生涯、書と陶磁器に鬼才を発揮した、北大路魯山人は、1915年、山代温泉、九谷焼窯元、初代須田青華のもとを訪れ、陶芸の絵付けを行い、作陶に目覚めたそうです。 吉野屋旅館別荘で約半年間暮らした、その別荘跡で、刻字看板を彫った仕事部屋、書や絵を描いた書斎、茶室、庭園、土蔵などが、一般公開されていました。
 
 北大路魯山人は、1883年、京都、上賀茂神社の社家で生まれましたが、不遇な幼少時代を過し、20歳で書家を目指し上京、篆刻家、画家、陶芸家、書道家、漆芸家、料理家、美食家などの顔を持ち、生涯6度の結婚もすべて破綻、美を求め、美食を極めて、生涯を自由奔放に生きて、1959年、76歳で亡くなったそうです。
 
 「食器は料理の着物である」「低級な食器で甘んじているものは、それだけの料理しかなしえない」など、料理と器が一体となって、はじめて真の美食になると唱えたそうです。 「料理とは、単に舌先だけで味合うものではない。器がくだらないものでは、料理も生きない」と、使い勝手が良く、料理が映える器を追求したそうです。
 
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 庭園を眺めながら、魯山人の茶碗でお茶菓子をいただきました。 土蔵に中で、魯山人の作品が観賞できましたが、撮影禁止でした。                        ( 2月17日 )