第32回 浅草サンバカーニバル(その 3)… | 横島 夢乃介の観測日誌!!

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サンバパレードは、東武鉄道浅草駅に近い馬道通りの朝日信用金庫前から雷門通りに至る約800メートルのコースで行われ、計26チーム約4000人が参加したそうです。

午後1時過ぎから行われた地元の小学生らによるパレードを皮切りに、ダンスと演奏で競う「S2リーグ」、華やかな装飾を施したアレゴリア(山車)を率いる大型チームが参加する「S1リーグ」のチームがパレードを夕方まで繰り広げてました。

今回の歴史の記述では、浅草はかつて映画館や演芸など娯楽の一大中心地として名を馳せたが、昭和30~40年代にはすでに街の活気が下火になりつつあった。これを案じた当時の台東区長である内山榮一と浅草喜劇出身俳優の伴淳三郎の発案により1981年に初めて実施されたといわれる。

ただし一方では、兵庫県神戸市がすでに神戸まつりでサンバパレードを行っていたことから、浅草の商店街や観光連盟などが読売新聞社を通じて、神戸まつり関係者にコンタクトを取ってそのアイディアを浅草サンバカーニバルに流用したというのが真相であり、伴淳三郎の話は後づけであるという指摘もされている。