CZERNY

訳者(出版社)によって、

ツェルニーと書かれていたり、

チェルニーと書かれていたりする。

 

ツェルニーの練習曲集は、

有名作曲家から退屈だと

酷評されているし、

 

有名ピアニストが

「子どもへの拷問」だと

言い放ったことでも有名だ。

 

だから、今は、

使っていない人が多いかもしれないが、

私は、結構好きで、

特に、30番の教本は好きだ。

 

古典の作品を弾くためには、

必須ではないかとさえ

思っている。

 

ところで、

 

その「30番レベル」とは、

どれくらいのレベルなのだろうと

思うことがある。

 

私は、大人のレッスン生に、

ツェルニーやハノンの楽譜に

「マル」をつけたことがない。

 

<「マル」というレベルは

存在しないと思うので、

「マル」は書きません。

 

適宜、またやりますので、

「もうやりましたけど・・」とか

「合格したのに・・」と

思わないでくださいね。>

 

と、くぎを刺している。

 

他の教室のことは、

知らないけれど、

 

「うちの教室で、

ツェルニー30番をやっている人は、

ツェルニー30番以下の実力しかない」

 

私の指導力や

教本の選択に

問題があるのかもしれない。

 

うちの教室の大人の場合、

 

指定されている速度で、

綺麗に弾けるレベルは、

 

ツェルニー30番を通り過ぎて、

もっともっと過ぎて、

どんどん過ぎて、

ツェルニー30番なんて、

いつやりましたかしら?

くらいに通り過ぎた後に、

フィードバックしてみたころ

かもしれない。

 

私が、子どもの頃に

使っていた楽譜を見ると、

ツェルニー30番の

18曲目(変ホ長調)

 

指定速度 ♩=138のところを、

先生から私へ指示は、

♩=60と書かれていた。

 

倍以上、遅い。

こんなのは、

弾けたうちに入らない。

 

速く弾ける人が、

ゆっくり弾くのはいいけれど、

 

当時の私が、

頑張って、倍の遅さでしか、

弾けなかったのだとしたら、

 

おそらく、

「どたどた弾き」

「べちゃべちゃ弾き」

「がちゃがちゃ弾き」で

ツェルニー30番レベルじゃないのに、

マルをもらって

進んでいたのだろう。

 

そんないい加減な指導を

されたおかげで、

子どもの頃、

他の先生に変わった時に、

もう、とっくに終わったはずの

30番の教本から

抜粋で、やり直しを

させられた過去がある。

 

「指定速度」自体が速すぎるとか、

当時(ツェルニーの時代)の

ピアノとは、

鍵盤の深さや、軽さが違うとか、

色んなことが言われるし、

 

練習曲で、大事なのは、

速度だけでもあるまい。

 

だけど、やっぱり、

レッスン生を見ながら、

 

「ツェルニー30番を

レッスンでやっている人は、

現在、

ツェルニー30番レベルじゃない。

それ以下だ」

と思っている。

 

私は、幼少期

ゆるい先生

から、

ゆるくない先生

習う先を変わった経験がある。

 

おとなのレッスン生には、

「ゆるい」と、「ゆるくない」の

間を、さまよいながら

指導していると、

結局、私は、

マルをつけないという

逃げ道をさまよっている。

 

ツェルニー30番の教本を終えた後、

もっと、難易度の高い練習曲も

やった後で、

 

あの本を全曲通しで、

指定速度で弾いてみたら、

自分の、

苦手な動き、

得意な動きがわかるだろう。