ある日の大人レッスン。

 

本人の希望で、

ドビュッシーの

とある曲をやっている。

 

数か月前、

その曲に取り組み始めた時は、

「手取り足取り」

で、指運びやら、リズムやら、

丁寧に、丁寧にやっていた。

 

不協和音とは言わないが、

その人にとっては、

今まで、馴染んだことのない

和音の連続だった。

 

そして、リズムも、

取りにくい。

 

難易度は、

さほど高くない曲だけど、

何度やっても、

音がしっかりとれない。

 

指番号を守れば、

けっこう、運びやすい配置に

なっているんだけど・・

 

数か月は、

演奏を止めまくり、

指番号をしっかり説明し、

 

この指運びでやると、

無理なく音が取れると、

一緒に弾いたりした。

 

毎回、毎回、

同じことの繰り返し。

 

私は、人によって、

イライラする話を

ブログに書いているので、

 

この場合も、イライラしていると

思われるかもしれない。

 

でも、私は、こういう時、

イライラはしない。

 

ある程度のレベルに達した人には、

イライラはしないのだ。

 

ただ、途方に暮れる。

 

どこで、この曲をマルにすべきなのか。

聴き飽きた。

言い飽きた。

同じことを言っている自分が

しつこいオババに思える。

 

そう思って、途方に暮れる。

 

初心者の

おっさんや、爺さんには、

かなり、キツく、

八つ当たりまがいの

ヤクザな指導をするときも

あるのだけれど、

お上品マダムには、

途方に暮れる。

 

数か月たっても、

できていなくて、

自分で、同じことばっかり

言ってるな・・と

思った時、

 

自分で、自分に、

「しつこいねん!」って

思ってしまう。

 

ある日から、突然、

間違った音や、リズムで、

演奏されても、

放置してしまう。

 

そんなレベルだから、

ペダルだとか、

強弱とか

曲想がとか、

そんなレベルではない。

 

どんなレベルかというと、

「試行錯誤しながら、

今、作曲してはりますのんか?」

のレベルだ。

 

私は、思ってもいないのに、

「だいぶんよくなりましたね」

なんて、口にして、

 

この曲を、どうやって、

ごまかしてマルにしようか

考える段階に入る。

 

マルってなんだ?

講師が、レッスンに飽きた時が

マルなのか?

そんな、いい加減なことしてる

講師はいないだろうな。

 

私は、いい加減な講師だ。

 

自分で

自分が

嫌になる。

 

マルの基準が、

自分の理想と現実で

違いすぎる。