No.205 幼児期の先取り教育は逆効果だったPart2  
原 田 京 子 ( 児童文学作家 ) 
 先月のコラム『幼児期の先取り教育は逆効果だった』、いかがだったでしょうか。
 今月はその続きですが、輝ける未来のために子どもたちはどんな能力を身につけていけばよいのか、親たちはそのためにどんな手助けをしたらよいのかということを考えていきたいと思います。
 先月に続き「そら幼稚園」創立者の中内玲子さんの述べていることを引用します。
「小学校に上がる前(6歳頃まで)は、先取り教育をするにしてもほどほどに、遊びや能動的な活動を優先して時間を使ったほうがよいと考えています。それは、『この時期にこそ身に付けたい力』があるからです。主体性や探究心、社会的スキル、他者への思いやりなどです。なかでも社会的スキルは、何を使って遊ぶか友だちと相談したり、ケンカをしたりしながら育まれるもので、与えられたタスクをこなすだけの学習では育てられない力です。
 6歳までは『脳の基礎体力』を育てる時期です。基礎体力ができていないのに、あれもこれも覚えさせ、何時間も勉強させ、さらにその結果を出せと求めるのは無茶というもの。小さいうちから無理に勉強をさせたいがために子供が勉強嫌いになってしまったら、本末転倒です。
 子供の成長を植物に例えるなら、親の役割は子供が自ら育つための『よい土壌』を作ってあげること。それが、この『脳の基礎体力』です。それによりどのような方向にどう育つかは、その子次第。その子が生き生きと育つ良い土壌を作るためには、親はまず『その子の成長のためにはどのような土壌を用意すればよいのか』を知ることが大切なのです」。
 さらに中内さんは子供の『脳の基礎体力』を上げるために次の『SMILE』を育むことこそが、大切なことだと考えています。
S:Social Skills:心からの思いやりをもって人と接し、よりよい関係を築いていける社会性を育みます。
M:Manners:美意識を基に、あいさつや食事など、日常におけるさまざまな生活習慣とマナーを身に付けさせます。
I:Interests:好奇心を大切に、みずから学び、表現し、未来への可能性を広げていく姿勢を育みます。
L:Languages:国際的な感性を養い、多様な文化への理解と言語を修得し、世界の人々と向き合い、理解し合える語学力を育みます。
E:Enthusiasm:自信をもって考え、行動し、その先に出会った疑問や興味に対して、粘り強く追求する意欲と熱意を育みます。
 最後に中内さんは、これから世界で求められ、子供が自分の才能を生かして世界で羽ばたくために欠かせない力として「自己肯定感」「考える力」「意志力」「社会的スキル」「国際的スキル」の5つがあると述べています。
●自己肯定感
すべての力の基盤となるもの、子供の成長における「栄養」のようなものです。自己肯定感がなければ、意欲や行動力、コミュニケーション能力などが育ちませんし、子供の持てる力を十分に発揮することができません。日本人は特に自己肯定感が低いので、最重視したい力です。
●考える力
 豊かな想像力や感性、思いもよらない発想、ものごとを分析する力や自分で考えて判断する力です。まだ言葉を十分に話せない1歳の子供でも育てていくことができ、さまざまな体験や遊び、読み聞かせ、美意識を育てる家庭環境が、これらの力を養います。
●意志力
 自分のやるべきことをやり遂げるために、自分の思考や感情、行動などをコントロールする力です。非認知能力に含まれる忍耐力や自己制御能力は、意志力を養うことで身につきます。似たものに「実行機能」がありますが、幼児期に実行機能を身に付けるかどうかが、その後の人生にも影響すると言われています。
●社会的スキル
 協調性やコミュニケーション能力、共感する力、これからの世の中に欠かせない非認知能力です。また次の国際的スキルは、この社会的スキルがなくては育ちません。
●国際的スキル 
 小学生になってからでも子供はどんどん学び、ぐんぐん成長しますが、主体性を育て、好奇心や探究心の基礎を育み、社会的スキルを身に付けるにベストな時期は、小学校入学前だといいます。そのため、先取り学習に熱心な親御さんを目にするたびに、「今、必要なことをやらせてあげなくて、いったいいつやるの?」と歯がゆい思いをしたと中内さんは述べています。わが子に幸せな人生を送ってほしいと願うなら、親の役割は、たくさん与えたり、先取り教育をさせたり、あれもこれもさせたりすることではなく、
 ☆子供が自分らしく輝くための手助けをすること。
 ☆子供を信じて、自立できるようにすること。
 ☆そのための土台となる環境づくりをすること。
 この3つの基本姿勢を保つことこそが最低条件として必要なことであり、親の愛情だというのです。
 今月のコラムに引用した内容についてさらに詳しく知りたい方は、先月も紹介しました著書『シリコンバレー式 世界一の子育てー子どもの才能を120%伸ばすために親ができることー』中内玲子著(フローラル出版)を参考にしてください。
※今月の写真は、私が最近読んだ本達です。
 

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2025-02-28 更新
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No.204 幼児期の先取り教育は逆効果だったPart1  
原 田 京 子 ( 児童文学作家 ) 
 私の愛読する『PRESiDENT Online』にショッキングな見出しの記事が掲載されていました。記事のタイトルは、以下の通りです。
・幼児期の先取り教育は逆効果だった
  …「小学校4年生で成績は逆転する」
・衝撃の研究結果と本当に必要な早期教育
・親なら知っておきたい早期教育の意外な弊害

 この記事を書かれたのは、日英バイリンガル幼稚園「そら幼稚園」創立者の中内玲子さんです。「幼児期の先取り教育」といえば、幼い頃の息子の身近に早期教育を行う家庭がたくさんあったこともあり、私は早期教育の是非について知りたくなって、40才を前にして子育て真最中に大学院へ進学し、修士論文のテーマを「早期教育」としたのでした。そして、私の修士論文の結論も、「早期教育」の「負の側面」を見い出すに至ったので、やっとこうしてはっきりと早期教育を否定する意見を述べた記事が掲載される時が来たのだと思っています。
 かつてのコラム『鳶は鷹を生まない』でも述べているように、子どもひとりひとりそれぞれにちがっているので、やみくもに将来学習する内容を先取りして教育しても意味がないのです。それどころかそれによって子ども時代の大切な時間を奪ってしまい、楽しいこと満載の子ども時代の経験をしないまま大人になってしまうことになるのです。
 ひと昔前「先取り教育」がマスコミなどで大々的に取り上げられていた時期がありました。最近ではあまり耳にしなくなったと思っていたのですが、どうやらそうではないようです。ですから、このような先取り教育を否定するような記事が掲載されるのだと思います。この記事には私が修士論文でも書いたような内容と同じようなことが書かれているので、記事から引用して述べてみます。
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 幼児期に勉強中心の生活を送った子供たちが、その後どのように育ったか、アメリカのボストンカレッジで心理学の研究教授を務めるピーター・グレイ教授の興味深い論文があります。
 そのひとつが、1970年代にドイツで行われた大規模な比較調査。アカデミックな教育を導入した幼稚園の卒園生と、導入していない幼稚園の卒業生について調べたものです。ここでのアカデミックな教育とは、小学校で習い始めるような学問的な学びのことを指します。それによると、アカデミックな教育を導入した幼稚園に通っていた子供たちは、小学1年生時の学力テストでは他の子供たちよりも成績が良かったといいます。 
 しかし、その後徐々にその差が薄れ、小学4年生になる頃には、比較されたすべての尺度で、アカデミックな教育を導入していない幼稚園に通っていた子供たちよりもスコアが低くなる結果が出たというのです。特にリーディング、数学のスコアが低く、社会的・情緒的な適応度も低かったといいます。
 これは、早期教育が思ったほど有益ではないということだけではなく長期的に見ると早期教育が弊害を引き起こす可能性がある証拠であると、グレイ教授は指摘しています。その弊害は、特に社会的・感情的な発達の領域に見られるとされています。
 もうひとつ、日本での研究をご紹介しましょう。お茶の水大学の内田伸子名誉教授らの研究チームが、決められた時間に先取り準備教育を行う「一斉保育型」と、遊びの時間を多く取る「自由保育型」の幼稚園や保育園の園児たちを対象に、読み書きの力や語彙力にどのような差があるかを調査したものです。
 その結果、どちらの保育型でも読み書きの力に差はないものの、語彙力については「自由保育型」の園児たちの得点が高いという結果になりました。しかも、その差は3歳よりも4歳、4歳よりも5歳と、年齢が上がるほど開いていったのです。
 読み書きや算数などの早期教育を受けていた園児たちの語彙力が低いのはなぜなのでしょう。
 この研究チームでは、自由保育型の幼稚園での、子供たちの「知りたい」「やってみたい」という気持ちからくる能動的な行動や机上ではなく直接触れて感じた体験、遊びを通した試行錯誤の回数、お友だちとの言葉のやりとりなどが、より多くの語彙を脳に植え付けたのではないかと見ています。
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 息子に関していえば、早期教育はまったく無駄な努力でした。なぜなら、息子は外界への好奇心が旺盛すぎて、じっと机の前に座っているという行為が不可能だったからでした。そもそも家の中に閉じ込めること自体が無理なことだったのです。もし、そんなことをしようものなら、あの手この手で脱出する術を考えたにちがいありません。
 というわけで、私が息子への早期教育を断念したおかげで、息子は近所にたくさんの友だちに恵まれ、朝から暗くなるまで外で思いっきり遊んだようでした。そして、その後、一斉保育ではなく自由保育の幼稚園を自ら選んだおかげで、息子は実に自由にのびのびと楽しい幼稚園生活を満喫したようでした。
※今月のコラムの内容に関する過去のコラムは、№.146『Gifted』、No.162『心理学という学問との出会い』、No.163『早期教育への疑問』などです。読んでいただけると、さらに詳しく理解していただけると思います。 
 息子は幼稚園だけでなく、小学校、中学校、高校、大学と、すべての学校選択を自分自身で行い、実に親の私も羨ましいくらいの楽しい学校生活を送り、素晴らしい友人たちに恵まれたのでした。
 今月のコラムで引用した記事にはまだまだたくさんの有益な情報が含まれていますので、来月のコラムでもこれらの記事を引用して述べていきたいと思っています。 
2025-01-31 更新 

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著者プロフィール 
原田 京子(はらだ きょうこ)
1956年宮崎県生まれ
大学院修士課程修了(教育心理学専攻)

【著書】
児童文学
『麦原博士の犬語辞典』(岩崎書店)
『麦原博士とボスザル・ソロモン』(岩崎書店)
『アイコはとびたつ』(共著・国土社)
『聖徳太子末裔伝』(文芸社ビジュアルアート)
エッセー
『晴れた日には』(共著・日本文学館)
小説
『プラトニック・ラブレター』(ペンネーム彩木瑠璃・文芸社)
『ちゃんとここにいるよ』(ペンネーム彩木瑠璃・文芸社)
『タイム・イン・ロック』(2014 みやざきの文学「第17回みやざき文学賞」作品集)
『究極の片思い』(2015 みやざきの文学「第18回みやざき文学賞」作品集)
『ソラリアン・ブルー絵の具工房』(2016 みやざきの文学「第19回みやざき文学賞」作品集)
『おひさまがくれた色』(2017みやざきの文学「第20回みやざき文学賞」作品集)
『HINATA Lady』(2018みやざきの文学「第21回みやざき文学賞」作品集)
『四季通り路地裏古書店』(2019みやざきの文学「第22回みやざき文学賞」作品集)

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No.203 死ぬまでにやりたい100のこと  
原 田 京 子 ( 児童文学作家 ) 
 あけましておめでとうございます。今年もこのコラムをよろしくお願いいたします。
 年末に、昨年1年間に書き綴ったノートの整理をしていたら、人工関節置換術の手術入院中に書いたノートが出てきました。タイトルは『死ぬまでにやりたい
100のこと』。入院中だけで書いた文章はノート3冊分くらいになりましたが、その中に、退院したらどんなことをやりたいかと考えて、日ごとにたくさんの事柄をメモしていきました。日を追うごとに各項目が増えていきましたが、残念ながら100項目は思いつきませんでした。
 先月のコラムで、68才の年には何をやりたいか?と皆さんに問いかけましたので、私自身のやりたいことを、今年最初のコラムで、皆さんに紹介したいと思います。
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≪死ぬまでにやりたい100のこと≫

1 フランス語を勉強する(といっても、もう10年以上続けていますが、なかなか上達しません)。
2 中国語を勉強する(これもまたずいぶん前から続けていますが、フランス語よりはましなようです)。
3 マンハッタンに行って、パーカー先生のお墓参りをする(マンハッタンで1年間生活していたときに、私の人生に大きな影響を与えてくれた方です)。
4 もう一度パリに行き、今度はひと月ほど滞在する(これは長年の夢です。そのためにフランス語を勉強しているのですが)。
5 イタリア、とくにフィレンツェに行く(『冷静と情熱のあいだ』という映画を観て以来、行きたいと思っている)。
6 ハワイに行く。
7 ストーリーも絵も自分で手がけた絵本を作る。
8 大恋愛小説を書く。
9 自分がたどってきたトレーニングの記録をもとに、人工関節の人のためのトレーニング実用書を書く。
10 北海道に行く(北海道大樹町に我が家ができたので夏はここで過ごす)。
11 沖縄に行く(これはもう毎年1月に30年以上実行している)。
12 別府に行く(療養と称して近年毎年2月ごろに実行している)。
13 息子と共著で絵本を作る(息子は写真をたくさん撮っているので、その写真とコラボしていっしょに絵本のようなものを作り上げたいと思っています)。


さて、ここからは身近な内容になります。

14 体改造をする(筋トレをして美しい肉体を作る)。
15 部屋の片づけをする(本が増えすぎて整理整頓がままならない)。
16 洋服の断捨離をする。
16 サプリメントの断捨離をする。
18 家財の断捨離をする。
19 本の断捨離をする。
20 人間関係の断捨離をする。
21 家にあるものを断捨離する。
22 髪形を変える。
23 肌を綺麗にする。  
24 歯の手入れをきちんとする。
25 美味しいものを食べる。
26 家族で旅行をする。


そして、最後に

27 カッコイイ70才になる。


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 以上でした。いかがですか? こうやってあらためて書き連ねてみると、3番と5番と13番と27番以外はもうすでにやってきていることばかりのような気がします。
 これまでのコラムでも何度も書いてきたように、私は以下のように目標を立てて、

・ 小学校教師になる
・ 大学院で学位を取る
・ 外国で生活をする
・ ヨーロッパひとり旅をする
・ トライアスロンを完走する
・ ボディビルの大会に出場する
・ 世界で一番好きな人と結婚する
・ お母さんになる


 そのすべてを実行してきましたから、今さら新しいことを思いつくというよりは、あらためてすべてのことにおいて「始末をする」ということを考えているのかもしれません。「始末をする」とは「ものごとに決まりをつけること。片づけること」ということであり、残り少ない人生のために、すべての面において整理をしたいのだと気づきました。
 67才という寿命をクリアし、人工関節という新しい脚をいただき、あらためてこれから何をしたいのか再認識できたのです。
 今年一年も、好奇心のアンテナを張り巡らせ、様々なことに挑戦し、充実した年にしたいと思っています。皆さん、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
2024-12-26 更新 
 
No.202 非日常を経験した1年でした  
原 田 京 子 ( 児童文学作家 ) 
 今年最後のコラムになりました。最近は月日が過ぎるのをとても早く感じ、つくづく年を取ったのだなあと思っています。
 11月最後の日に68才になりました。67才の1年間は様々なことがありました。かつてのコラムで、私の寿命は67才だと書いたことがありました。どうやらその寿命はクリアできたようですが、やはり特別な年だったようです。なぜなら、人生観を変えるような出来事ばかり経験したからでした。
 67才になって約ひと月後に右足の股関節の手術を受け、その半年後には左足の股関節の手術を受けました。こうして両足が人工関節となりました。そして、その手術の合間には、北海道に我が家ができ、1年の内に2度も北海道に行くことになりました。入院という経験と、北海道での2週間余りの生活は、私の人生観を変えるほどの経験でした。その顛末はコラムにも書いたとおりです。非日常ともいえるこれらの経験は、私にとってあらためて命の貴さを再認識させることになりました。もともと「健康オタク」の私でしたが、さらに拍車がかかりました。
 さて、先月のコラムで「ハーブファスティング」について書きましたが、コラムを読んで下さった方から「ハーブファスティングって何ですか?」という質問をいただきました(このコラムで詳しく述べるのは難しいので、是非、先月ご紹介した『「毒出し」のトリセツ』(織田剛著)をご覧ください)。簡単に言うと、文字通りハーブを使ってファスティングをするのですが、「ファスティング=断食」というようなものではなく、きちんと3度の食事を摂りながら、腸、肝臓、腎臓といった内臓をリセットして本来の正しい働きに戻すというファスティングです。その際、それぞれの内臓が正しい働きをするように手助けをしてくれるハーブを使うということです。
 このファスティングは、フランス語を教えてくださった織田先生がフランスで出会ったファスティングで、私は3年ほど前から実行しています。今回、織田先生が本を出されたことで、ようやくシステマティックに実行できるようになりましたが、それまではかなり自己流でやっていました。それでも、それなりの成果が出てくることで、「人間の体は自分が食べたものでできている」ということを痛感するようになりました。ことにこの1年間は手術を2度も経験し、その経過がとても良かったことで、日ごろから自分の体は自分で守らなければならない、きちんと体に良いことをしていれば、体はそれに応えてくれるということを実感しました。
 股関節の手術において、通常は3週間ほどの入院の後、転院して2、3ヶ月のリハビリが必要らしいのですが、私の場合は、2度目の手術など、リハビリを合わせて2週間ほどの入院で済みました。手術の3日後には自力でトイレに行き、1週間後には杖をついて歩くことができました。私の手術に関わってくださった医師の方を始め、医療関係者の方々すべてに感謝すると共に、入院前日まで筋トレに励んだ私自身を褒めてあげたくなりました。現在は股関節の痛みもなく、再び週に3回の筋トレに励み、規則正しい生活をし、食事に気をつけ、健康でいられることに感謝しています。
 術後に2度にわたり北海道に旅行しましたが、大自然の中で家族と過ごした日々は、私に大きな癒しを与えてくれました。寿命であると思えた67才という年の1年を、こうして様々な思いで終えることができることは、本当に幸せなことです。
 また、この年は、たくさん文章を書いて、たくさん本を読んだ1年でもありました。この1年、私が一番口にした言葉は「ありがとう」でした。本当にたくさんの方々に幸せにしていただき、「ありがとう」という言葉が自然に口から出てきた1年でした。その感謝の気持ちをこうして文章にして皆さんに読んでいただけること、そのことにも心から感謝しています。「ありがとうございます」。
 さて、68才となる新しい1年にはどんな目標を掲げましょう。
 67才だと思っていた寿命ですから、新しく命をいただいたことになります。どんなことに挑戦しましょう。楽しみです。
 さて、皆さんはどんな1年でしたか?
 来年はどんな年にしたいですか?
 良いお年をお迎えくださいね。

※ 北海道での日々は私のインスタグラムで紹介していますので、是非ごらんになってくださいね。
※ 今月の写真は北海道大樹町の日々です。キタキツネやクマなどの野生動物との出会いを始め、さまざまな大自然を満喫した日々でした。 

 

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No.200 天才でなくても夢をつかめる10の法則  
原 田 京 子 ( 児童文学作家 ) 
 『天才でなくても夢をつかめる10の法則』とは、2010年にテレビで放送された、過去、現在の、夢をつかんだ人物を取り上げ「夢をつかむための10の法則を探る」という番組です。その「10の法則」とは、
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天才でなくても夢をつかめる10の法則


①夢を持つ→何をすべきかがわかる
②夢を言葉にする
・一緒に具体的目標を持つ→言葉にする→夢をいう
③子どもを思い切りほめる
・ほめる→やる気というドーパミンが脳から分泌される→達成
→ほめる→ドーパミン→達成 という正のスパイラルがおきる
・7歳までは親が思いっきりほめると効果が増し、8歳以上になると他人からほめられると効果が増す
④好きなことは1万時間やり続けると誰でも才能がみがかれる
・1万時間理論
・自分の本当に好きなことを見つける
⑤馬鹿になって人に会う
・人に会うことで才能は伸びる:龍馬は川田に会う
⑥どんどん失敗しろ:失敗を反省し、そこから学ぶことで夢に近づける
エジソン:「人間の最大の欠陥はすぐにあきらめることである。
       成功するための最善の方法はもう一度やってみることである」
⑦子どもが夢中になることはどんなことでもやらせる
・夢中になることが才能を伸ばし、自分に自信がもてるようになる
・脳は感情を伴ったほうが発達する
・読み聞かせによって、ワクワクドキドキといった感情が、想像力豊かな子に育つ可能性が高くなる
「人生の選択をするときがかならずあります。
そのときに選べるものがあることは、本当に幸せなのです。」

(手塚治虫「ぼくのマンガ人生」より)


⑧過保護・過干渉は大いに結構、放任はやめろ
・親が手をかければかけるほど子どもの脳は発達する
・時間より密度
・肌と肌で接触し、濃密なスキンシップで放任にはならない
⑨とことん親バカになれ:親バカにならなければ、子どもの才能は見つけられない
・母親脳:通常の脳が、育児のための脳に変わる。
・母親脳→子どもの小さな変化に気づくようになる
・通常の脳から母親脳に変化させるのが、脳から分泌されるプロラクチンというホルモン
・肌と肌でふれあうことでプロラクチンの分泌が増し、母親脳の能力があがる
・肌と肌のふれあいは大切
・育児にとってストレスが大敵→ストレスによってプロラクチンの分泌が悪くなり、母親脳の能力が低下
・感情を言葉にすることは、ストレスを癒す一番の方法。:日記療法
⑩自分の夢の素晴らしさを信じ続けろ
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 長くなってしまいましたが、きっと親として共感できることがたくさんあると思いますので引用しました。私がこのコラムで言い続けている「好きなことを見つけること」「好きなことをやり続けること」と重なる部分がたくさんありました。そして、これらのことは、子どもだけでなく、大人になっても、大切なことなのだと思っています。
 さて、話は変わりますが、9月の終わりに10日間ほど北海道に行ってきました。以前にコラムでも書きましたが、昨年、北海道に我が家ができました。4000坪ほどの土地の真ん中にある、物語に出てきそうな蔦に絡まる赤い屋根の家です。息子がリフォームをしてくれたので、快適に過ごすことができました。樹齢30年以上の大木が30本以上立っている1000坪ほどの庭が家の南側にあり、居間から眺めるその光景は最高です。今年の8月には東京の本社に戻ることになり、息子は、これまで過ごしていた家からの引越し、新しい北海道の家のリフォーム、東京での住まい探しと大忙しの中で、私たちの北海道滞在のために時間を見つけて家を整えてくれました。素晴らしい眺めと快適な家で、ホテル以上に素晴らしい滞在を満喫しながら、息子がいかに大変だったかを考え、感謝をしたのでした。家のいたるところに息子の私たちへの愛情を感じ、一生分の親孝行をしてもらった気がして、親冥利に尽きるとはこのことだと思ったことでした。
 北海道での暮らしは、すべてが宮崎での暮らしと違っています。北海道という広大な場所で、豊かな自然環境に囲まれて生活することは、さまざまな思いをもたらしてくれます。私たちが到着した頃は緑だった桂の木が、北海道を立つ頃には黄色く色づいていました。こうして、新しい経験をたくさんすること、自然の変化に敏感になること、美しい景色を堪能することは、脳に新たなる刺激を与え、さらなる人間的な成長を促してくれるでしょう。そのことは夢を実現することと共に大切なことだと思っています。 
2024-10-01 更新

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No.198 私の人生観を変えた出来事Part2  
原 田 京 子 ( 児童文学作家 ) 
 現在、入院中にて、病室のベッドでこの原稿を書いています。
 昨年末の右足股関節の人工関節置換術に続いて左足股関節の人工関節置換術を受けました。 
 前回の入院中、人生観が変わったと書きましたが、今回もさらに以前にも増して、人生観が変わりました。
 思い起こせば、股関節に障害があることを知ったのは、2013年にヨーロッパ一人旅から帰って来たときでした。それまで、トライアスロンなどのスポーツをしてきただけに、臼蓋形成不全という生まれつきの股関節の障害があることを還暦を前にして知ったことは、まさに青天の霹靂でした。が、その障害について知らなかったからこそ、スポーツを始め様々なことに挑戦できたし、トレーニングを続けてきたおかげで、還暦を迎えるまで股関節になんの違和感も痛みも感じることなく生活してこれたのでした。
 股関節に障害があることを知ってから10年近く経ちました。この10年間、数えきれないほどの股関節に関する本を読んだり、リハビリのためのトレーニングをしたり、杖をついたりと、私は股関節に関してあらゆることをやってきたような気がします。そして、股関節の不具合によって、行動を制限される事がたくさんあったことは事実ですが、それと引き換えにたくさんの得ることがあったような気がします。また価値観も大きく変わり、人を見る目も違ってきました。
 ずいぶん昔の話ですが、テレビで成人式の番組をやっていました。たくさんの成人をスタジオに迎えてお祝いをする番組でした。その中で、成人式を迎えた足に障害のある女性が、障害を物ともせず一生懸命スポーツに打ち込んでいる姿を取材したものが紹介されました。そして、番組を進行していたアナウンサーがスタジオにいる1人の成人式を迎えた振袖の女性に感想をたずねました。
 その答えを聞いて、私は心が凍りつきました。おそらくその時テレビを見ていた人も同じだったと思います。その女性は心に思ったことを素直に言っただけかもしれません。しかし私はただただショックでした。おそらくその時のショックがあまりにも大きすぎて、ずいぶん時が経った今でもその時、その女性がいった言葉を覚えているのだと思います。  
 その女性の言った言葉。それは「私は五体満足に生まれてよかったです」というものでした。
 その言葉によって、深く傷ついただろうな。その時、まだ若かった私は、彼女の心にそんなふうに思いを馳せました。
 でも、もうすぐ70才になろうかという今なら自信を持っていえます。きっとそんな言葉をいわれたくらいじゃ、彼女はびくともしないだろうなって。心ない言葉を言われたとしても、そのたびに強くなって、そして、そんな自分のことをもっと好きになって、これからもいろいろなことに挑戦していくんだろうなって。そして、そんな自分を誇りに思い、そのたびに幸せを感じるんだろうなって。
 これまでのコラムにもが書いてきましたが、言葉は本当に大きな力を持つのです。そして、その言葉にはそれを発する人の人間性も大きく影響しているのです。同じものを見ても人それぞれに発する言葉が違うのは、性格はもちろん、育った環境、出会った人々、そしてなにより経験値が違うからです。だからその言葉を聞いて、あぁ、この人は人の痛みがわかるのだなぁとか、いろんな経験したんだろうなぁとわかるわけです。自分が人に言われた言葉によって傷つけられたなら、その言葉によって痛みを感じたなら、そんな言葉は人に対して決して発する事はないでしょう。痛みを経験し傷つけられ、また挫折や絶望を経験したからこそ、相手の痛みがわかり、人を思いやることができるのです。何も経験しないより、挫折や困難はたくさん経験した方がより人間として素晴らしくなれるのだと私は思っています。
 さて、話は変わりますが、今回の入院は前回と同じ手術内容であったにもかかわらず、精神的にどこか違っていました。何が違っていたのかなと考えると、前回は足し算であったのに対し、今回は引き算であるような気がするのです。それはどういうことかというと、前回の入院中、私はノートに退院したらやりたいこととして、たくさんの項目を記録しました。退院したらあれもやりたい、これもやりたいと書き連ねました。ところが、今回は、あれを捨てよう、これも捨てよう、と断捨離することばかり考えています。無駄なものが身の回りにたくさんありすぎるのです。これからの人生において必要最低限のものだけ残そう。退院したら、早速それを実行しよう、そう考えています。そして、自分が本当にやりたい事は何なのか?そのことだけに集中してやってみようと思っています。
 やりたいことがあったら、いつかそれをやろう、行きたいところがあったら、いつかそこに行こう、会いたい人がいたら、いつかその人に会いに行こう、そんなことを考えていたら、その「いつか」はいつまでたっても来ません。だから思い立ったらすぐに実行しよう、そう思っています。
 そんなことを考えていると、北海道に我が家ができたことは、私の人生にとって大きな幸せをもたらしてくれました。もし股関節が悪くなかったら、それは実現しなかったと思います。そしてそのきっかけを作ってくれた息子の存在と、いつも私を幸せにしてくれる夫の存在。その2つの存在の大きさにも気づかせてくれました。
 私は幸せ者だなぁ、いつもそう思っています。そう思うたびに神様に口に出して感謝する言葉があります。
「神様、いつもありがとうございます。
 素晴らしい夫と素晴らしい息子がいて、私は本当に幸せです。
 神様が守ってくださる私の体を私は死ぬまで大切にします。
 そして、これからも清く正しく美しく生きていきます。
 それから、文章を書くという天職を生かして、人を幸せにするという天命を任します。
 神様、本当にいつも私を守ってくださって、私を幸せにしてくださってありがとうございます」。
 このコラムが公開される頃には、無事に退院していることでしょう。退院したら、また北海道に行く予定です 
2024-08-01 更新

 

No.197 北海道の大自然に癒されて  
原 田 京 子 ( 児童文学作家 ) 
 5月の終わりから6月の始めにかけて、7泊8日で北海道に行ってきました。場所は大樹町。北海道の東南にある町です。この町に第二の我が家ができました。今回の旅行の目的は、北海道に暮らす息子に会うことと、この我が家を整えることでした。
 すでに息子がリフォームを始めていて、水道やガス、床や壁など基礎的な部分は大方整っていました。息子がひとりでこれほどの大仕事をやってのけていたことに、夫も私も感動することしきりで、北海道暮らしも8年目の息子は会うたびに頼もしくなっていました。夫は、「おまえはお父さんを超えたな」といいながら感慨深げでした。
 大樹町に着いた次の日から夫は草刈を始め、足の悪い私はただただ夫と息子を見守るだけでした。庭には前に住んでいた方が何十年も前に植えたであろう木が見事な大木となって、1000坪ほどの広さの庭に涼しげな木陰を作っていました。家の周りにはたくさんの花が植えてあり、今が花盛り。まるでイングリッシュガーデンのようでした。
 私たちは滞在中、朝早くホテルを出ると、この家に向かい、夫は草刈を始めます。息子は土日にかけてリフォームにやってきます。私は1週間という時をただひたすら目の前の大自然を見て過ごしました。
 私にとって何時間も何もしないで時を過ごす、などという行動は考えられないものでした。いつも自分をせきたて、1分の時間も無駄にしたくない、そんなふうに生き急いでいました。ですから今回の8日間の北海道での滞在は私にとって大きな意味を持ちました。
 先月のコラムで「脳過労」「スマホ脳」について書きましたが、自分自身の行動を振り返って、もしかしたら「スマホ脳?」と思われるような行動がありました。それは、何か疑問が生じると、すぐにスマホで検索して調べようとするという行動でした。大切な事柄ならまだしも、テレビに出てきた俳優についての名前や、過去にどんなドラマに出ていたか、などとどうでもいいようなことまで調べなければ気がすまなかったりするのです。私自身のこれらの行動を反省し、だからこそ先月のコラムにも書いたように、スマホには1日に触れるのは1時間以内と決めることにしたのでした。
 そんな私が、スマホに触れず、かといって何をするでもなく、縁側に腰かけて夫や息子の仕事ぶりを見守ったり、目の前の自然をただただ眺めている、そんな行動は私の心に大きな変化をもたらしました。
 そんなとき、私はいつも考えるのです。神様は本当にいつも私にとって一番大切なことを教えてくれるのだなあと。たとえば、私は昨年の11月まで股関節の手術はしない、そう決めていました。しかし、昨年の12月のコラムでも書いたように、3つの出来事がきっかけで、まさにコペルニクス的転回のごとく手術を決心したのです。そして、手術をして本当に良かったと思っています。そして今回も、「北海道に家を持つ」という想像もしなかった行動が私の心を救ったのでした。
 以前のコラムにも書いたように、北海道という場所は他の都府県とはまったくスケールがちがいます。人生観が変わるほどの広大な場所なのです。もしも息子がこの場所に自分たちの居場所を作ることを提案してくれなかったら、おそらく私は一生知りえなかったであろうこと、つまり、「自然との共生」の本当の意味を少しだけ知ることができたのでした。
 たとえば、こんなことがありました。北海道の我が家に野良猫がやってくるのですが、この猫にお昼のお弁当の残りをやっていたことで、食べ物のにおいが残り、次の日にはキタキツネが我が家へとやってきました。息子はこれから二度とそんなことがないように食べ物には気をつけるようにと私たちを諭しました。北海道という大自然に恵まれた場所で暮らしている息子は「自然との共生」ということの本当の意味を体で知っているだけに、安易に動物たちと馴れ合いになってはいけないことを教えてくれたのでした。
 キタキツネや熊、そして、鹿など、ごく身近に野生の動物たちが存在すること。彼らは私たちがここにくるずっと以前から暮らしていること。そして、私たちがその場所におじゃまして住みかを作ってしまったこと。それらのことを忘れてはいけないのだと心から思ったことでした。
「脳過労」「スマホ脳」に陥りかけていた私の脳がすっかりリセットでき、心も体も綺麗に洗われた気がした北海道滞在でした。私にとってこれほどの恩恵をもたらしてくれた大自然の存在が、これから成長していく子どもたちにとって重要な意味を持たないわけがありません。その重要性を知っている親たちはすでに子どもたちを自然に帰そうと行動を開始しています。スマホを手放し、大自然の懐に抱かれて過ごしていると、いくら時間があっても足りないのです。自然は次から次へと恐怖や驚きや発見や感動を与えてくれます。スマホという小さな道具でのぞく架空の世界とはまったく違う本物の世界です。
『プレシデントFamily』2024夏号にこんな記事がありました(東北大 瀧 康之教授)。
「頭の良さは生まれつきではない。環境次第で『学ぶのが好き』な賢い脳に育てることができ、そのための三種の神器がある」と(写真)。
 瀧氏はいいます。「圧倒的自然体験が知的好奇心を伸ばす」と。そして、「知的好奇心を存分に羽ばたかせ、自然や芸術のなかで熱中した経験を持つ子どもは、勉強の世界にもスムーズに入っていくことができる」と。つまり、「知的好奇心が強ければ勉強が楽しくなり、勉強するほどにさらに知的好奇心が伸びていく。そんな正のスパイラルに入っていくのです」と。そして、こう結論付けます。
「机に向かわせることばかりが勉強ではありません。自然のなかでの豊かな体験は、教科としての学びや受験勉強にまでつながるものです。親子でいっしょに熱中する体験が賢い脳を育てます」と。
 今月は夏休みに入ります。図鑑と虫取り網と楽器。三種の神器をもって大自然の中に親子で飛び込んでみませんか。
2024-07-01 更新
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No.196 スマホは怖い?  
原 田 京 子 ( 児童文学作家 ) 
 最近、「脳過労」という言葉を知りました「脳過労」は「脳が過度に疲れたり、ストレスを感じたり、働きが悪くなる状態」を指します。脳にインプットされた情報量が多すぎて処理しきれず、脳が過労状態になるのです。
 脳過労の主な症状は以下の通りです。
・集中力の低下
・イライラしやすくなる
・体全体の疲労感
・頭痛・めまい・眼精疲労
・睡眠障害
・不安感・鬱状態
・モチベーションンの低下
・判断力の低下
 そして、この脳過労の主なる原因となるのがスマートフォンなのだそうです。ですから、スマートフォンに触る時間を減らすことが脳過労を防ぐために何より重要になってきます。そして、さらには適切な休息、ストレスの軽減、良質な睡眠、バランスのとれた食事を心がけることで防ぐことができるのです。
 同様に気を付けなければならないのは「スマホ依存」です。おそらくスマートフォンを持っている人の多くは「スマホ依存」に陥っているでしょう。現代を生きる私たちにとって、スマホは欠かすことのできない道具だからです。
 以前アンデシュ・ハンセン著の『スマホ脳』という本を紹介しましたが、この本にはスマホの過度な使用が人間の脳と心に与える影響について以下のように詳しく解説しています。
・人間の脳は長い間狩猟採集生活を送ってきたため、急激にデジタル化した現代の環境に適応できていない
・スマホやSNSは人間の心理を巧みに利用し、ユーザーの依存性が高くなるように設計されている
・スマホの過度な使用は、睡眠障害、鬱、記憶力や集中力の低下、依存症などの問題を引き起こす可能性がある
・特にSNSの使用は、孤独感を増加させ、人生の満足度を低下させる可能性がある
・スマホの使用を制限し、適切な運動と睡眠、他者との関わりを保つことがこれらの問題を軽減するための対策である
 これまで述べてきたことを要約すると「スマホ脳=脳過労」といえる気がします。スマホ脳によって引き起こされる弊害がそのまま脳過労の症状とほとんど同じだといえるからです。
 最近の私は、スマホを極力見ないようにしています。1日のうちでどのくらいの時間スマホに触っていたかをチェックし、1時間を超えないようにしています。皆さんも一度、自分が一日にどれくらいの時間をスマホに費やしているか、チェックしてみる必要があるかもしれません。ましてや皆さんの大切な子どもたちがスマホ脳に陥らないために、子どもたちのスマホを見る時間もチェックする必要があるでしょう。
 私のiPhoneには毎日数えきれないメールが送信されてきます。パソコンのメールの着信設定もしているので、その量は莫大なものになります。iPhoneのメールには迷惑メールを分類する設定がされていますが、パソコンのメールアドレスを便宜上残してあるだけなので、メールのほぼ9割は迷惑メールや詐欺まがいのメールです。
 これらのメールは、明らかに詐欺メールとわかるものもあれば、実に巧妙ななりすましのメールもあります。最近ではInstagramなどに有名人が株の投資などを呼びかける記事がたくさん投稿されていましたが、それらはすべてなりすましの詐欺記事でした。
 このように今インターネット上ではたくさんの犯罪の罠が潜んでいて、その被害額は年を追うごとに急激に増加しています。私たちが住んでいる世界は、スマートフォンを持っているだけでいつ犯罪に巻き込まれるかわからないという恐ろしい状況なのです。そんなことを考えると、こんな恐ろしい道具を子供に持たせていていいのだろうか、と考えてしまいます。
 スマホは怖い。『スマホ脳』の作者、アンデシュ・ハンセン氏がいっているように、スマホは便利さと危険性を合わせ持つ「諸刃の剣」であるということを親である私たちはしっかりと自覚すべきです。
 科学技術の進歩で、さらにスマホは進化を続け、私たちの脳では追いつけないところまで来ています。スマホが提供する情報が偽物か本物か、嘘か誠か、その判断すら正確にはできない私たちは、このスマホという恐ろしい道具に支配されないようにしなければなりません。スマホという小さくて恐ろしい道具ばかりに気を取られることなく、スマホを手放す努力をして、視線をもっと自然に向けるべきでしょう。スマホから離れ、大きな自然の懐に抱かれて、もっともっと素晴らしいものが私たちの周りにはあることを子供たちに教えていく必要があるのです。

※今月の写真は5月末の北海道滞在中に写したものです。 
者プロフィール 
原田 京子(はらだ きょうこ)
1956年宮崎県生まれ
大学院修士課程修了(教育心理学専攻)

【著書】
児童文学
『麦原博士の犬語辞典』(岩崎書店)
『麦原博士とボスザル・ソロモン』(岩崎書店)
『アイコはとびたつ』(共著・国土社)
『聖徳太子末裔伝』(文芸社ビジュアルアート)
エッセー
『晴れた日には』(共著・日本文学館)
小説
『プラトニック・ラブレター』(ペンネーム彩木瑠璃・文芸社)
『ちゃんとここにいるよ』(ペンネーム彩木瑠璃・文芸社)
『タイム・イン・ロック』(2014 みやざきの文学「第17回みやざき文学賞」作品集)
『究極の片思い』(2015 みやざきの文学「第18回みやざき文学賞」作品集)
『ソラリアン・ブルー絵の具工房』(2016 みやざきの文学「第19回みやざき文学賞」作品集)
『おひさまがくれた色』(2017みやざきの文学「第20回みやざき文学賞」作品集)
『HINATA Lady』(2018みやざきの文学「第21回みやざき文学賞」作品集)
『四季通り路地裏古書店』(2019みやざきの文学「第22回みやざき文学賞」作品集)


 
2024-05-31 更新

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No.195 何がいけなかったのか?  
原 田 京 子 ( 児童文学作家 ) 
 静岡県の川勝平太知事は4月1日、新人職員への訓示の中で、「県庁というのは別の言葉で言うとシンクタンクです。毎日野菜を売ったり、牛の世話をしたり、物を作ったりとかと違って、基本的に皆さんは頭脳・知性の高い方たちです」と発言し、この発言によって静岡県庁には2500件を超える電話やメールでの批判が寄せられました。
 川勝知事のこの発言の一番の問題点は、人を鼓舞するにあたり、不適切な比較をしたことにあると私は考えます。野菜を売ったり、牛の世話をしたり、物を作ったりする仕事を頭脳や知性の高さ云々といって比較していること自体、無知で傲慢極まりないのはもちろんですが、あまりにもヴォキャブラリーが乏しすぎます。もちろん、川勝知事のものの考え方自体に問題があり、だからこそたくさんの失言を生み出しているのだと思いますが。
 この発言を聞きながら、私たちも同じようなことをしでかしているのではないか? と考えるのです。日ごろの発言において、私が常に気をつけているのは、誰かを褒めるときに別の誰かを貶めていないだろうかということです。
 どうして人は比較をしたがるのでしょうか?
 昨年の12月に、私は人工関節置換術の手術を受けました。手術を終えた後、久しぶりに会った人々の私に対する発言を聞きながら、その人の人間性というものが発言には露骨にでるものだなあと思いました。「大変だったわねえ」「良くなって良かったわねえ」その多くがそんなふうに私の回復を喜んでくださるものでしたが、私が気になった発言が二つありました。そのひとつは、手術をした病院名を聞いて、「どうして○○病院で手術しなかったの?」というものでした。その発言をした方は、その日の新聞で○○病院に新しい治療機械が導入されたという記事を目にしたためでした。その方の発言は一瞬私を不安にさせましたが、結局のところ、その記事の内容は股関節の手術とはまったく無関係で何の意味も持たなかったのです。つまり何の根拠もなくその方はそんな発言をしたのでしたが、友人でも知人でもなく何の人間関係もない相手に対して、何の根拠もなしに相手を不安にするような発言をする人間の真意を測りかねたのでした。
 もうひとつの発言は「□□病院のほうがいい先生がいるって聞いたけれど」というものでした。その発言もまた、私とは何のつながりもない方からのものでしたし、その情報自体根拠のない、また聞きのいいかげんなものでした。それらの発言をした人の性格に問題があるといったらそれまでですが、世の中にはいろいろな人がいるものだとあらためて思ったのでした。
 その言葉を発しても、誰も幸せにできないような言葉を、どうして発するのでしょうか? 自分の発言が相手にどのような影響を与えるのか、その発言によって自分の人間性を推し量れるのに、ということを考えることができないことこそが頭脳や知性と関係があることを理解していないところは川勝知事と同じだといえるでしょう。このような発言をした、何の人間関係ももたないこれらの人々とは、おそらく生涯付き合うことはないだろうと思ったことでした。
 言葉は大きな力を持ちます。時に人を鼓舞し、時に人を傷つけます。言葉というものを紡ぐ仕事を生業とするからには、私は慎重すぎるくらい慎重になろうと日々自分に言い聞かせているのです。だからこそ、「その言葉を聞いても誰も幸せにはならないような言葉」を無神経に吐き出す人に私は嫌悪感をおぼえるのです。
 ちょっと過激な発言をしてしまったので話題を変えましょう。
 股関節の手術をしてから4ヶ月が経ちました。経過はとても順調です。でも、私は杖を手放さないでいます。まだまだ杖なしで歩くことに不安があるからです。杖をついていて感じるのは、「人間は本来みんないい人なんだなあ」ということです。杖をついているとたくさんの人からたくさんの愛情を受け取ることがあるからです。先日も、女の子を連れた若いお母さんからとても親切にしていただきました。「どうもありがとうございました。本当に助かりました」、そうお礼を言ってさようならをしたあと、その二人の後ろ姿を見送りながら、私は、この娘さんはきっとお母さんのように優しい女性に成長するのだろうなあ、そう思いました。どんな言葉による教育的指導よりも、お母さんの後ろ姿から子どもたちは学ぶのだろうなあ、そう思ったからでした。そんなことを考えていると、親である私たちの行動のひとつひとつが子どもたちにとって大きな意味を持つのだとあらためて思っています。よく「子どもは親の言うとおりに育つのではない。親のするとおりに育つ」といいますが、まさにその通りだと思います。
 さて、とりとめもないことを書いてきましたが、最近の私はようやく本来の私にもどれそうかなあと思っているところです。というのも、手術から4ヶ月、安静にするために(私はつい無理をしてしまう性格なので)、ジムでのトレーニングを休んでいました。本来なら、「ジムでのトレーニング」と「創作活動」という対極に見える二つの活動をすることで私という人間のバランスをとっていたのですが、トレーニングを休むことで頭は疲れても体が疲れていないという不安定な状態が続き、ストレスがたまっていました。だから4月からトレーニングを再開し、ようやく本来の私らしい生活に戻りつつあるようです。体を動かすことは本当に大切なことだとあらためて思っています。しかし、その代わりに家で過ごす時間が多かったことで、3つの作品を仕上げることが出来ましたし(原稿用紙にして100枚ほど)、これからさらに長編の作品に取り掛かるので、トレーニングと掛け持ちで大変だとうれしい悲鳴をあげているところです。
 それでは最後に美しい言葉を発することが出来る人間になれるよう、私がいつも心に留めている言葉を書いておきますね。
『できるだけたくさんの本を読み、美しいものに触れ、思いやりをもって人と接する。当たり前のことを言っていると思うでしょうが、そういうことの積み重ねが、本当に人を美しくするんです』(斉藤茂太)。
2024-05-01 更新
著者プロフィール 
原田 京子(はらだ きょうこ)
1956年宮崎県生まれ
大学院修士課程修了(教育心理学専攻)

【著書】
児童文学
『麦原博士の犬語辞典』(岩崎書店)
『麦原博士とボスザル・ソロモン』(岩崎書店)
『アイコはとびたつ』(共著・国土社)
『聖徳太子末裔伝』(文芸社ビジュアルアート)
エッセー
『晴れた日には』(共著・日本文学館)
小説
『プラトニック・ラブレター』(ペンネーム彩木瑠璃・文芸社)
『ちゃんとここにいるよ』(ペンネーム彩木瑠璃・文芸社)
『タイム・イン・ロック』(2014 みやざきの文学「第17回みやざき文学賞」作品集)
『究極の片思い』(2015 みやざきの文学「第18回みやざき文学賞」作品集)
『ソラリアン・ブルー絵の具工房』(2016 みやざきの文学「第19回みやざき文学賞」作品集)
『おひさまがくれた色』(2017みやざきの文学「第20回みやざき文学賞」作品集)
『HINATA Lady』(2018みやざきの文学「第21回みやざき文学賞」作品集)
『四季通り路地裏古書店』(2019みやざきの文学「第22回みやざき文学賞」作品集)