No.194 教育ハラスメント?  
原 田 京 子 ( 児童文学作家 ) 
「教育ハラスメント」という言葉を最近耳にしました。「パワーハラスメント」や「セクシャルハラスメント」、「モラルハラスメント」などの言葉はよく耳にしますが、「教育ハラスメント」という言葉が果たしてちゃんとした単語として存在するのかはわかりません。どうやら親から子へのハラスメントのことを指しているようです。
 考えてみると、上司から部下、男性から女性(またはその逆)などで生じるパワハラやセクハラと違って、親から子へのハラスメントとなると、そこに血縁関係が存在するだけに、その関係を絶ってしまえばそれで終わり、というわけにはいきません。ことに、それは大人から子どもとへというパワハラ以上のハラスメントが存在しますから、それを受ける子どもたちにとっては重大な問題になるでしょう。しかも、親からすると、子どものためと思ってやっている場合が多いので、余計やっかいです。教育ハラスメントを受けて育った人は大人になっても、親から言われた言葉がトラウマとなり、一生心の傷として残るようです。
 教育ハラスメントという言葉が最近になって聞かれるようになったのは、これまでもその類のハラスメントがたくさん存在してきたにもかかわらず、それをハラスメントとして認識していなかったからでしょう。つまり、それらの親からの言葉が「ハラスメント」ではなく「教育的指導」としてとらえられていたからではないでしょうか。いいかえるならば、すべては子育ての過程で親から子へ愛情に基づいて発せられる言葉だと思われていたのです。
 考えなくてもわかることですが、子どもにとって親からの言葉は絶対的な意味を持っています。子どもは小さくて弱い存在ですから、大きくて強い存在から発せられる言葉はそうならざるを得ないでしょう。ましてや自分を愛してくれていると信じている存在から発せられる言葉ならなおさらです。
 しかし、「あなたのためを思っていっているのよ」に始まり、その言葉がさらにエスカレートしてくると、もうその言葉は子どもの心を傷つける武器以上の何ものでもありません。しかも、立場上逆らえないなら、子どもたちは愛情に名を変えたその言葉という武器によって一方的に傷つけられて、しまいには立ち上がれなくなってしまいます。そして、親からすると、黙って聞いている子どもの様子を見ながら、「ああ、わかってくれたのね」と勘違いし、その後さらに言葉の武器の威力はエスカレートし、もはや子どもたちから「抵抗」という言葉は消え、ひたすら萎えていくしかないのです。そうやってその小さな体で親からの言葉の暴力に耐えている子どもたちはすごいと思います。パワハラに耐えている大人よりすごいでしょう。それだけに、親の言葉に対して「口答え」という形で反抗できる子どもたちはまだしも、じっと耐えている子どもたちの心境を考えるとかわいそうでなりません。
「こんなこともできないの」「どれだけいったらわかるの」は序の口。とても文章としてここに文字化できないような、聞くに堪えない言葉を日々浴びせられている子どもたちがたくさん存在するようです。こんな言葉ばかり投げかけられると、子どもたちはもはや立ち上がれなくなり、「自分はだめな子なんだ」と自己否定をするようになります。自己肯定感を持つことができなくなるのです。日々、言葉の暴力に耐え忍び、傷つき、その傷は次第に深くなっていきます。そして、大人になったとき、おもわぬ形に変化して現れるのです。
 いろいろな文献を調べていくと、親からのハラスメントを受けて育った子どもほど自分の子どもにもそれをやってしまう、というハラスメントの連鎖について書かれていますが、いずれにしても、親からハラスメントを受けて育つと、自分が親になって同じことをしてしまうか、逆に、自分だけは親の二の舞はするまい、そう考えるかのどちらかでしょう。子どもにかける言葉に過度に敏感になる必要はありませんが、子どもは大人が考えている以上に大人からの言葉を真剣に受け取っていることは大いに自覚していたほうがいいと思います。
 そんなことを考えながら、私は自分の親から受けた教育について思い出してみました。
 私が親に対して大いに感謝をしているのは、親から「勉強しなさい」といわれたことがなかったことです。両親共に働いていたせいもありますが、あまり教育的な指導を受けた記憶がありません。いつも忙しそうに働き、人に頭を下げている両親の姿しかおぼえていないのです。それでも、勉強をする環境は与えられていたし、本もたくさんありました。ですから、私は今でもそうですが、勉強をすることが好きです。何かを自分から始めたり、調べたり、そして、本を読んだり、そんなことが大好きです。
 これまでのコラムでも書いてきましたが、大学受験をする頃には、父は病気で入院していたので、経済的な理由から受験する大学の選択肢はひとつ。地元の国立大学というのが受験の唯一の条件でした。そうして、大学に入学し、心理学という学問に出合ったのでした。その後の大学院受験に関するいきさつなどは過去のコラムにも書いたとおりです。つまり、様々な理由で選択肢が限られたとしても、自分が何をやりたいかをしっかりと把握していれば、自ずと道は開けてくるものです。大切なことは、選択の岐路に立たされたときに、自分でどちらに進むべきかを判断して決定し、選択した以上はすべての責任を自分で負うことだと思います。
 教育的指導の名の下にいつのまにか子どもたちが何をやりたいかを見つける前にその自由な思考を遮断してしまうような環境を、親自らが作り出してはならないということでしょう。子どもは未知なる可能性を秘めています。その可能性の芽を育て、大きく花開かせてあげるためにも、親からの言葉の暴力によって子どもたちを萎縮させることなく、自由に羽ばたけるような環境を作ってあげることが大切なのだと思います。
2024-04-01 更新