[2016年9月21日の記事再アップ]
[2016年12月4日の記事再アップ]
[2024年5月16日記事修正]
軍艦島記事シリーズのラスト記事
軍艦島50
軍艦島エピローグ
軍艦島に関する記事は、この記事で終了します🙇
理由は画像も殆ど公開しましたし、概要その他も全て説明しましたから
かぶる画像もあります。ご容赦をm(__)m
これから軍艦島の記事をアップするなら、過去記事にリニューアルを施し対応します(^-^)
*******************
軍艦島プロローグ
ここにある画像はオリジナルな為[無断転載・使用禁止]
これは、2006年に釣り目的で軍艦島に釣り名目でこっそり上陸し、散策した記録です。
もちろん現在は観光地化され、正規上陸の出来るようになった軍艦島は、画像に写っているような場所へは行けません。
これは、2006年に釣り目的で軍艦島に釣り名目でこっそり上陸し、散策した記録です。
もちろん現在は観光地化され、正規上陸の出来るようになった軍艦島は、画像に写っているような場所へは行けません。
当時はグレーゾーンだった。
それだけに貴重な画像…
無断転載・使用は禁止です。
それだけに貴重な画像…
無断転載・使用は禁止です。
あれから数十年!
この島は 荒れるにまかせ
朽ち果てて
くち果てていた
この島は
もう再びよみがえることはない
軍艦島(端島)内の啓明寮にある有名な落書き
改めて説明します!
軍艦島
改めて説明します!
軍艦島
本当の名前は端島(はしま)
炭鉱の島。軍艦島の由来は外観が旧日本海軍の軍艦土佐に似ていたからである。
良質な石炭が採掘され、主に八幡製鉄所に送られていた。
長崎県西彼杵郡高島町の沖合いに浮かぶ島。
1810年に岩礁で露出炭が発見されて以来、1974年に閉山されるまで日本のエネルギーに貢献してきた。
石炭の需要が増えると人口も増加し、狭い島に居住を確保する為、建物の高層化が進む。
南北480メートル、東西160メートル、周囲1.2㌔。
この小島に最大5259人(1959年)住んでいた。
これは当時の人口密度世界一であった。
〔この文は過去記事より転載〕
大正時代に建てられた日本初RC造の高層アパートや、戦時中に建てられたアパート…
日本のアパート建築の基本となる建物が今も残っている。
正面は大正5年に建てられた、日本最古のRC造アパート‘35号棟’
また、これは違う号棟だが、このように当時の物が残っている。
これは建物内部に残されている‘初代リカちゃん’
いや、ここは屋上農園
学校教材用の畑でした。
これは商店街のアイスケースかな?
昔ここには、お寺があった。
木造のお堂は朽ち果て消えた。
先程の35号棟が見える
朽ち果てた水道の残骸。
建物内部。朽ち果ててる配電盤!
これが戦時中の物資不足の中で誕生した65号棟
これは商店街のアイスケースかな?
昔ここには、お寺があった。
木造のお堂は朽ち果て消えた。
先程の35号棟が見える
朽ち果てた水道の残骸。
建物内部。朽ち果ててる配電盤!
これが戦時中の物資不足の中で誕生した65号棟
コの字型で9階建の島内最大級のアパート
写っているのは南棟。
初めはL字型のアパートでした。のちに北棟が完成し、コの字型になった。
エレベーターシャフトは付いているが、エレベーターは付かず、シャフトは居住スペースになった。
エレベーターシャフトは出っ張り部分です
ちなみに北棟は戦後に完成してる為、初めに完成した棟とは造りが違い、内風呂やトイレがある。
戦時中に完成した棟は、内風呂やトイレは無く共同風呂・共同便所でした。
こちらも大正時代に建てられたアパートの16~19号棟。
ホーミングクレンザー!
散乱する玩具に本!
窓の外の緑
残されたお酒類!
中身入ってました
昭和48年の新聞
端島小中学校にあった軍艦島模型
足踏みミシン!
朽ち果てたオルガンの一部。
学校の壁画!
湯たんぽ!!
65号棟隣に見えるは、端島病院😆
これは自分のコレクションですが、ここに出てる以外にもあります
是非ご覧下さい♪
自分の知識はこれらから学びました
また
愛知県犬山市にある博物館明治村には、軍艦島の模型もあります。
かなり精巧に出来てます!
機会あれば明治村へお出掛け下さい♪
博物館明治村へは、名鉄名古屋駅から、名鉄犬山線‘犬山駅’下車、犬山駅からバスで行けます!
お出かけは名鉄(名古屋鉄道)で
これからの軍艦島の記事は、冒頭にも書きましたが過去記事にリンクを施したり、統合したりして、リニューアルし再アップします!
このブログ記事‘軍艦島51’が、アクルの軍艦島ブログへのナビゲート記事。
またこれからも改めて‘軍艦島1’~‘軍艦島50’まで順に再アップしていくつもりなので、今からリンク先をクリックして全部見ても良いし、見なくてもよいです。
全てリンクで繋がるように施しました。不備があればコメ等で教えて下さい。
軍艦島に思いを馳せる!
エレベーターシャフトは付いているが、エレベーターは付かず、シャフトは居住スペースになった。
エレベーターシャフトは出っ張り部分です
ちなみに北棟は戦後に完成してる為、初めに完成した棟とは造りが違い、内風呂やトイレがある。
戦時中に完成した棟は、内風呂やトイレは無く共同風呂・共同便所でした。
こちらも大正時代に建てられたアパートの16~19号棟。
防潮を兼ねた渡り廊下で繋がってます
風化で拝殿が朽ち果て、コンクリートの本殿飲みになった端島神社様!
過密空間が伝わりますか?
朽ち果てた何か!?
人形
置き去りのテレビ!
子供の玩具♪
薬品の空缶。
65号棟、南棟の室内!
朽ち果てたガスホース。
30年以上放置の熟成された梅干し
人形こわっ!
風化で拝殿が朽ち果て、コンクリートの本殿飲みになった端島神社様!
過密空間が伝わりますか?
朽ち果てた何か!?
人形
置き去りのテレビ!
子供の玩具♪
薬品の空缶。
65号棟、南棟の室内!
朽ち果てたガスホース。
30年以上放置の熟成された梅干し
人形こわっ!
ホーミングクレンザー!
散乱する玩具に本!
窓の外の緑
残されたお酒類!
中身入ってました
昭和48年の新聞
端島小中学校にあった軍艦島模型
足踏みミシン!
朽ち果てたオルガンの一部。
学校の壁画!
湯たんぽ!!
65号棟隣に見えるは、端島病院😆
これは自分のコレクションですが、ここに出てる以外にもあります
是非ご覧下さい♪
自分の知識はこれらから学びました
また
愛知県犬山市にある博物館明治村には、軍艦島の模型もあります。
かなり精巧に出来てます!
機会あれば明治村へお出掛け下さい♪
博物館明治村へは、名鉄名古屋駅から、名鉄犬山線‘犬山駅’下車、犬山駅からバスで行けます!
お出かけは名鉄(名古屋鉄道)で
これからの軍艦島の記事は、冒頭にも書きましたが過去記事にリンクを施したり、統合したりして、リニューアルし再アップします!
このブログ記事‘軍艦島51’が、アクルの軍艦島ブログへのナビゲート記事。
そして軍艦島ブログ記事の最終記事。
タイトルの‘終わりと始まり’の意味に繋がりますよね
軍艦島に凄く興味を持ちアクルのワールドに引き込まれたい方(笑)、また初歩的な軍艦島の知識知りたい方…入り口は下記の
軍艦島に凄く興味を持ちアクルのワールドに引き込まれたい方(笑)、また初歩的な軍艦島の知識知りたい方…入り口は下記の
からお進み下さい♪
またこれからも改めて‘軍艦島1’~‘軍艦島50’まで順に再アップしていくつもりなので、今からリンク先をクリックして全部見ても良いし、見なくてもよいです。
全てリンクで繋がるように施しました。不備があればコメ等で教えて下さい。
軍艦島に思いを馳せる!
軍艦島 番外編はこちら