昔住んでいた水巻町 | 郷土を愛そう!散策しよう♪ウォーキングブログ

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今回は六実から離れます。
六実の前に住んでいた水巻の話

福岡県遠賀郡水巻町伊左座


自分が幼稚園の年中から、小学校一年生まで住んでいた所😆


この三年間のうち始めの一年は、今までの人生最初で最後の二階建て住宅!


幼い記憶を辿ると....


父の会社の人の家で、家主が留守の間約二年間借りさせてもらっていた家。

調べて、いろいろ分かって来た😌



1974年~76年の航空写真と記してあった。

この航空写真にはその家はなかった🤔

家が建つまで約一年かかる。

しかし、年中から幼稚園に通っていたのは事実なので、この写真は74年と思われる。


1981年の航空写真
自宅だった家が存在している。

て事は....

新築して間もない時に、借りさせてもらった事になる。


2024年現在
家はまだ存在していた😆

水巻町の歴史

水巻町は古くは縄文式土器が発見され、歴史は深い。

詳しくは⬇️
公式HPからの転載⬇️

明治に入り、石炭鉱脈の発掘と国の富国強兵策の下で、石炭産業で栄え、明治22年(1889年)の町村制施行に際し、立屋敷・伊左座・二・下二・吉田・頃末・えぶり・古賀・猪熊の9か村が合併して水巻村(みずまきむら)になり、石炭産業隆盛とともに人口も急増、昭和15年(1940年)に町制を施行し「水巻町(みずまきまち)」が誕生しました。


長らく炭鉱の町として栄えた水巻町

昭和30年(1955年)から始まるエネルギーの転換により、昭和46年(1971年)石炭産業の終えんを迎え、町勢は一時衰退しましたが、炭鉱跡地の再開発と合わせて、積極的に住宅政策を進め、北九州都市圏内のベッドタウンとして発展をみています。


公式HPから転載⬆️


これが歴史😌


炭鉱が無くなり、町が衰退した😌

まるで軍艦島だわ😆


軍艦島
良かったら見て下さい♪

小学校に入学する頃、近くのみずほ団地に平屋一戸建ての家に引っ越した。

残念ながら、自分はそこでの記憶は多少あるものの、場所が分からない💦

当時中学生だった姉は、母の生前に水巻に訪れている。恐らく10年以上前。

平屋の家の前で写真があるので、恐らく今も存在している。


二階建ての家は出来て1年後くらいに借りていた新築住宅✨

平屋の一戸建ては中古住宅で、懐かしいボットン便所だった💩


新築か中古なんて事は、当時4~6歳だったアクルは知るよしもない😌

ちなみに余談ですが、

⬇️これは松戸市に行った時の記事
さて水巻にいた頃は、親に連れられて買い物と言えば、黒崎のそごう😆
黒崎は鹿児島本線の駅。


鹿児島本線415系(ネットより)
1970年代はこの色でした。
もう無いかな🤔

1976~1979年当時、水巻駅から小倉駅まで駅も少なく、水巻➡️折尾➡️八幡➡️戸畑➡️新中原➡️小倉➡️門司➡️門司港だった。

ちなみに新中原(しんなかばる)は今の九州工大前。

黒崎そごうに行くのに、水巻駅から折尾駅まで行って、そこから廃線になった西鉄北九州線、路面電車に乗っていた。


(ネットより)
思えば人生初の路面電車✨

全て懐かしい思い出です😌

こうしてブログに書く事により、当時の記憶を思い出し、地域を調べれて記録で残せるのは幸いかな😆

長々ありがとうございます🙇