経済と生命のどちらを選ぶか取捨選択の自由は国民にあり。 | akyoonの異端の医学と不思議な情報

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医学や健康医療の【トンデモ論】を主としています・
本人はいたってまじめ。 しかし自分で自分を検証できないので、眉唾と取捨選択が必要。

「地震についての記事は当分お休みします」


と、書いた翌日からまた書いている懲りないやつ。


 


これは始まりであり、原発の危機はこれからも起こる可能性が非情に高い。


 


これはもう、経済が大事か、生命が大事かの瀬戸際の選択が差し迫っていると感じます。


 


 


小松英星氏のHP、Q&Aより


一部抜粋ーーーーーーーーーー(強調や改行を入れてあります)ーー


DATE:2011/03/22


URL:http://homepage3.nifty.com/gaia-as/qa11c.html


  


) 日本の原発を全廃したい


 




(Q) 突然のメールすみません。
前略


世界的にもエネルギーの高いこの日本で、原子力に頼らねばやっていけないということは絶対にないはずです。

そのようなライフスタイルに移行するためにも、今メノマエノ危機を何とか乗り切らねばなりません。
そこで、全世界の心あるみなさんの力をおかりして、J行をおこないもんじゅの停止をさせることはできないものでしょうか?



(A) 拝見しました。

「もんじゅ」は、主燃料としてプルトニウムを使うこと、そして冷却材として水(軽水や重水)ではなく金属ナトリウム(液体ナトリウム)使う点で、現に日本を含め世界中で稼動している他のタイプの原発と決定的に違っています。

この原発の、特別な危険性については次に書いた通りです。

http://homepage3.nifty.com/gaia-as/nuke.html




しかし「もんじゅ」は、原子炉停止中で稼動していません。

ここに至るまでに、1994年の「初臨界」直後の1995年に、最も懸念していた「ナトリウム漏洩事故」を起こして、昨年5月に電気出力40%で「再臨界」を「でっち上げる」までに15年を要しました。

ところが同年8月に、今度は「炉間中継装置の落下事故」を起こしました(担当課長が自殺するという悲劇まで起こりました)。

関係者はいまだに「安全」を喧伝し、今や実用ではなく「メンツだけの臨界」のために執念を燃やしているようですが、この炉が陽の目を見ることは、もはやないでしょう。



それに、ご存知と思いますが、「もんじゅ」は日本海側(敦賀市)にあります。

東海地震を、特にそれに付随する津波を心配するなら、御前崎市にある中部電力の浜岡原発でしょう。

いずれにしてもガイアは、地震学者たちが過去の統計に基づいて計算した「警告」や、いわゆる「預言者」たちの筋書きに沿って行動しているわけではありません。

具体的データを抜きにして「明日地震が起こる」と言えば、この地震国では、50%以上の確率で「的中」するでしょう。



不幸にして原発は、その本質的な危険性が見逃されたまま、いつの間にか電力供給の約4分の1を占めるまでに肥大化してしまったので、国内の電力供給の帰趨に大きく影響します。

したがって、それからの離脱は、産業界を含む国民的合意の形成が不可欠で、「J行」になじむ性質のものではありません。

ここで大きな難関は、「地球温暖化」を実質的に最大の環境問題とする全世界的な人心誘導(いわば陰謀)に、日本だけでなく各国が「国を挙げて」嵌っており、原発がその問題解決の切り札になると多くの人が信じ込まされていることです。



本当の地球環境問題は「温暖化」ではなく、大気、陸地そして海洋の汚染で、中でも最大の問題は、原発が出す放射線による地球(ガイア)とその生きものへの加害です。

ここでいう原発には、イギリスのセラフィールドや、フランスのラ・アーグのような「(使用済み核燃料の)再処理工場」を含みます(事もあろうに日本では「六ヶ所村」を、その仲間に加えようとしています)。

それだけでなく、長期にわたって放射線を出し続ける(使用済み核燃料を含む)核廃棄物も広義の「原発」に含みます。



今回の「福島原発事故」が、「原発というシステム」の本質と、その広範にわたる危険性を日本国民に強く印象づけたことは間違いないでしょう。建設に十数年を要し巨費を注ぎ込む原発が、如何に幼稚な「安全技術」に依存しているかを。

世界中が「フクシマ」に注目するのも当然です。

誰も予想しなかった「副産物」を、「東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)」がもたらしてくれたわけですが、これをどう活かすかが、いま日本国民に問われていると思います。



確実に言えることは、いま建設中または計画中の原発が実用に供されることは、もはやないということです(東北電力東通原発2号機、東京電力同1,2号機、東京電力福島第一原発7,8号機、中部電力浜岡6号機、日本原発敦賀3,4号機、中国電力島根3号機、九州電力川内3号機---以上は既存立地への増設。電源開発大間原発、東北電力浪江・小高原発、中国電力上関原発?---以上は新立地)。



問題は、電力需要が大きく伸びているわけでもないのに、なぜ電力各社が原発の新設にこれほども執念を燃やすのか、不思議に思いませんか。

それは原発が「ゼニになる」からです。認可制になっている電気料金の算定において、総コストに上積みする電力会社の利益部分が、稼動設備残高にリンクする仕組みになっているのです。

設備を増やせば増やすほど、利益が増えるというわけで、その最も効果的な手段が原発なのです。

実質的に「過剰設備」になろうと、稼動しているという名目さえ立てば、利益に繋がる・・・。

例えば、超大型の原発7基を持つ「世界最大の原発」柏崎刈羽(東電)の全基が、新潟県中部沖地震のために約2年半にわたって停止した時、特別の「騒ぎ」にならなかったことはご記憶と思います。停電もなく、街からネオンサインやライトアップが消えたわけでもなく。

この仕組みは、戦後の早い時期に電力不足が深刻だった頃、電力会社へのインセンシティブとして導入されたものですが、いまだに抜本的に見直されることもなく運用されています。



この先を展望して最大の問題は、「原発というシステム」が持つ放射線を、この地上から消し去る技術を現時点では人類が持っていないことです。

それは、原子炉本体、使用済み核燃料、それを再処理して取り出したプルトニウムや高レベル放射性廃棄物、再処理工場の処理施設など、いずれも「核物質の放射能まみれ」で、放射能が消えるまでに何百年も要するのです(その間、ガイアや地上の生きものを加害し続ける)。

ところが、それらを最終処分または保管する場所がどこにも見付からない(そんなことを真剣に考えずに原発に手を染めてしまった)という問題です。



一方、太陽光発電をはじめ、ハイブリッドカーや電気自動車など、いわゆる「エコ」として喧伝されているものは、いずれも「まやかし」で、製造段階で資源や排出を「先出し」して、その回収(効果の発現)には何年もかかるという代物です。そして、補助金などの注入がなければ、おそらく最終的にも採算に乗らない。



結局、これらの問題解決は、「(人類が既に持っているが「シャドウグループ」が取り上げて隠匿している)フリーエネルギー」の実用化しかないでしょう。それを、宇宙の同胞たちの支援を得て磨き上げ、早期に実用できるようにする。

「核物質の処理」も、その延長上に来るでしょう。

「核」に直接向き合うよりも、宇宙に目を向けて皆が目を覚ますことが近道で、これから2年足らずの期間に出来ることは、それしかないと考えています。




DATE:2011/03/22


URL:http://homepage3.nifty.com/gaia-as/qa11c.html



 ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー


 


 


 


 


 


   どうやら、復興第一でありながら、それだけでは終わらない様な感じです。   


起こったことには冷静に対処して、これから起こる可能性に対しては迅速に対応する。


 


つまりそれが恐怖や不安というよりも、これこれこうなったら、こうなる」という予測が出来るわけです。


それを「万が一でも起こるはずがない」 とか「大丈夫だ」とか言っても、それこそ科学的判断ではないですね。


 


これは別に霊能者達の予言とかでは無い、まったく「こうなればこうなる」という物理的な法則で考えてみれば分かることです。


 


起こったことに対して恐怖することと、これから起こるかも知れないことに用心する、備えをするという事では意味が違うのです。


 


原発事故には「もしも」という事が想定されていないのです。


それは「想定外」という言葉に置き換えられているのです。


もしもこうなったら、どうなる?どう備える」という事をまったく無視したのが今回の福島原発の人災とも言えます。


もちろん、地震は自然ですが、起こる可能性のある事に対処しなかったこと、想定さえも無視していた事が人災となるのです。


 


では、これから起こる可能性が高い事を「想定」すれば誰の目にも明らかになっているのが東海地震の可能性であり、そこに厳然としてあるのが浜岡原発だということです。


 


いま福島原発の様に「想定外」の震災が襲ったらどうなる?


これを考えたら、やはり、今は一時でも良いですから、最高の震度の地震に耐えられない事は「想定内」です。


この事をもしも「想定外」としてしまったら、もう起こってから対処のしようがない、最悪の事態も「想定」しなくてはならない。


我々が「想定する」ものはあくまで「自己都合の良い想定内」です。


「都合の悪い事」は「想定外」にされて、万が一でもあり得ないとされてしまいます。


 


上のの記事を読んで、原発は世界の銭儲けの為に推進されてきたという意味が分かりました。  原発に替わるフリーエネルギーは既に出来ているのでしょうが、それを表に出しては銭儲けにならないという、まことに不誠実な意識であったのです。


それで、国民(日本だけではない)が一番被害を受ける事になるとすると、もう日本人は大人しいだの、整然としているだの、と国外から感心されている時ではないでしょう。


 


もちろん、暴動とかは論外ですが。


それぞれ個人が口に出すべき時です。


もう原発は危なくてイカン。 要らない。


 


100万が一安全となるまで使うな! 


命あってのものだねだ。と。


声を出さないと。