前回、

 

私は、子どもの頃、

ゆるい先生

から、

ゆるくない先生

習う先を変わった経験がある。

 

と書いた。

 

私は、

子どもの頃に、

何度か先生を変わっている。

 

最初の先生は、「近所の人」

 

音大の新卒で、

私が、生徒第一号だった。

 

今、思えば、

時間の無駄だった。

私は、講師の練習台であり、

無意味な時間だった。

 

この人が、

結婚して出産するという

休みを取るまで、

この人に習った。

 

次の先生に変わった時には、

「全然、できていない」

と言うことで、

教本は、簡単な物に戻されるし、

 

使っている楽譜は、

「版(出版社)」が

これじゃダメだ、

と、買い直しをさせられたりした。

 

「いいよ。いいよ。

どんどん進もう」の先生から、

 

「だめだ、だめだ、

前に戻ろう」の先生になった。

 

「ダメだ」と

言ってくれる先生の方が、

信頼できたし、

いろんなことが理解できたし、

ピアノが面白くなった。

 

この時、

「前の先生は、

指導力もなくて、

演奏能力もないから、

いいよいいよと

言っていただけなんじゃないか」

と、気付いた。

 

その後、

もっと厳しい先生に

変わることになるが、

 

結局、

私は、厳しい先生が

自分の性格にあっているのだろう。

 

優しい先生は、

能力がないか、さぼってる。

そう考えてしまう子だった。

 

たぶん、

「私という個体そのもの」が、

今の時代の風潮とは

あっていない。

 

今、時代にあわそうとして、

仕事中に、

褒めたり、良い所をみつけたり

しているうちに、

なんだか、やる気がなくなってくる。

 

前回、

私は、大人のレッスンで、

ハノンやツェルニーに

マルを付けないと書いたが、

 

曲集の方は、

ええかげんに、

(良い加減ではない、

ちゃらんぽらんと言う意味だ)

マルを付けたりする。

 

ゆるい先生と、

ゆるくない先生と、

やる気のある先生と、

やる気のない先生が、

全部、同居した感じのちぐはぐさで、

自分でも、

一人の人間とは思えない時がある。

 

「褒められると、やる気が出る」

バカみたいな、

教育関連の書籍には

そんな記述を見かける。

 

だけど、講師の私は、

「褒めると、やる気がうせる」

 

私が、人を褒めている時は、

向きあうことが、

面倒くさい時だ。

 

褒められて、

お客様扱いされて、

喜んでいる人は、バカだ。

 

ちゃんと、

上手にしてあげたい

「お客様」ではない「生徒」を、

そうそう褒めていられる

わけがないだろう。

 

褒めるしかできないなら、

もう、私の手には負えないほど

上手と言うことなので、

もっと上の先生に

紹介しなければならない。