1701年、浅野内匠頭長矩が江戸城で刃傷事件が起こり、即日、切腹。 1703年末、赤穂浪士47人による吉良邸打つ入りがあり、翌年2月4日、幕命により、熊本藩下屋敷で17人、松山藩上屋敷で10人、長府藩中屋敷で10人、岡崎藩上屋敷で9人がそれぞれ預かり藩邸で、切腹となりました。 足軽だった1人は不明だそうです。
赤穂義士四十七士の墓所のある、「花岳寺」の境内で、約250年前に造られた四十七義士の木像や、大石家代々の持仏千手観音像、義士関連の資料を展示した宝物館など見てまわりました。 また、江戸で切腹したという報に町民は非常に悲しみ、寺の鐘をつき尽くしたため、ついに鳴らなくなった「鳴らずの鐘」がみられました。









赤穂藩歴代藩主の菩提寺、「花岳寺」で、四十七士を偲んだあと、城下町をまた5分ほど歩いて、赤穂城跡へ向かいました。 ( 2月4日 )