運がよい、運が悪い
何気なく使う言葉。 しかしその「運命」とは何か?
おそらく他者との比較で変化してしまう価値観なのかも。
絶対的な運命というような、固定した状態は無いのでしょう。
個人によってその判断は違います。
ある人から見たら運がよいと言うし、別の人からみたら運が悪いと言う。
しかも、自分でみても果たして運がよいのか悪いのかも分からないわけです。
それは時間と供に変わってしまう。
あの時は運が良い(悪い)と思っていたのが、時を過ぎたら運が悪い(良い)と気づいた。
しかし、その時の判断のまた時が過ぎると反対に思えたりして。
どこまで行っても固定された運命などあり得ないわけです。
ただ、その一瞬の時の状態、状態と言っても感情的なものが入るので、運命の良し悪しなど決定出来ないものです。
しかし、他者との比較という点でいつも運命を決めると固定しやすくなります。
それには幸不幸の判定まで加わりますが、その固定する者は一般常識という様なあるような無いような線引きがされるだけの事でしょう。
人の病気、死も究極的な運、不運で判断しがちですが、それは幸不幸の判定とも似ているというか、同質なものかも知れません。
どちらも本当は固定された価値のあるものではないから、結局は社会の平均的な常識観でしか人は較べるものがない、そんな常識観など世の中の移り変わりとともに変化してしまうものです。
さて、へりくつを並べてみましたが、運命とは?
運を良くする方法とか、運命を改善するとか・・・・
そんなものが本当にあるのかどうか分かりませんが。
そもそも、そんな運命を変えたいと思うところには、自分の運が悪いという決めつけが成されるからでしょう。
決定づけているその裏には運命標準表でもあるのでしょうか?
そんなものは無く、ただ他人様からみて自分は運が良いだの悪いだのと決めているだけのこと。そういう人が他人の運まで決定してしまったかの様に査定してしまうからです。
この地球上に神が人間を通して体験をする
という大前提を認めるとしたら、
運の良い悪いなど、全然ナンセンスな考え方だと分かります。
体験するのに、例えば財産とかをあげれば金持ち、貧乏となります。
しかし、貧乏体験を神の体験として望んできたのなら、途中で大金持ちになったとしたら、それこそ運が悪いという事になり、また次回に貧乏体験をやり直さなくてはなりません。
人に虐げられるとか虐待される体験を選んできた神の代理人としては、誰かにその悲惨な運命を助けられてしまったとしたら・・・・
目的から見たら、選んできた運命を途中で挫折してしまったということになり、それこそ運がついてないことになります。
要は喜怒哀楽の体験をしたくてうずうずしている冒険者達にとって、運というのはあらかじめ決めて来たテーマに沿って人生が送られるかどうかなのです。
他人様から見たら運が悪いと見えても、それは自分の選択した体験コースだとしたら、少しも運が悪くないわけです。皆が同じ体験をするという地球上のゲームだとしたら、おそらくあまりにも単純過ぎて「おかしくもおもしろくも何ともない」世界になるでしょう。
例えば最近起こった悲惨な事件。
これを当事者達も周りの人たちも「なんと運の悪い事が起こったのだろう」と嘆き悲しむのは至極当然の事です。
そこには悲しみと無くなった方への愛情とか、そして加害者への憎しみとか怒りがわき起こるはずです。
ただ、それは自然ではあるが、そのままその感情を引きずり続けると、とても辛い人生となります。それもその体験を欲してきたと言えばそうでしょうが・・
しかし、今の時代は冷静、いや、霊性回復の時代だと
「魂のインターネット」
というHPで書かれていました。
そろそろ、運命とは何かを忘れてきた奥の部を公開してしまうという人類にとっての大イベントが始まったようで、その前兆のひとつとして様々なチャネリング情報があちこちで聞かれます。
そのひとつ、運命論
(ああ、自分で書いておいてこのまえがき、ほんとかいな??)
お後の方がよろしいようで・・
ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー
運命
少し単純に言うと、
運命とは、自分が許した現実の創造と言う事です。これが、運命です。
この許した事が、どの時点で許したかによって、その性格が変わるという事です
根本的なホーリー・スピリットの部分で許した現実ならば、それは、変更は難しいでしょう。
ところが、感情のような表層的なものであるならば、幾らでも変更が可能です。
また、先の話と矛盾するかもしれませんが(実際は、矛盾しない)、パラレルワールドの考えを導入すると、あらゆる現実を変更する事が、可能となります。
ところが、神との契りに関しては、あらゆるレイヤーに行き渡るので、変更は、ままなりません。
理解できますか?
そのメカニズムを知らない限りは、変更できないのです。
出来る場合は、あなた自身が、止めるだけです。
ところが、自己の求めるものは、自己の拡大ですので、神との契りを止める事は、拡がりのチャンスを失う訳ですから、先ず遣らない事になります。
ただ、感情面の恐れで止める事はありますが、促されるでしょう。
衝動が強いのですから・・・・
● これは、あなたと私が、一つであると言う事から決定されました。
止めるのであれば、止められますが、しかし、私の一部がそれを許さないでしょう。
神である私の部分が望むのです。
また、あなたの神でも在るのですから・・・
ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー
と、まあ、ボクの解説はどうやら的外れな面もありますが、それはそれとして
(おい誤魔化すな)
運命を変えるという事は奥の意識としては変えたくないというものらしいです。
ただ、浅い次元というか感情次元では変化できるらしいですね。
まあ、
表面意識が「運が悪い」と思っていても、奥の自分は「とても順調に行っている」とほくそ笑んでいるかも?
だから、いくら変えようと努力しても、後押しの方があって向いているかも(笑い)
まあ、運の悪いという体験をしているのが私と神とか何とか言って開き直るしかないようね。
そのうち、
何年かして
ああ、あの時苦しかったけど、
今になって分かった。
絶対あれは必要だったんだなあ・・
と感謝している自分が居るかも。
最後まで分からなかったら、
まあ、次回にお楽しみが待っているでしょ。(自分で選べばのはなしだけど)
しかし、
本当におまえそれで納得しているのかい??
う~~~~ん
あら、悩んじゃってる?
ベンツが悪いの?