉大なる神仏のごとくなれるのは私だけでない、あんたがたもだぞ!
いや、本質はそうなっているんだから当たり前の事だよ。
という事を説いていたそうですが、それが長い間に弟子たちの勝手な解釈も入って伝わらなかったそうです。
だから
「私は神。私は光」などと口走っていると
「とんでもない!」と非難されるのは必定。
ましてや、宗教信者さんたちの仲でそんなことを口走るとえらい事です。ついにそこまで「慢心」してしまったかあ・・・と。
そりゃ、分かりますよ。
どこから見たって神には見えない、ぐうたら人間。
光なんてどこに出ているんじゃあ~!!
はい、それで終わるでしょう。
だいたい教祖を越えるなんて大それた事を弟子はしてはならないのです。神も光もすべてその師のみにあるんでしょうから。
こうして見ると、案外宗教と科学と言われる医学にしても似たところもありかな?と思うきょうこのごろです。
おいおい! なんだってんだよ!
何が言いたかったんじゃあ~~
???あれ書いていた本人がよくわかんない・・
え~と、こう言いたい訳です。
医学(科学)も宗教(教義)も よ~くもう一度見直してみよう。
鵜呑みにしてたんじゃ腐っちまうぜ。
そこの中だけで固まってたんじゃ宇宙から置いて行かれるぞう。
はい、そう言いながらけっこう自分でも師弟の関係を捨てきれない一部がありますねえ。つい、遠慮しちゃうんです。
ほんとは遠慮じゃなくて怖いんじゃないかと。
そう、捨てられるのが・・・
彼女に捨てられるなんて絶対いやという人は、せいぜい媚びを売りながらも陰で別の女と遊んでたら~
そんな医学教信者さんも、また僕の関係した○○教信者さんがけっこううまくやっているんですねえ・・・
世の中あまり偏り過ぎるとねえ と言われるんですが、それもそうだし、そうでないところもありますという、これもハッキリと言えないところがおもしろいところです。
はい、今日も何を言ってるんだか分からない日誌となりました。
だから人様の引用記事が多いわけなんですよ。
と言い訳をしているきょうこのごろです。(←ひとのもの使うな!)