を借りて来て読んだんですけど、これは気功家との対談なんですが、手かざしとか遠隔治療について実体験にもとづいた話しになっています。
気と言うけど、これにいろんな名称を付けているのが現状ですが、要するに宇宙からの無限エネルギーを人を介して使えるという様な話しです。
宗教で独占していると思うのは勘違いで、本当は誰であってもそれが出来るものです。しかし、それが「出来る」と確信できるまで少々の時間はかかるかも知れません。
要は本人の意識がある程度それを「認める」ことなんでしょうが、そうばかりでもなく、ある時突然できる様になる人もあるようです。
宗教の手かざし療法は、はじめにそれを本人が認知するために「お守り」等の一種の添加剤的なものを使いますが、これも一度これを認知できると後は無くても出来ると思います。
だから、特に今やっている人だけの特権でも特技でもなく、本当は誰でもできるのだろうという考えがあります。
要はそれを「出来る」という意識が一度あって、もしくは不意に出来た時に、それを「認める」という事後処理的な認識でも良いと思います。
この地球上で誰かがやったことは、人類すべての人がそれをやれる可能性があるというのが事実だと思います。
ただ、ちょっと先を歩いている人とちょっと遅く歩いているだけの差でしかなく、本来は優劣の差は無いというのがこの宇宙の法則だということです。
だから、今ひとより出来たからと言って特殊とか霊位が高いとかいう思いこみはつまらないというか、後で汗をかいてしまう自分になってしまうと思います。
それをイエス様は強調したかったのでしょうが、また、お釈迦様もそれを既に知っていて為、本当は説教などは要らないんだとしたんでしょうが、それも時代の要請があったのかどうか、本当の事は伝えられないで、人と神仏の差があまりにも離れているという様になって、それが宗教になったとのでしょう。
治す人も治される人も本当は対等だということを知ることで、癒しというのが他人を治すことでなく、自分を癒すことであると言うこと。
そして、治して貰う人はそういう場を与えてくれる人であり、病人とか言ってどうも低い立場の人の様に思い、治す側がなんだか高い立場に居るという錯覚を起こしていると思います。
これも文字ではちょっと表現しにくいのですが、何とかニュアンスで解釈できればと思っています。
魂では病気を経験するとしていたら、いくら有能な霊能者であろうと、世界一のヒーラーと言われる人であっても、それを越える事はできないでしょう。
だから、治るものは治るし、治らないものは治らない
と言うように、魂レベルのところで一致していないといけないのかと思うのです。
書いてみて、これはどうも説明というか、分かって貰えないような気もしますが、水をくんでやっても飲む方が飲まないと成果は無しというような・・・
これも僕のひとり思いこみかも知れませんが、宗教はこれに優劣をつけてしまったのが欠点なのかな?
治す方が優、治される方が劣・・という風に。
この気功家も言ってるのですが、自分が治すのでなく、自分を通して治すという。
要はデンシンバシラが威張ったって仕様がないってことで、これは結構むずかしいのですね。
どうしても治す側は天狗になります。自分に少しでも力があるかの様に感じるんですから。 いくら謙虚になろうとしていても、周りから影響を受けるんです。
ま、これが人間なんでしょうけど。
僕? もちろん、ちやほやされるともう一発ですね。 先生って言われたい(爆)