僕は約20年新聞社に勤めていたこともあって、
これまでに数万枚の写真を撮影してきたが
コンパクトカメラでも、
一眼レフでも、
こんなものが写ったことは一度もなかった。

 

 

 

これはたぶん、
光学的に説明のつく現象なのだろうが、

それはあくまでもメカニズムの解明であって、

根本的な原因へのアプローチではない。

 

 

 

ようするに僕が知りたいのは、
なぜ姉弟がキジムナーを呼んだときの写真にだけ、
こんなものが写り込んだのかだ。

 

 

 

現物がこれだ。

 

フラッシュをたいたわけでも、

水しぶきが舞ったわけでもない。

 

 

 

もちろん絶妙のタイミングで起きた

光のいたずらなのかもしれないが、
偶然という「万能のカード」を便利に使い過ぎると
ときに真実から遠ざかるのも確かだ。

 

 

 

先の大戦で人に幻滅し、
姿を消してしまったキジムナーたちだが、

ここに写る不思議な光は、

興味と不安、

好奇心といたずら心を込めて放った

子供たちへのメッセージだと

僕は受け止めた。

 

 

 

 

「大人の僕も、君たちと友達になれるかな」

 

 

 

 

 

この地上から

残虐極まりない戦争と

みるに堪えない自然破壊がなくなったとき、

キジムナーたちが

ふたたび姿をあらわすかもしれない。

 

いつかそんな時代が訪れるよう、

僕も娘も息子も妻も、

この聖地の拝所(うがんじゅ)で

心からの祈りを捧げた。

 

 

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