1999年発行の本
まず
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現代ほど、クスリが氾濫している世の中はない、と言っていいだろう。
西洋医学の祖ヒポクラテスは、クスリとは人間誰しもがもつ自然治癒力の補助役にすぎないと考え、食事療法や運動療法を主体にして、クスリの投与は最小限にとどめた。古代中国の名医・華陀が使ったクスリの種類もわずかだったという。
しかし、現代においては専門の医師や薬剤師でさえ覚えきれないほど膨大な種類のクスリが大量に使われ、国民の「クスリ浸け」が大きな社会問題になっている。現在、国民医療費に占める薬剤費の割合は約三〇%にものぽり、欧米諸国とくらべて際立って高い。なぜこれほどクスリの種類は多くなり、かつ大量に使われるようになつたのか?
「病なくして薬なし」ということわざがある。昔も今も病気はほとんど変わらないはずだが、医学の発達とともに病名が増え、それに対応するためのクスリが用意された。複数の病気が診断されれば、複数のクスリが投与されるから、当然ながらクスリの使用量は増えるというわけだ。
日本人のクスリ浸けは患者側にも原因がある。体の調子がおかしくなるとすぐに病気ではないかと疑い、診察を受けたあとクスリをもらわないと満足しない。医師側および患者側のクスリ過信はクスリの使用量も増加させる。構造薬害と呼ばれるものは、このイタチごつこによって起こる。
近年、病院でもらったクスリの内容(種類・薬効・副作用など) を調べる本が数多く出版されている。投薬ミスや薬害から健康を守るための自衛策である。アメリカでは、クスリの種類や手術方法などを患者側が指定するインフォームド・チョイスという考え方が定着しつつある。そのうちDIY (ドゥー・イット・ユアセルフ)医療というのも登場するかもしれない。これは冗談ではなく、DIYをもじっていえば、D(誰もが)・?(医者の)・Y(世の中)になることなしに、今日の医療問題を根本的に解決することはできないと筆者は考えている。
といっても、素人療法を奨励しているわけではない。医療というものを病院や行政にまかせきりにするのではなく、国民一人ひとりが主体的に医療に参画する必要があるということだ。
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そうなんです。
D(誰もが)・?(医者の)・Y(世の中)になることなしに、今日の医療問題を根本的に解決することはできないと筆者は考えている。
もう人任せ、医者任せにしていたんじゃ、21世紀の賢い文明人とは言えない世の中になってきたようです。
どうせ任せるなら、自分自身の一番頼りになる
自己自然良能力
にお任せする事がまずは第一歩でありましょう。
あとは助っ人として頼む場合は
このご主人の邪魔をしない奴を見つけないとイカンです。
時々、助っ人の方がえ張り散らして、ご主人をないがしろにして、いっときの効果を誇る奴も無きにしもあらず、ご主人をわすれちゃあいかんぜよ。
時には、このご主人、間借り人のためにはあえて病気を治さない事も平気でやる場合があるから、そこが問題じゃノウ。
あえて、病気を長引かせたり、死にまで至らせることもあるかもしれず。
ゆめゆめ忘れてはならぬぞ。
助っ人がイイかっこしいで、むりやり癒すことさえも、ご主人から見れば
よけいなお世話となりかねん。
人はその病気や死までおも、その人にとって最善のものとして取り入れているところがあるのじゃ。
なかなか治らんといって神を恨む出ないぞ。
神はもっと上を見ているのじゃ。病も死もその時々の最高の場を与えているのじゃ。
苦しみも悲しみもその都度楽しむ事じゃ。
それが出来るのはこちらの世に居るからこそできるのじゃ。
手品はあちらの世では通用せぬからのう。
わざわざこちらの世でマジックにかかりやすい様に仕組んで、希望して入り込んで来たのはそなたということを忘れるでないぞ。
そなたも神の一片じゃということ。
失うものは何もない。たとえ死でさえも、変化の形の一部。
そう分かれば、迷いも恐怖もないじゃろ。
そなたは神の一部なのだから。
ははあ~~ いや、オレも神のいちぶ?
むむむ~~ なんで実感できないのだろうか?
あ、そうか、マジックの世界だったっけ。
あれって、人の錯覚をうまく利用しているから不思議なんだね。
こちらでは、そんな錯覚がうまく作用できるようになっている世界か。
せっかくその錯覚が真実のようになるんだから、あまり覚めてもおもしろくないか。この錯覚の世界で真剣に勝負してみるってのが、こちらへ出てくる意味なんだかねえ。
でもあまり錯覚に翻弄されすぎたおれたち・・・・
そろっと、覚めるところは覚めておかないと、エンタープライズのバーチャル空間で意識まではまり込んで、はい上がるにそうとう苦労しそう。
あ、なんだか全然関係ないことを書いている
上の薬と毒の辞典から抜き書きしていこうかなと思っていたのだけど。