私は、時々、

「家で練習しているように、

5分間、練習しろ」

と、レッスン前に

言うことがある。

 

講師の前での「自習」だ。

 

あるおっさんは、

習って間もない頃は、

 

「メトロノームを使って、

拍をしっかり感じて

練習するように」

という

私の指示を守っていた。

 

数か月、

1年、

2年、

と経つうち、

 

おっさんは、

「その時間」に、

メトロノームを使うことを

やめた。

 

小節線をまたぐたびに、

変な「間(ま)」をあけ、

 

弾きにくい所は、

ゆっくりになる。

 

弾きやすい所は、速くなる。

2拍は待てない。

3拍、4拍なんて待てるはずもない。

 

私は、これまでに、

何度もメトロノームを

使えと言ってきた。

 

だから、

おっさんは、

私の言いたいことを

知っている。

 

なのに、おっさんは、

ある日から、

メトロノームを使わなくなった。

 

「使っていた人」が、

「使わなくなる」には、

何らかの理由があるのだろう。

 

そして、

あんなに口うるさく言った

私の前で使わないのだから、

家で使っているはずはない。

 

「自分は、もう、一定の速度で

弾ける」という勘違いなのか、

 

「面倒くさい、どうでもいい」

という投げやりな気持ちなのか。

 

おっさんの気持ちは聞いていない。

 

レッスン前自習で

メトロノームを使わなくても、

レッスンで、使って、

テンポがおかしいことを、

何度も指摘しているのに、

それでも、

使わないというのは、

おっさんの意志なのだろう。

 

テンポが、ぶれる人、

リズム感が極度に悪い人

音楽経験のない人ほど、

メトロノームを嫌う。

 

自由に、

ひとりよがりで

ピアノを弾きたいのだろう。

 

合奏や、人の伴奏が、

永遠にできない、

ひとりよがりピアノ。

 

人生の終盤に入った

おっさんが、

人生の楽しみとして

お金を払って、

ピアノを習う。

 

この部分は、

子どもの習い事と、

全く意味合いが違う。

 

上手になることが幸せか、

好き勝手に自己満足するのが

幸せか、

 

どちらが幸せだろうか?

 

私の本音としては、

自己満足で

好き勝手にやるほうが、

いいのではないかと思う。

 

そう思う私は、

仕事上、

何をすべきなのだろうか?