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4月25日、5月9日(土)21時からはエーリッヒ・フロム『自由からの逃走』の読書会を実施したいと思います!
古典・名作チャレンジ読書会:エーリッヒ・フロム『自由からの逃走』
おすすめ度4
難易度3
困った人がいれば、その人の立場にたって、
相手の気持ちに共感、そして人助け
これはみんなも納得、心から共感だよね
という
有無も言わせぬ空気観が
どことなく世にはあるが、
本書はそんな何となく感情的に共感するのって
むしろ人に迷惑かけてない
と言ってのけ、
世の空気に大胆に共感しないのだ!
ここだけ読むと
サイコパスか!
こいつと言われそうなので、
著者がどう共感を整理し、何を問題にしているのか説明したい。
まず、著者は共感を「情動的共感」と「認知的共感」に分け、前者を問題視している。
*共感というとアダム・スミスですよね( ・ω・)
情動的共感とは「他者が感じていることを自分でも感じること」なのだが、
これは時に共感しすぎて事態を適切に対処できないことがあるのだ。
例えば、医者が患者の不安、怖れに情動的に共感すると、ときに「情動の底なし沼」にはまってしまう。
また、情動的共感に訴えて、他者の支援を求めるとその支援はバイアスの強いものになりかねないリスクがある。
これは24時間テレビのようなお涙頂戴、感動誘発番組を見て、普段は特に関心もないのに突然寄付しようと思う人には耳が痛い話だったりする。
あなたの唐突な感情的な善意による金銭的援助は福祉政策を冷静に考えた時より有効な使い道があったことを頭に入れておけという話だからだ。
あなたの出したお金によって、例えば、アフリカの貧しい子たちを何人も救う可能性があったりするのだ。
情動的共感によって、その時気分のいいことができたとしても、それが公共政策という観点では最善でない可能性は大いにありうるのだ。
情動的共感が誤りうることは分かったが、それでは共感するのはいけないかというとそうではない。
著者は「他者の心のなかで起こっている事象を、感情を挟まずに評価する能力に結びつけてとらえる」タイプの共感、すなわち、「認知的共感」はあっていいという。
これは
理性的に相手を思いやりましょう!
と言い換えてもいい。
こう書くと何やら難しい話に聞こえるかもしれないが、
別に何でもかんでも、人に共感しなくても人に親切をすることはできるということだ。
あなたが先生で生徒が入試で不安ですと訴えてきたら、
適切にアドバイスをし、生徒の心を落ち着かせ、
勉強に向かわせるのが仕事であって、
生徒と一緒に入試を不安がるのが仕事でないことは分かるだろう。
何とも当たり前のことのように思うだろう。
だが、
SNS上での相手への共感に訴えて、
人の支援を求めることが日常茶飯事に行われ、
すぐに共感疲れしかない現状では
意識的に理性的に思いやることに留める
というのは
心の健康を保つ上で重要な観点かと思う。
情によって正義を求めるのでなく、
公正を理性的に追求する。
そのために
共感に反対するっていうのは少しクールな対応ではないだろうか?
それとも心のない冷徹漢なのだろうか?
それは本書を読んで、判断してほしい。
特にここまでの紹介を読んで、心がかっかっとホットな気分になっている人は特に。
*インスタでも紹介しました!
*にしても今「感情」の社会的意義を考える必要がありますよね(´・ω・)
以下の本はよい参考書になるかと。
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直近だと4月25日、5月9日(土)21時からエーリッヒ・フロム『自由からの逃走』の読書会を実施したいと思います!
古典・名作チャレンジ読書会:エーリッヒ・フロム『自由からの逃走』
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