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体で感じる・心が育つ
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No.163 早期教育への疑問  
原 田 京 子 ( 児童文学作家 ) 
 さて、先月のコラムに続きます。
 幼稚園に入園してからは、縦割りのクラスで自由保育という幼稚園の教育方針は息子にぴったりだったようで、息子は、毎日の幼稚園生活が楽しくてたまらないというようすでした。
 しかし、午前中だけの保育で、送り迎えをしなければならない私にとって、「さっき幼稚園にいったばかりじゃない? もうお迎えの時間?」という感じでした。しかも、幼稚園児の母親同士の人間関係に関するトラブルが多発していて、私はうんざりしていました。
 また、幼稚園の父母たちの中には、子どもに早期教育を行っている母親たちがたくさんいましたし、中には度が過ぎていると思えるケースさえありました。
 子どもの習い事などをはじめとして、幼稚園の父母たちの教育方針に関しても疑問に思うことがたくさんあり、私はこの環境から早く抜け出したいと思うようになりました。
 二年目は別の幼稚園にしよう、そう考えていた私でしたが、結局息子の意向を重視し、その後のことはこれまでのコラムに書いてきたとおりです。そして、その二年間の幼稚園でのさまざまな出来事が、私の大学院進学への意志を次第に硬いものにしていったのでした。

「学習するには最適な時期がある。それは早すぎても遅すぎてもいけないのではないか?」

それが私の最大の関心事でした。心理学、とくに発達心理学、そして、早期教育への関心は増すばかりでした。

 先月のコラムにも書いた、ローレンツが幼いころに体験した「鳥の雛の追従行動」。それは「インプリンティング」と呼ばれ、彼は、鳥たちが生まれてすぐのある一定の時間内に見た動くものを親と思って追従する習性があるということを学問的に証明しました。
 私は、鳥のヒナたちのこの行動に衝撃を受けました。なぜなら、ある一定の時期を過ぎ、学習するときを逃したら、一生、その行動はできないからでした。狼に育てられた少女の話が有名ですが、結局、人間の手で育てられる時期に人間との接触を絶たれると、人間としては生きてはいけないということですから、この学習するべき時期というものがとても大切だということを痛感したのでした。そして、このことはそののちの大学院での研究テーマにつながっていきます。私たち人間が言葉を用い、複雑な思考を行い、豊かな感情を持つのは、決して生得的なものではなく、放っておいてもそのような資質が自然に発生するものではないとされています。人間の精神的発達は、幼児期の環境に大きく影響され、人間的な発達には、幼児期において人間的な環境から習得される必要があり、幼児期に確立された精神的発達の基礎は、その後の発達に影響するといわれています。それらをのちに矯正することは困難なのです。狼少女に限らず、幼児期に動物からアイデンティティーを受け継いだ子どもを社会復帰させる努力が試みられた科学的な事例がありますが、完全な復帰は困難であることが確認されているのです。
「学習するには最適な時期がある。それは早すぎても遅すぎてもいけないのではないか?」
 私は自分の研究したいテーマをはっきりと自覚したのでした。

 私の大学院進学が実現するのは、息子が幼稚園を卒園してから二年後のことですが、大学院での研究生活は、私の抱いていた疑問を見事に解決してくれました。私が見い出した結論は、これからこのコラムで追い追い書いていくことにします。ただ、現在の私の頭の中は別の事柄でいっぱいなのです。その事柄にくらべたら、これまで述べてきたことなどとてもちっぽけなことに思えるのです。そして、そのことを書こうとしたら、筆がまったく進まなくなってしまったのです。こんなことは初めてです。

 こうして書きたいことを書けること、書いたことを皆さんに読んでもらえること、なんて幸せなことでしょう。飲み水や食べ物に不自由しないこと、なんて幸せなことでしょう。あったかい布団で眠れること、やりたいことがやれること、なんて幸せなことでしょう。それらのことをあたりまえのことだと思ったことなんてないけれど、でも、ときどき忘れそうになります。それらのことはあたりまえのことではなく奇跡に近いことを。
 だから、改めてそれらのことに感謝して、1日1日を大切に生きなければと思っています。なぜなら、世界中には明日の、いいえ、今日の命さえ保障されていない人たちがたくさんいるのですから……。

※今月の写真は、私が最近購入して読んでいる本達です。 
2021-09-01 更新