子供のレッスンでは、

たいてい、習いたての頃は、

毎回、マルになる。

 

家で練習しなくても、

音楽の適性がなくても、

毎回、マルになるレッスンをしている。

 

でも、それはいつまでも続かない。

 

初めて、マルにならずに、

次回への持ち越しになった時、

子どもが残念そうにしていたので、

 

私は、

「私が、もし、近所のおばちゃんだったら、

上手だね~って褒めるよ。

だけどね、私は、先生だから、

もっと上手になってほしいから、

今日はマルにしないんだよ」

 

といって、子どもに説明した。

子どもは、納得した。

 

それ以降、

 

子どものマルがつかない日は、

レッスンが終わると、必ず

保護者が、子供に声をかける。

 

「上手だったよ。でも、

この人は、近所のおばちゃんじゃないからね。」

 

ん?

 

確かに、その言葉は、

私が言った言葉に似ている。

 

だけど、頻繁に、

保護者から、私の目の前で

「この人は、近所のおばちゃんじゃないからね」

と言われると、

なんだよ。その言い草は!

と思う。

 

帰りの車の中で、

親子2人の空間で、

話をするならともかく、

わざわざ、私の前で言うことか?

 

っていうか、

 

私は、どうしてマルにならなかったかも

説明しているし、

子どもは、

別に、泣いていないし、

ブー垂れてもいない。

納得している様子だ。

 

私だって、ある程度、

子どもに気を使いながら、

距離を測って、やっている。

 

子どもも、バカじゃないから、

マルにならない意味や理由を

理解できているようじゃないか。

 

マルにならなかったことは、

私と子どもとの間で、

円満に完結していると思うぞ。

 

それを、保護者がそこまで

フォローしなきゃいけないのかい?

叱られたわけでもなく、

マルがつかなかっただけで?

 

そういえば、どっかで見たな。

こういう関係性。

 

あっ、

私が、新卒で入った会社の

社長とその専属運転手だ。

専属運転手は、陰で、「太鼓持ち」って

呼ばれていたよな~。

 

太鼓持ち母さんだな。

子どもは、社長だ。