前回、自分で書いたものを
さっき、見返していたら、
私の頭の中で、
ブラームスが
すごい怒って、
私を殴ろうとした。
前回、いろんな作曲家の
名前を書いたのに、
ブラームスを書かなかった。
ドボルザークも書いたのに、
ブラームスを書かなかった。
あぁ、
ブラームスを
ブランドに入れなかったから、
ブラームスが
怒ってる。
今、私は、
子どもの生徒募集を
辞めている。
(以前は、子どもメインだった)
もし、
子ども(中高生含む)を
中心に教えていたなら、
ブラームスを忘れることなど
なかっただろう。
他の先生の考えは
知らないけれど、
私は、
子どもを教えることと
大人の趣味を教えることは
全く別物だと
思っている。
どれくらい違うかと言うと、
我が子に
箸の持ち方を教えるのと、
外国人旅行者に
箸の持ち方を教える
くらいの違いだ。
どのレベルを
「good」とするかの違い。
躾、教育と
娯楽の違い。
こっちから「やれ」というのと、
「やりたいことをやればいい」
の違い。
学習となると、
ブラームスは必須だと思う。
だけど、
大人の趣味で、
やっている人で
ブラームスを
弾きたいという人は
あまり見かけない。
私の周りだけかも
しれないけれど。
どうしてなんだろう。
そういう理由で
ブラームスを忘れた。
そんな言い訳で
ブラームスは
許してくれないだろう。
もっと怒るかな?
ブラームスも
チャイコフスキーも、
ピアノ趣味の人たちに
もっと
人気が出てもいいと思う。
それにしても、
このレッスンは
ひきこまれてしまう。
特に四季の教え方に
うっとりしました。
「明るい光に満ちた
悲しみというものがあるのです」












