本年もよろしくお願いいたします。
毎日欠かさずせっせ、せっせと書き込んで生きたいしょぞんでございます。
が、
止めろと言われても止められないものにトップの座を明け渡してしまいまして。
最近はよその方の書いたものなどの方がよっぽどおもしろいもので、そちらのご紹介に重きを置こうかとも思っています。
それでは、本年もよろしくお願いいたします。
どうって事ない書き込みを覗いてしまった方には本当に申し訳ありませんでした。
トップの座?
みんなみんなのんじまったあ~~~です。
(終わってから書くな!!)
それにしても、世界は大激動の時代に入ったかの様です。
まさに未曾有(ボクはみぞううと読んでいたおばかさんでした)とは人類かつて未だ経験していない様な事を言うそうですから、誰もがおそらくこうなるのだろう程度の事しか言えないわけですね。
天候気象から始まり、地異もありでしょうし、人間世界では政治経済、思想までもうありとあらゆる大変化が押し寄せているのでしょうが、よくしたもので、自分に実際起こる事以外は背景に過ぎず、それらは個人にとっての舞台背景のいち要素なのでしょうね。
そして事実起こる内容は個々にとってすべて異なるのはもちろんですから、日常生活において特に大変化と思える事が無くとも、後で振り返るとあれは大激変の始まりだったなあ・・などと思うこともあるのでしょう。
ボクの場合はすでに激変は10年前に始まっていたのでした。
先駆けとしては今の派遣労働者的な経験もありましたし、貧乏(精神的なのだろうが)も体験しており、個人的にはすでに時代の先駆け者であったのかと自負しております(にが笑い)
しかし、一番の激変ははやり、いや、やはり、家内の大浄化(重度の病気)であったわけです。
他人様の時は泰然自若。我がごとになると、オロオロ、ウロウロ、めまい状態が続きまして、体重も10キロ減りましたし老化も進んだかの様に思います。(相当なお年寄りと見られる体験が何度もあったから 苦笑)
一時はお互いにお別れのごあいさつまでしてしまったのは早とちりであったかも知れませんが、それほどの状況でもあったわけでして。
薬を使わない、医者にもかからないという事で肉親からはもう相当突っ込まれてしまいましたが、どうにか治りもしないが死にもしない状態が続いて10年経ちました。
失われた10年じゃないですが、マイナス面だけを見るとそうなりますが、その陰には、やっぱりプラスの要素も隠れてあったのでしょう。
それはこの地球世界においては両面が必ず合わさってくっついているという原則があるのでしょうから、どこの誰であっても同様、プラスがあればマイナスもあわせてあり、マイナスがあればプラスもあるというのが事実なのです。
その事実を一面の方しか見られないという人間の特徴というか「クセ」が片方だけをどアップさせているだけなのでしょう。
それをさせるのはいろんな「思いこみ」でありそれをさせているのが「すり込み」なんでしょうね。
宗教もそうですし、医学という宗教もそうですし、その他、科学と言われるものだろうがそうでなかろうが、世の中はそういう「すり込み」が充満しており、それによって多種多様な「思いこみ」現象を起こして来たというのが地球人類世界だったのでしょうか・・・
それにしても、人は神なりという言葉
じゃあ、
神なら現実創造の主となり得るわけですが、何十億の人間がすべて個々に創造主ですから、やっぱり集合的意志が優先しての世界での個々の創造主という制限があるのかも。
そうなると、より数の多い人たちの「思いこみ」が現実創造の土台的なものとなり得るのでしょうから、人類が作ってきた現実創造はやはり多数派の力が主となってきたのでしょうか?
思ったように現実が創造されるという法則が多数によって左右されるには、その思いこみが間違っているとか正しいとかよりも、そう思いこんでいる人の数の方が現実を動かしてしまう事になるのかな?
個々においてはすべては神の分霊として、その神の集合体の力でもって大きな現実創造を行ってきたのであれば、その思いこみ現実化としての現在自分がおかれている状況の背景時代の流れとか世界の様相などは個人では変えられないという事で、ただ受け流すものとしてみることかも知れません。
ただ、個人の思いこみ現象は変えられる自由というものがあるのでしょうが。
ある意図をもって他人の現実創造を変えることも出来るとしたら、積極的に「すり込み」を行う輩もいるかも知れません。
そして個々の現実創造主(個別的神)がそれに感化されて「思いこみ」、その思いこみがその人の現実を変えるわけですから、いかに個々の人の思いこみという力が強力であるかというものです。
例えば、「私は神でも何でもない取るに足りない存在であって無力であり、現実は何も変えられない」と思いこめば、実際にそうなり、そういう人が増えれば地球規模でそういう現実が創造されるというわけです。
そういう人を多く創り出すには「すり込み」が必要ですから、すべて知っている者がいたとしたらそういう「すり込み」的な暗示をかけるわけです。
そうして「すり込み」が成功した時にはそれが現実化している世界ですから、まさにその「すり込みが真実になっている」というのかも知れません。
こうして考えてみると、すり込みが成功する背景にはすり込みを受け入れる側にすべてがあるようです。
すり込みを受け入れるには「何も知らない状態でいる」という前提条件がいるのかも知れません。
本当は「知らない」のではなく「知っているのを忘れた」状態なのでしょうが、とにかく赤ちゃん状態にいるのですからすり込みが成功するわけです。
その繰り返しをしてきたのが人類、何千年か何万年かそれとも何十万年かは判りませんが、当初「何もかも忘れてしまった赤ちゃん」状態を選んだ事が今の人類の歴史なのでしょう。
わざわざ何で「おばかさん」状態にまでなってすり込みを受け入れる事になったかはその当初の神々(人類)にお聞きしなければ判りませんが、きっとそれは数々の体験を通して喜怒哀楽を表現したかったのかも知れません。
まあ、自ら落とすところまでトコトン落としてしまおう、そして、その落ちる頂点にまで行って冒険じゃない、体験という3次元世界でしか味わえない事を・・。
しかし、いざそこまで行ったらもう自分ではい上がれないほど落ちてしまうんじゃない?
何もかも忘れたしまった状態じゃ、元へ帰還できないかも?
いや、心配ない、それは時間を作ってあるから・・
ある時間経過が過ぎたときにそれが自動的に作動するような・・
つまり、「思い出す」時期を自然に自動作動するようにね。
そんな時代にいまようやく到達したというのが本年に思うことでした。
「忘れていた」から「すり込み」がうまく行き、すり込みが「思いこみ現実化」を起こしていたものが、「思い出してしまう」ことで「すり込み」のマヤカシに気づき、「思いこみが変化する」。
あらゆる事の「思いこみ現実化」現象が変化してしまう、また変化しつつあるというのは、やっぱり「忘れていた事を思い出す」事が自然にセットされているのかも知れませんね。
逆に言えば、いろんな「すり込み」がリセットされて、新たな「思いこみ」が起こり、現実化されることで世界が激変する。
そうなると、今の世界の激変は「思いこみ」が激変しているから起こっている一時的なマイナス現象なのでしょうが、マイナス面が大きく見えれば見えるほどプラス面も大きくくっついているという事なのです。
まあ、大波小波、個々の人によって全部内容も質も異なっている変化は避けられないでしょうが、それは必要あって起こるものとして受け取ることで、おなじ事を起こっていてもまったくその質を変える事ができるのではないかと思います。
大峠、他から登らされると思うか、自ら登っているのだと思うか
やっぱり自ら創造して自ら体験してきた最後の山登りは自分で頂上にたってこその喜びなんだろうなあ・・・・
支離滅裂な新年の書き込みでした。
あんてたって、指が勝手に・・・・・