内田樹『街場の天皇論』東洋経済新報社。
おすすめ度4
難易度3
平成から令和へと時代は変わった。戦後憲法下において天皇が生前退位という形で次の天皇にバトンを渡したことで大いに話題になった。
専門家の間では大いに議論が盛り上がったが、多くの人は何か時代が変わって何かいいことあるかな程度の認識で過ごしたように思われる。天皇とは何か、天皇が今の時代に持つ政治性とは何かを特に考えることなく令和を迎えたように思う。
それは近代憲法において天皇という古代的な存在を扱うという何とも難しい問いが潜んでいることとも関係する。
また、この国の戦後憲法がアメリカに敗れた後出来上がったという何とも難しい成立過程とも関係してくる。
天皇の議論自体が難しいのに、それに加え、憲法、国際政治といったその他の頭を悩ます問題が関連しているために天皇を議論することはますます避けられがちになる。
天皇をめぐる複雑性ゆえに議論を回避し、美しく時代の変化をクールに歓迎し、とりあえず人付き合いをスムーズに、円滑に、それこそ空気を乱さぬように生きることが「令和」風かのようだ。
だが、このような態度は天皇制をめぐり、右であれ、左であれ、どのような政治的立場を取るにせよ、この国の政治に対して責任をもって生きる態度ではないだろう。
「天皇制は(三島が言うように)体制転覆の政治的エネルギーを蔵していると同時に、(戦後日本社会が実証してみせたように)社会的安定性を担保してもいるということである。天皇制は革命的エネルギーの備給源でありかつステイタス・クオの盤石の保証人であるという両義的な政治装置だ。私たち日本人はこの複雑な政治装置の操作を委ねられている。この「難問」を私たちは国民的な課題として背負わされている。その課題を日本国民はまっすぐに受け入れるべきだ」(pp.244-245)
というように天皇制を考えることはこの国の矛盾に望むことを意味する。
この国の矛盾が内田樹の持ち前の分かりやすい語り口で鋭くえぐりだされるとき、天皇を巡る言説に読者は知的好奇心が多いに刺激されると同時に、問いの根本的な困難さに頭を抱えるだろう。
だが、その困難さこそに人間としての成熟のきっかけがある。
「ある種の難問を抱え込むことで人間は知性的・感性的・霊性的に成熟する。天皇制は日本人にとってそのようなタイプの難問である。」(P244)
天皇とは何かを通じ、この国のことを深く考えるきっかけにしていきたい。