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No.198 私の人生観を変えた出来事Part2  
原 田 京 子 ( 児童文学作家 ) 
 現在、入院中にて、病室のベッドでこの原稿を書いています。
 昨年末の右足股関節の人工関節置換術に続いて左足股関節の人工関節置換術を受けました。 
 前回の入院中、人生観が変わったと書きましたが、今回もさらに以前にも増して、人生観が変わりました。
 思い起こせば、股関節に障害があることを知ったのは、2013年にヨーロッパ一人旅から帰って来たときでした。それまで、トライアスロンなどのスポーツをしてきただけに、臼蓋形成不全という生まれつきの股関節の障害があることを還暦を前にして知ったことは、まさに青天の霹靂でした。が、その障害について知らなかったからこそ、スポーツを始め様々なことに挑戦できたし、トレーニングを続けてきたおかげで、還暦を迎えるまで股関節になんの違和感も痛みも感じることなく生活してこれたのでした。
 股関節に障害があることを知ってから10年近く経ちました。この10年間、数えきれないほどの股関節に関する本を読んだり、リハビリのためのトレーニングをしたり、杖をついたりと、私は股関節に関してあらゆることをやってきたような気がします。そして、股関節の不具合によって、行動を制限される事がたくさんあったことは事実ですが、それと引き換えにたくさんの得ることがあったような気がします。また価値観も大きく変わり、人を見る目も違ってきました。
 ずいぶん昔の話ですが、テレビで成人式の番組をやっていました。たくさんの成人をスタジオに迎えてお祝いをする番組でした。その中で、成人式を迎えた足に障害のある女性が、障害を物ともせず一生懸命スポーツに打ち込んでいる姿を取材したものが紹介されました。そして、番組を進行していたアナウンサーがスタジオにいる1人の成人式を迎えた振袖の女性に感想をたずねました。
 その答えを聞いて、私は心が凍りつきました。おそらくその時テレビを見ていた人も同じだったと思います。その女性は心に思ったことを素直に言っただけかもしれません。しかし私はただただショックでした。おそらくその時のショックがあまりにも大きすぎて、ずいぶん時が経った今でもその時、その女性がいった言葉を覚えているのだと思います。  
 その女性の言った言葉。それは「私は五体満足に生まれてよかったです」というものでした。
 その言葉によって、深く傷ついただろうな。その時、まだ若かった私は、彼女の心にそんなふうに思いを馳せました。
 でも、もうすぐ70才になろうかという今なら自信を持っていえます。きっとそんな言葉をいわれたくらいじゃ、彼女はびくともしないだろうなって。心ない言葉を言われたとしても、そのたびに強くなって、そして、そんな自分のことをもっと好きになって、これからもいろいろなことに挑戦していくんだろうなって。そして、そんな自分を誇りに思い、そのたびに幸せを感じるんだろうなって。
 これまでのコラムにもが書いてきましたが、言葉は本当に大きな力を持つのです。そして、その言葉にはそれを発する人の人間性も大きく影響しているのです。同じものを見ても人それぞれに発する言葉が違うのは、性格はもちろん、育った環境、出会った人々、そしてなにより経験値が違うからです。だからその言葉を聞いて、あぁ、この人は人の痛みがわかるのだなぁとか、いろんな経験したんだろうなぁとわかるわけです。自分が人に言われた言葉によって傷つけられたなら、その言葉によって痛みを感じたなら、そんな言葉は人に対して決して発する事はないでしょう。痛みを経験し傷つけられ、また挫折や絶望を経験したからこそ、相手の痛みがわかり、人を思いやることができるのです。何も経験しないより、挫折や困難はたくさん経験した方がより人間として素晴らしくなれるのだと私は思っています。
 さて、話は変わりますが、今回の入院は前回と同じ手術内容であったにもかかわらず、精神的にどこか違っていました。何が違っていたのかなと考えると、前回は足し算であったのに対し、今回は引き算であるような気がするのです。それはどういうことかというと、前回の入院中、私はノートに退院したらやりたいこととして、たくさんの項目を記録しました。退院したらあれもやりたい、これもやりたいと書き連ねました。ところが、今回は、あれを捨てよう、これも捨てよう、と断捨離することばかり考えています。無駄なものが身の回りにたくさんありすぎるのです。これからの人生において必要最低限のものだけ残そう。退院したら、早速それを実行しよう、そう考えています。そして、自分が本当にやりたい事は何なのか?そのことだけに集中してやってみようと思っています。
 やりたいことがあったら、いつかそれをやろう、行きたいところがあったら、いつかそこに行こう、会いたい人がいたら、いつかその人に会いに行こう、そんなことを考えていたら、その「いつか」はいつまでたっても来ません。だから思い立ったらすぐに実行しよう、そう思っています。
 そんなことを考えていると、北海道に我が家ができたことは、私の人生にとって大きな幸せをもたらしてくれました。もし股関節が悪くなかったら、それは実現しなかったと思います。そしてそのきっかけを作ってくれた息子の存在と、いつも私を幸せにしてくれる夫の存在。その2つの存在の大きさにも気づかせてくれました。
 私は幸せ者だなぁ、いつもそう思っています。そう思うたびに神様に口に出して感謝する言葉があります。
「神様、いつもありがとうございます。
 素晴らしい夫と素晴らしい息子がいて、私は本当に幸せです。
 神様が守ってくださる私の体を私は死ぬまで大切にします。
 そして、これからも清く正しく美しく生きていきます。
 それから、文章を書くという天職を生かして、人を幸せにするという天命を任します。
 神様、本当にいつも私を守ってくださって、私を幸せにしてくださってありがとうございます」。
 このコラムが公開される頃には、無事に退院していることでしょう。退院したら、また北海道に行く予定です 
2024-08-01 更新

 

No.197 北海道の大自然に癒されて  
原 田 京 子 ( 児童文学作家 ) 
 5月の終わりから6月の始めにかけて、7泊8日で北海道に行ってきました。場所は大樹町。北海道の東南にある町です。この町に第二の我が家ができました。今回の旅行の目的は、北海道に暮らす息子に会うことと、この我が家を整えることでした。
 すでに息子がリフォームを始めていて、水道やガス、床や壁など基礎的な部分は大方整っていました。息子がひとりでこれほどの大仕事をやってのけていたことに、夫も私も感動することしきりで、北海道暮らしも8年目の息子は会うたびに頼もしくなっていました。夫は、「おまえはお父さんを超えたな」といいながら感慨深げでした。
 大樹町に着いた次の日から夫は草刈を始め、足の悪い私はただただ夫と息子を見守るだけでした。庭には前に住んでいた方が何十年も前に植えたであろう木が見事な大木となって、1000坪ほどの広さの庭に涼しげな木陰を作っていました。家の周りにはたくさんの花が植えてあり、今が花盛り。まるでイングリッシュガーデンのようでした。
 私たちは滞在中、朝早くホテルを出ると、この家に向かい、夫は草刈を始めます。息子は土日にかけてリフォームにやってきます。私は1週間という時をただひたすら目の前の大自然を見て過ごしました。
 私にとって何時間も何もしないで時を過ごす、などという行動は考えられないものでした。いつも自分をせきたて、1分の時間も無駄にしたくない、そんなふうに生き急いでいました。ですから今回の8日間の北海道での滞在は私にとって大きな意味を持ちました。
 先月のコラムで「脳過労」「スマホ脳」について書きましたが、自分自身の行動を振り返って、もしかしたら「スマホ脳?」と思われるような行動がありました。それは、何か疑問が生じると、すぐにスマホで検索して調べようとするという行動でした。大切な事柄ならまだしも、テレビに出てきた俳優についての名前や、過去にどんなドラマに出ていたか、などとどうでもいいようなことまで調べなければ気がすまなかったりするのです。私自身のこれらの行動を反省し、だからこそ先月のコラムにも書いたように、スマホには1日に触れるのは1時間以内と決めることにしたのでした。
 そんな私が、スマホに触れず、かといって何をするでもなく、縁側に腰かけて夫や息子の仕事ぶりを見守ったり、目の前の自然をただただ眺めている、そんな行動は私の心に大きな変化をもたらしました。
 そんなとき、私はいつも考えるのです。神様は本当にいつも私にとって一番大切なことを教えてくれるのだなあと。たとえば、私は昨年の11月まで股関節の手術はしない、そう決めていました。しかし、昨年の12月のコラムでも書いたように、3つの出来事がきっかけで、まさにコペルニクス的転回のごとく手術を決心したのです。そして、手術をして本当に良かったと思っています。そして今回も、「北海道に家を持つ」という想像もしなかった行動が私の心を救ったのでした。
 以前のコラムにも書いたように、北海道という場所は他の都府県とはまったくスケールがちがいます。人生観が変わるほどの広大な場所なのです。もしも息子がこの場所に自分たちの居場所を作ることを提案してくれなかったら、おそらく私は一生知りえなかったであろうこと、つまり、「自然との共生」の本当の意味を少しだけ知ることができたのでした。
 たとえば、こんなことがありました。北海道の我が家に野良猫がやってくるのですが、この猫にお昼のお弁当の残りをやっていたことで、食べ物のにおいが残り、次の日にはキタキツネが我が家へとやってきました。息子はこれから二度とそんなことがないように食べ物には気をつけるようにと私たちを諭しました。北海道という大自然に恵まれた場所で暮らしている息子は「自然との共生」ということの本当の意味を体で知っているだけに、安易に動物たちと馴れ合いになってはいけないことを教えてくれたのでした。
 キタキツネや熊、そして、鹿など、ごく身近に野生の動物たちが存在すること。彼らは私たちがここにくるずっと以前から暮らしていること。そして、私たちがその場所におじゃまして住みかを作ってしまったこと。それらのことを忘れてはいけないのだと心から思ったことでした。
「脳過労」「スマホ脳」に陥りかけていた私の脳がすっかりリセットでき、心も体も綺麗に洗われた気がした北海道滞在でした。私にとってこれほどの恩恵をもたらしてくれた大自然の存在が、これから成長していく子どもたちにとって重要な意味を持たないわけがありません。その重要性を知っている親たちはすでに子どもたちを自然に帰そうと行動を開始しています。スマホを手放し、大自然の懐に抱かれて過ごしていると、いくら時間があっても足りないのです。自然は次から次へと恐怖や驚きや発見や感動を与えてくれます。スマホという小さな道具でのぞく架空の世界とはまったく違う本物の世界です。
『プレシデントFamily』2024夏号にこんな記事がありました(東北大 瀧 康之教授)。
「頭の良さは生まれつきではない。環境次第で『学ぶのが好き』な賢い脳に育てることができ、そのための三種の神器がある」と(写真)。
 瀧氏はいいます。「圧倒的自然体験が知的好奇心を伸ばす」と。そして、「知的好奇心を存分に羽ばたかせ、自然や芸術のなかで熱中した経験を持つ子どもは、勉強の世界にもスムーズに入っていくことができる」と。つまり、「知的好奇心が強ければ勉強が楽しくなり、勉強するほどにさらに知的好奇心が伸びていく。そんな正のスパイラルに入っていくのです」と。そして、こう結論付けます。
「机に向かわせることばかりが勉強ではありません。自然のなかでの豊かな体験は、教科としての学びや受験勉強にまでつながるものです。親子でいっしょに熱中する体験が賢い脳を育てます」と。
 今月は夏休みに入ります。図鑑と虫取り網と楽器。三種の神器をもって大自然の中に親子で飛び込んでみませんか。
2024-07-01 更新
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No.196 スマホは怖い?  
原 田 京 子 ( 児童文学作家 ) 
 最近、「脳過労」という言葉を知りました「脳過労」は「脳が過度に疲れたり、ストレスを感じたり、働きが悪くなる状態」を指します。脳にインプットされた情報量が多すぎて処理しきれず、脳が過労状態になるのです。
 脳過労の主な症状は以下の通りです。
・集中力の低下
・イライラしやすくなる
・体全体の疲労感
・頭痛・めまい・眼精疲労
・睡眠障害
・不安感・鬱状態
・モチベーションンの低下
・判断力の低下
 そして、この脳過労の主なる原因となるのがスマートフォンなのだそうです。ですから、スマートフォンに触る時間を減らすことが脳過労を防ぐために何より重要になってきます。そして、さらには適切な休息、ストレスの軽減、良質な睡眠、バランスのとれた食事を心がけることで防ぐことができるのです。
 同様に気を付けなければならないのは「スマホ依存」です。おそらくスマートフォンを持っている人の多くは「スマホ依存」に陥っているでしょう。現代を生きる私たちにとって、スマホは欠かすことのできない道具だからです。
 以前アンデシュ・ハンセン著の『スマホ脳』という本を紹介しましたが、この本にはスマホの過度な使用が人間の脳と心に与える影響について以下のように詳しく解説しています。
・人間の脳は長い間狩猟採集生活を送ってきたため、急激にデジタル化した現代の環境に適応できていない
・スマホやSNSは人間の心理を巧みに利用し、ユーザーの依存性が高くなるように設計されている
・スマホの過度な使用は、睡眠障害、鬱、記憶力や集中力の低下、依存症などの問題を引き起こす可能性がある
・特にSNSの使用は、孤独感を増加させ、人生の満足度を低下させる可能性がある
・スマホの使用を制限し、適切な運動と睡眠、他者との関わりを保つことがこれらの問題を軽減するための対策である
 これまで述べてきたことを要約すると「スマホ脳=脳過労」といえる気がします。スマホ脳によって引き起こされる弊害がそのまま脳過労の症状とほとんど同じだといえるからです。
 最近の私は、スマホを極力見ないようにしています。1日のうちでどのくらいの時間スマホに触っていたかをチェックし、1時間を超えないようにしています。皆さんも一度、自分が一日にどれくらいの時間をスマホに費やしているか、チェックしてみる必要があるかもしれません。ましてや皆さんの大切な子どもたちがスマホ脳に陥らないために、子どもたちのスマホを見る時間もチェックする必要があるでしょう。
 私のiPhoneには毎日数えきれないメールが送信されてきます。パソコンのメールの着信設定もしているので、その量は莫大なものになります。iPhoneのメールには迷惑メールを分類する設定がされていますが、パソコンのメールアドレスを便宜上残してあるだけなので、メールのほぼ9割は迷惑メールや詐欺まがいのメールです。
 これらのメールは、明らかに詐欺メールとわかるものもあれば、実に巧妙ななりすましのメールもあります。最近ではInstagramなどに有名人が株の投資などを呼びかける記事がたくさん投稿されていましたが、それらはすべてなりすましの詐欺記事でした。
 このように今インターネット上ではたくさんの犯罪の罠が潜んでいて、その被害額は年を追うごとに急激に増加しています。私たちが住んでいる世界は、スマートフォンを持っているだけでいつ犯罪に巻き込まれるかわからないという恐ろしい状況なのです。そんなことを考えると、こんな恐ろしい道具を子供に持たせていていいのだろうか、と考えてしまいます。
 スマホは怖い。『スマホ脳』の作者、アンデシュ・ハンセン氏がいっているように、スマホは便利さと危険性を合わせ持つ「諸刃の剣」であるということを親である私たちはしっかりと自覚すべきです。
 科学技術の進歩で、さらにスマホは進化を続け、私たちの脳では追いつけないところまで来ています。スマホが提供する情報が偽物か本物か、嘘か誠か、その判断すら正確にはできない私たちは、このスマホという恐ろしい道具に支配されないようにしなければなりません。スマホという小さくて恐ろしい道具ばかりに気を取られることなく、スマホを手放す努力をして、視線をもっと自然に向けるべきでしょう。スマホから離れ、大きな自然の懐に抱かれて、もっともっと素晴らしいものが私たちの周りにはあることを子供たちに教えていく必要があるのです。

※今月の写真は5月末の北海道滞在中に写したものです。 
者プロフィール 
原田 京子(はらだ きょうこ)
1956年宮崎県生まれ
大学院修士課程修了(教育心理学専攻)

【著書】
児童文学
『麦原博士の犬語辞典』(岩崎書店)
『麦原博士とボスザル・ソロモン』(岩崎書店)
『アイコはとびたつ』(共著・国土社)
『聖徳太子末裔伝』(文芸社ビジュアルアート)
エッセー
『晴れた日には』(共著・日本文学館)
小説
『プラトニック・ラブレター』(ペンネーム彩木瑠璃・文芸社)
『ちゃんとここにいるよ』(ペンネーム彩木瑠璃・文芸社)
『タイム・イン・ロック』(2014 みやざきの文学「第17回みやざき文学賞」作品集)
『究極の片思い』(2015 みやざきの文学「第18回みやざき文学賞」作品集)
『ソラリアン・ブルー絵の具工房』(2016 みやざきの文学「第19回みやざき文学賞」作品集)
『おひさまがくれた色』(2017みやざきの文学「第20回みやざき文学賞」作品集)
『HINATA Lady』(2018みやざきの文学「第21回みやざき文学賞」作品集)
『四季通り路地裏古書店』(2019みやざきの文学「第22回みやざき文学賞」作品集)


 
2024-05-31 更新

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No.195 何がいけなかったのか?  
原 田 京 子 ( 児童文学作家 ) 
 静岡県の川勝平太知事は4月1日、新人職員への訓示の中で、「県庁というのは別の言葉で言うとシンクタンクです。毎日野菜を売ったり、牛の世話をしたり、物を作ったりとかと違って、基本的に皆さんは頭脳・知性の高い方たちです」と発言し、この発言によって静岡県庁には2500件を超える電話やメールでの批判が寄せられました。
 川勝知事のこの発言の一番の問題点は、人を鼓舞するにあたり、不適切な比較をしたことにあると私は考えます。野菜を売ったり、牛の世話をしたり、物を作ったりする仕事を頭脳や知性の高さ云々といって比較していること自体、無知で傲慢極まりないのはもちろんですが、あまりにもヴォキャブラリーが乏しすぎます。もちろん、川勝知事のものの考え方自体に問題があり、だからこそたくさんの失言を生み出しているのだと思いますが。
 この発言を聞きながら、私たちも同じようなことをしでかしているのではないか? と考えるのです。日ごろの発言において、私が常に気をつけているのは、誰かを褒めるときに別の誰かを貶めていないだろうかということです。
 どうして人は比較をしたがるのでしょうか?
 昨年の12月に、私は人工関節置換術の手術を受けました。手術を終えた後、久しぶりに会った人々の私に対する発言を聞きながら、その人の人間性というものが発言には露骨にでるものだなあと思いました。「大変だったわねえ」「良くなって良かったわねえ」その多くがそんなふうに私の回復を喜んでくださるものでしたが、私が気になった発言が二つありました。そのひとつは、手術をした病院名を聞いて、「どうして○○病院で手術しなかったの?」というものでした。その発言をした方は、その日の新聞で○○病院に新しい治療機械が導入されたという記事を目にしたためでした。その方の発言は一瞬私を不安にさせましたが、結局のところ、その記事の内容は股関節の手術とはまったく無関係で何の意味も持たなかったのです。つまり何の根拠もなくその方はそんな発言をしたのでしたが、友人でも知人でもなく何の人間関係もない相手に対して、何の根拠もなしに相手を不安にするような発言をする人間の真意を測りかねたのでした。
 もうひとつの発言は「□□病院のほうがいい先生がいるって聞いたけれど」というものでした。その発言もまた、私とは何のつながりもない方からのものでしたし、その情報自体根拠のない、また聞きのいいかげんなものでした。それらの発言をした人の性格に問題があるといったらそれまでですが、世の中にはいろいろな人がいるものだとあらためて思ったのでした。
 その言葉を発しても、誰も幸せにできないような言葉を、どうして発するのでしょうか? 自分の発言が相手にどのような影響を与えるのか、その発言によって自分の人間性を推し量れるのに、ということを考えることができないことこそが頭脳や知性と関係があることを理解していないところは川勝知事と同じだといえるでしょう。このような発言をした、何の人間関係ももたないこれらの人々とは、おそらく生涯付き合うことはないだろうと思ったことでした。
 言葉は大きな力を持ちます。時に人を鼓舞し、時に人を傷つけます。言葉というものを紡ぐ仕事を生業とするからには、私は慎重すぎるくらい慎重になろうと日々自分に言い聞かせているのです。だからこそ、「その言葉を聞いても誰も幸せにはならないような言葉」を無神経に吐き出す人に私は嫌悪感をおぼえるのです。
 ちょっと過激な発言をしてしまったので話題を変えましょう。
 股関節の手術をしてから4ヶ月が経ちました。経過はとても順調です。でも、私は杖を手放さないでいます。まだまだ杖なしで歩くことに不安があるからです。杖をついていて感じるのは、「人間は本来みんないい人なんだなあ」ということです。杖をついているとたくさんの人からたくさんの愛情を受け取ることがあるからです。先日も、女の子を連れた若いお母さんからとても親切にしていただきました。「どうもありがとうございました。本当に助かりました」、そうお礼を言ってさようならをしたあと、その二人の後ろ姿を見送りながら、私は、この娘さんはきっとお母さんのように優しい女性に成長するのだろうなあ、そう思いました。どんな言葉による教育的指導よりも、お母さんの後ろ姿から子どもたちは学ぶのだろうなあ、そう思ったからでした。そんなことを考えていると、親である私たちの行動のひとつひとつが子どもたちにとって大きな意味を持つのだとあらためて思っています。よく「子どもは親の言うとおりに育つのではない。親のするとおりに育つ」といいますが、まさにその通りだと思います。
 さて、とりとめもないことを書いてきましたが、最近の私はようやく本来の私にもどれそうかなあと思っているところです。というのも、手術から4ヶ月、安静にするために(私はつい無理をしてしまう性格なので)、ジムでのトレーニングを休んでいました。本来なら、「ジムでのトレーニング」と「創作活動」という対極に見える二つの活動をすることで私という人間のバランスをとっていたのですが、トレーニングを休むことで頭は疲れても体が疲れていないという不安定な状態が続き、ストレスがたまっていました。だから4月からトレーニングを再開し、ようやく本来の私らしい生活に戻りつつあるようです。体を動かすことは本当に大切なことだとあらためて思っています。しかし、その代わりに家で過ごす時間が多かったことで、3つの作品を仕上げることが出来ましたし(原稿用紙にして100枚ほど)、これからさらに長編の作品に取り掛かるので、トレーニングと掛け持ちで大変だとうれしい悲鳴をあげているところです。
 それでは最後に美しい言葉を発することが出来る人間になれるよう、私がいつも心に留めている言葉を書いておきますね。
『できるだけたくさんの本を読み、美しいものに触れ、思いやりをもって人と接する。当たり前のことを言っていると思うでしょうが、そういうことの積み重ねが、本当に人を美しくするんです』(斉藤茂太)。
2024-05-01 更新
著者プロフィール 
原田 京子(はらだ きょうこ)
1956年宮崎県生まれ
大学院修士課程修了(教育心理学専攻)

【著書】
児童文学
『麦原博士の犬語辞典』(岩崎書店)
『麦原博士とボスザル・ソロモン』(岩崎書店)
『アイコはとびたつ』(共著・国土社)
『聖徳太子末裔伝』(文芸社ビジュアルアート)
エッセー
『晴れた日には』(共著・日本文学館)
小説
『プラトニック・ラブレター』(ペンネーム彩木瑠璃・文芸社)
『ちゃんとここにいるよ』(ペンネーム彩木瑠璃・文芸社)
『タイム・イン・ロック』(2014 みやざきの文学「第17回みやざき文学賞」作品集)
『究極の片思い』(2015 みやざきの文学「第18回みやざき文学賞」作品集)
『ソラリアン・ブルー絵の具工房』(2016 みやざきの文学「第19回みやざき文学賞」作品集)
『おひさまがくれた色』(2017みやざきの文学「第20回みやざき文学賞」作品集)
『HINATA Lady』(2018みやざきの文学「第21回みやざき文学賞」作品集)
『四季通り路地裏古書店』(2019みやざきの文学「第22回みやざき文学賞」作品集)

 

No.194 教育ハラスメント?  
原 田 京 子 ( 児童文学作家 ) 
「教育ハラスメント」という言葉を最近耳にしました。「パワーハラスメント」や「セクシャルハラスメント」、「モラルハラスメント」などの言葉はよく耳にしますが、「教育ハラスメント」という言葉が果たしてちゃんとした単語として存在するのかはわかりません。どうやら親から子へのハラスメントのことを指しているようです。
 考えてみると、上司から部下、男性から女性(またはその逆)などで生じるパワハラやセクハラと違って、親から子へのハラスメントとなると、そこに血縁関係が存在するだけに、その関係を絶ってしまえばそれで終わり、というわけにはいきません。ことに、それは大人から子どもとへというパワハラ以上のハラスメントが存在しますから、それを受ける子どもたちにとっては重大な問題になるでしょう。しかも、親からすると、子どものためと思ってやっている場合が多いので、余計やっかいです。教育ハラスメントを受けて育った人は大人になっても、親から言われた言葉がトラウマとなり、一生心の傷として残るようです。
 教育ハラスメントという言葉が最近になって聞かれるようになったのは、これまでもその類のハラスメントがたくさん存在してきたにもかかわらず、それをハラスメントとして認識していなかったからでしょう。つまり、それらの親からの言葉が「ハラスメント」ではなく「教育的指導」としてとらえられていたからではないでしょうか。いいかえるならば、すべては子育ての過程で親から子へ愛情に基づいて発せられる言葉だと思われていたのです。
 考えなくてもわかることですが、子どもにとって親からの言葉は絶対的な意味を持っています。子どもは小さくて弱い存在ですから、大きくて強い存在から発せられる言葉はそうならざるを得ないでしょう。ましてや自分を愛してくれていると信じている存在から発せられる言葉ならなおさらです。
 しかし、「あなたのためを思っていっているのよ」に始まり、その言葉がさらにエスカレートしてくると、もうその言葉は子どもの心を傷つける武器以上の何ものでもありません。しかも、立場上逆らえないなら、子どもたちは愛情に名を変えたその言葉という武器によって一方的に傷つけられて、しまいには立ち上がれなくなってしまいます。そして、親からすると、黙って聞いている子どもの様子を見ながら、「ああ、わかってくれたのね」と勘違いし、その後さらに言葉の武器の威力はエスカレートし、もはや子どもたちから「抵抗」という言葉は消え、ひたすら萎えていくしかないのです。そうやってその小さな体で親からの言葉の暴力に耐えている子どもたちはすごいと思います。パワハラに耐えている大人よりすごいでしょう。それだけに、親の言葉に対して「口答え」という形で反抗できる子どもたちはまだしも、じっと耐えている子どもたちの心境を考えるとかわいそうでなりません。
「こんなこともできないの」「どれだけいったらわかるの」は序の口。とても文章としてここに文字化できないような、聞くに堪えない言葉を日々浴びせられている子どもたちがたくさん存在するようです。こんな言葉ばかり投げかけられると、子どもたちはもはや立ち上がれなくなり、「自分はだめな子なんだ」と自己否定をするようになります。自己肯定感を持つことができなくなるのです。日々、言葉の暴力に耐え忍び、傷つき、その傷は次第に深くなっていきます。そして、大人になったとき、おもわぬ形に変化して現れるのです。
 いろいろな文献を調べていくと、親からのハラスメントを受けて育った子どもほど自分の子どもにもそれをやってしまう、というハラスメントの連鎖について書かれていますが、いずれにしても、親からハラスメントを受けて育つと、自分が親になって同じことをしてしまうか、逆に、自分だけは親の二の舞はするまい、そう考えるかのどちらかでしょう。子どもにかける言葉に過度に敏感になる必要はありませんが、子どもは大人が考えている以上に大人からの言葉を真剣に受け取っていることは大いに自覚していたほうがいいと思います。
 そんなことを考えながら、私は自分の親から受けた教育について思い出してみました。
 私が親に対して大いに感謝をしているのは、親から「勉強しなさい」といわれたことがなかったことです。両親共に働いていたせいもありますが、あまり教育的な指導を受けた記憶がありません。いつも忙しそうに働き、人に頭を下げている両親の姿しかおぼえていないのです。それでも、勉強をする環境は与えられていたし、本もたくさんありました。ですから、私は今でもそうですが、勉強をすることが好きです。何かを自分から始めたり、調べたり、そして、本を読んだり、そんなことが大好きです。
 これまでのコラムでも書いてきましたが、大学受験をする頃には、父は病気で入院していたので、経済的な理由から受験する大学の選択肢はひとつ。地元の国立大学というのが受験の唯一の条件でした。そうして、大学に入学し、心理学という学問に出合ったのでした。その後の大学院受験に関するいきさつなどは過去のコラムにも書いたとおりです。つまり、様々な理由で選択肢が限られたとしても、自分が何をやりたいかをしっかりと把握していれば、自ずと道は開けてくるものです。大切なことは、選択の岐路に立たされたときに、自分でどちらに進むべきかを判断して決定し、選択した以上はすべての責任を自分で負うことだと思います。
 教育的指導の名の下にいつのまにか子どもたちが何をやりたいかを見つける前にその自由な思考を遮断してしまうような環境を、親自らが作り出してはならないということでしょう。子どもは未知なる可能性を秘めています。その可能性の芽を育て、大きく花開かせてあげるためにも、親からの言葉の暴力によって子どもたちを萎縮させることなく、自由に羽ばたけるような環境を作ってあげることが大切なのだと思います。
2024-04-01 更新
体で感じる・心が育つ
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No.193 私は何のために生まれてきたのか?  
原 田 京 子 ( 児童文学作家 ) 
 昨年9月にマッスルゲートというボディビルの大会に出場し、10月には出版の企画書が採用され、そして、11月にその企画が頓挫した後、12月には人工関節置換術を受け、年末年始は病院で過ごす、という昨年後半のあわただしい流れは、先月までのコラムでも書きました。
 今年の1月8日に退院した後、その10日後には沖縄に移動して2週間滞在し、その後、宮崎に帰ると確定申告を終え、現在、やっとゆっくりした時間を持つことができ、こうしてコラムを書いています。
 あわただしく過ぎたこの半年の後の、久しぶりのゆっくりとした時間の中で、私はあることを思い出しました。入院中、作業療法士の方に言われたのですが、リハビリをする人には(もちろん、けがや病気の程度にもよりますが)、自分の身を作業療法士に全面的にゆだねる人と、回復に向けて自分から積極的に動こうとする人と、そんな二通りに分かれるそうです。私は典型的な後者であるということでした。ひとつの課題をクリアすると、次の課題を要求する。そうして自分から進んでステップアップしようとする。私は病院のリハビリ施設の中で、それぞれにリハビリに励む人々を見ながら、私という人間がどうしてこんなふうに常に前へ前へと進もうとする性格なのか考えました。そして、この疑問はもうずっと以前から私の中にありながら、解明できていないのでした。
 ・ 私の性格はいつ形作られたのか? 
 ・ 成長する過程で誰かの影響を受けたのか? 
 ・ それとも、DNAそのものにそんな性格がすでに遺伝していたのか?
 ゴーギャンが描いた作品に、『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』というタイトルの絵画がありますが、「自分が何者で、何のために生まれてきたのか、そして、これから何をすべきなのか」という疑問は、誰もがぶつかる疑問ではないかと思うのです。
私は書くことが好きで、これが天職であり、書くことによって人を幸せにすること、それが天命であると信じて、40年以上書き続けてきました。私はこれからも書き続けていくために「自分が何者で、何のために生まれてきたのか、そして、これから何をすべきなのか」という疑問に対する答えを、客観的な判断に委ねることによって解明することにしたのでした。
 私はまず昨年の2月に性格検査(mgramテスト)を受けました。8月には知能テスト(World Wide IQ テスト)を受け、そして、その後、自分のルーツの検査(GeneLife)を受けました。いずれも信頼性の高い有料の検査です。その結果、様々なことがわかりました。自分で想像していた以上にIQが高かったこと、自分で思っていたよりも理論的で冷静な性格だったこと、自分のルーツについては(※これは唾液を採取して調べるもので、結果が出るまでに1ヶ月ほどかかりました)、ネアンデルタール人まで遡り、自分の意外なる側面が次から次へと明らかになりました。とくに、自分のルーツについては、
 ・ 髪の毛が生まれつきクルクルとカールしていること
 ・ 背が高いこと
 ・ 色が白いこと
 ・ 血液型
 ・ 目が二重であること
 ・ お酒が強いこと
 以上の特徴から、事前に自分なりの仮説を立てたのですが、ほぼ予想通りでした。
これらのテストの結果は私のブログやインスタグラムで公開していますので、興味がある方はそちらをご覧ください。
 これらの結果を受けて、私は自分自身について深く理解することができました。
 それでは、いったい私はこれらの検査によって何が知りたかったのでしょうか?
 その理由のひとつは、これから私が書こうとする児童文学作品に関して、どうしてもそれらのことを知る必要があったからでした。「自分が何者で、何のために生まれてきたのか、そして、これから何をすべきなのか」。このことを知ることによって、進むべき道、書くべきことがわかるような気がしたからでした。
 めまぐるしく過ぎ去った2023年における経験のおかげで、私は私自身を知ろうと努力し、その答えを得るために客観的なテストに判断を委ね、主観的にも客観的にも自分自身について知ることができました。
 もうすぐ70才という年齢を迎えるにあたり、何をすべきか? 何をせざるべきか? が明確になったことで、これからの未来に通じる一本の道が見えてきました。
 先月のコラムでも書いたように、人生観を変える出来事に遭遇することによって、まさに人生観が変わった私でしたが、昨年起こったすべての出来事が、私のこれからの未来への入り口へと通じていたのだと思うと、やはり神様は無駄なことはなにひとつなさらないのだなあと思っています。
「自分が何者で、何のために生まれてきたのか、そして、これから何をすべきなのか」。 
 だれもが生まれてきたら一度は自分自身に問う質問だと思います。私自身、これまでの人生で何度か自分自身に問うたのかもしれませんが、今回のように真剣に、しかも、答えを見い出すために、客観的なテストへ判断を委ねたりしたのは初めてのことでした。
 このコラムをきっかけに、一度皆さんも自分自身に問いかけてみてくださいね。
「自分が何者で、何のために生まれてきたのか、そして、これから何をすべきなのか」。 
2024-03-01 更新
著者プロフィール 
原田 京子(はらだ きょうこ)
1956年宮崎県生まれ
大学院修士課程修了(教育心理学専攻)

【著書】
児童文学
『麦原博士の犬語辞典』(岩崎書店)
『麦原博士とボスザル・ソロモン』(岩崎書店)
『アイコはとびたつ』(共著・国土社)
『聖徳太子末裔伝』(文芸社ビジュアルアート)
エッセー
『晴れた日には』(共著・日本文学館)
小説
『プラトニック・ラブレター』(ペンネーム彩木瑠璃・文芸社)
『ちゃんとここにいるよ』(ペンネーム彩木瑠璃・文芸社)
『タイム・イン・ロック』(2014 みやざきの文学「第17回みやざき文学賞」作品集)
『究極の片思い』(2015 みやざきの文学「第18回みやざき文学賞」作品集)
『ソラリアン・ブルー絵の具工房』(2016 みやざきの文学「第19回みやざき文学賞」作品集)
『おひさまがくれた色』(2017みやざきの文学「第20回みやざき文学賞」作品集)
『HINATA Lady』(2018みやざきの文学「第21回みやざき文学賞」作品集)
『四季通り路地裏古書店』(2019みやざきの文学「第22回みやざき文学賞」作品集)

 

No.192 私の人生観を変えた出来事  
原 田 京 子 ( 児童文学作家 ) 
 昨年、私には人生観を変える様な出来事が2つありました。1つは、北海道に行った時でした。これまで、札幌には二度ほど行ったことがありましたが、今回は帯広。7年ほど前から北海道に住んでいる息子に会いに行ったのです。
 滞在は帯広でしたが、息子が暮らすのは大樹町。とにかく北海道はでっかい。滞在しているホテルから息子の仕事場までも車で1時間強ほどかかりました。
 滞在中は息子が車を縦横無尽に走らせ、様々な場所に案内してくれました。無限に広がる大地。行けども行けども道は続きます。これまで見てきた日本の風景とはまるで別世界でした。牛や馬などの家畜はもちろん、丹頂鶴や蝦夷鹿の姿も目にしました。
 こんな雄大な大自然の中で7年間も暮らしてきたのだと思うと、息子の人間的な成長ぶりが妙に納得できたのでした。それどころか、このような厳しい自然環境下で私はとても暮らしてはいけないだろうと思うと、その凄さと逞しさに感動し、我が息子を誇りにさえ思えたのでした。
 久しぶりに親子で過ごせた4日間でしたが、私は本当に幸せでした。思い切って北海道に行って良かったと心から思いました。宮崎に帰ってからも、しばらくは縦横無尽に走り抜けた北海道の雄大な大自然の景色が頭の中を走馬灯のように駆け巡って離れず、こんな思いをしたのは、10年前にヨーロッパ一人旅をして以来でした。
 ヨーロッパを旅した時も、今回のように、帰国してしばらくはパリやロンドンの景色が夢うつつに頭の中を駆け巡っていましたから、北海道の旅もそれと同じくらい私にインパクトがあったのでしょう。
 さて、もうひとつ、私の人生観を変えた出来事。それは年末に入院、そして、手術をしたことでした。入院して手術を受けたのは三度目ですが、今回が一番大変な手術内容だったので、これまでにない様々な経験をすることになりました。
 入院は12月20日。翌21日に無事手術を終えました。術後の夜から翌日の午前中までの苦しかったことといったら。点滴とオシッコと痛み止めと傷口から出る血を流すチューブ。この4つにつながれ、身体ががんじがらめで、しかも、便秘をしたことのない私にとって、自力でトイレに行けない。これが何より苦痛でした。
 しかし、この21日の夜から22日の午前中の地獄の様な時間を耐えると、翌日からは身体につながるチューブがひとつずつ外れていき、24日には車椅子でトイレに行き、25日にはリハビリが始まりました。さらに26日には歩行器で歩き、シャワーを浴び、27日からは杖を使って歩くことができました。
 時の流れと共に行動も進化していき、時間が止まらないことに感謝。そして、なによりもベッドに固定されて何も出来ない私を全面的にお世話して下さった看護師さん達に感謝でした。
 全く自力で何もできない状態というのを経験したことは、何にも代え難い経験でした。入院から退院まで、私の身体を最善の状態にするために、何人の人が関わってくださったかを考えると、これからの人生で、私は自分の身体を大切にしなければならないなと心から感じました。そして何より、何度も面会に来てくれた夫、治療の経過を見計らってタイムリーに北海道からメッセージをくれた息子、そんな家族の愛情とその存在の大切さを実感したのでした。無事に退院の日を迎え、20日ほどの入院生活を振り返りながら、神様は決して無駄なことはなさらないなあとあらためて感じている私です。
 しばらくは杖を使って歩く日々が続きますが、私に関わって下さった全ての人に感謝をしながら1日1日を大切に過ごしていきたいと思っています。か
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No.191 今年最初のコラムです  
原 田 京 子 ( 児童文学作家 ) 
 あけましておめでとうございます。今年もこのコラムをよろしくお願いいたします。
 このコラムも18年目に入りました。最初のコラムから読んでくださっている方はご存知かと思いますが、息子の幼児期の記述に始まったコラムも(もうその当時、息子はすでに大学生になるかならないかという頃でしたが)、バックナンバーのタイトルが示すように、実に多種多様な内容になりました。毎月コラムを書くたびに、様々なことを考えます。書きたいことは山ほどありますが、どんな内容にしたら皆さんに読んでもらえるか、皆さんの子育てのほんの少しだけでも助けになるか、さまざまなことに思いを巡らして書いてきました。
 もうすぐ古希(70歳)に手が届こうとしているせいか、最近では、未来に思いを馳せるよりも、歩いてきたこれまでを振り返ることが多くなりました。ですから、「子育てコラム」というよりも「人生コラム」というほうが的確かもしれません。でも、皆さんのもとに届いたときに、ああ、このコラムを読んでよかった、そんなふうに少しでも思っていただけるように、皆さんの心に響くような内容をこれからも心を込めて書いていきたいと思っています。
 これまでのコラムでもわかるように、私はたくさんの本を読んできました。ですから、本の数は増えるばかりで、置き場所に困ってしまいます。たぶん5千冊以上はあると思います。そんな本たちをコラムの中でも紹介してきましたが、コラムを振り返ってみると、私自身の馳せる思いが実に多岐にわたっていることに、我ながら感慨深いものがあります。その内容たるや、中国の古典『四書五経』から『孫子の兵法』、さらにはスティーブ・ジョブズに至るまで、興味の対象が多種多様で、本当に「本」というものの存在は私にとって大変貴重で、実にたくさんの目に見えないものを与えてくれるのだと思っています。ですから、これからも私が読んで感動した本や、ぜひとも読んでほしい本を、このコラムで紹介していきたいと思っています。
 さて、最近の私が思うこと、それは、この地球上のすべての人が幸せになるということは実現不可能なことなのだろうか、ということです。なぜなら、世界のあちこちで起こっている戦争やテロなどの犯罪、これらがなくなることがないからです。こうしている今も、世界のあちこちで、たくさんの人がその犠牲になっているのです。
 テロといえば、私が一番ショックだったのは2001年のマンハッタンでの9.11同時多発テロ事件です。1985年から1年近く、私はマンハッタンに住んでいました。私は地図がなくてもマンハッタンの街を歩くことができました。マンハッタン島はそれくらい小さくて整然とした街でした。南北を走るアヴェニュー、東西を走るストリート。そして、南北を斜めに貫くブロードウエー。ストリートとアヴェニューの番号さえわかれば迷うことはありません。
 私が住んでいた頃はまだツインタワーがありました。この近くによく利用していた旅行社があったので、この高いツインタワーの前を横切って旅行社に行き、帰りに近くのチャイナタウンで中華を食べたものでした。
 しかし、もう今はこのダウンタウンのシンボルともいえる存在だったツインタワーは存在しないのです。私にはありえない光景です。そして、マンハッタンの住人にとっては想像を絶する光景となったのです。あれ以来、マンハッタンを訪れることはありませんが、テレビなどで観るマンハッタンはずいぶん様変わりしているようです。
 私は世界中の街の中でマンハッタンが一番好きです。「人は、一番最初に訪れた国が一番好きな国になる」そうですが、それは事実かもしれません。懐かしいマンハッタンの街並みとそこに住むあらゆる人種の人々。そして、まったく知らない同士なのに、一瞬にして近づけてしまう「ハグ」という行為。私にハグを教えてくれたこの街が、私は世界中で一番好きです。
 さて、話はガラリと変わりますが、私は年末年始を病院で過ごすことになります。人工関節置換手術を受けるためです。入院して手術をするという経験は初めてではありませんが、日常とはかけ離れた非日常の日々を経験することは、私に様々なことを考えさせます。
 入院するにあたり、体中のあらゆる検査をしました。そして、手術に伴うあらゆる可能性を認識し、手術に臨みます。できるだけ日常と同じ生活をしたいと思っても、それは不可能で、行動も所持品も制限されます。なんだか修行に入るような感じです。
 今年最初のコラム、とりあえずはこの辺で終わることにしますが、入院した日々の生活について、もし私にそのゆとりがあるならば、是非、今月のコラムの続きとして書いてみたいと思っていますが、果たしてどうなることでしょうか?      〈続く〉 
2024-01-01 更新