『辰巳』 ジャパニーズノワールの極み! | 悪食のシネ満漢全席

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ろくに情報知らぬまま、当たり屋みたいに突撃して、 しょーもない感想を言い合って、備忘録代わりに残します。 かなりの無責任、言いたい放題、無礼千万をお許し下さい。

 

悪食 75点
今年 36本目

監督、脚本 小路綋史
出演    遠藤雄弥
      森田想
      後藤剛範
      佐藤五郎
      倉本朋幸
      亀田七海


小路監督が自主制作で完成させた長編第2作のジャパニーズノワール。
渋谷ユーロスペースへ。

鑑賞結果、これまでのヤクザ映画とは一線を画するジャパニーズノワールになっている。役者達が個性的で皆いい味を出している。

ここからネタバレ満載でいきますからご注意を⁉️


死体処理という裏稼業でも特殊な仕事で辰巳(遠藤雄弥)は生きていた。


弟もまともな生活はしておらず、覚醒剤の過剰摂取で亡くしていた。


辰巳は弟をそんなふうに亡くした引け目を感じていた。

ある日、組が扱う覚醒剤が足りないことに気付き問題となった。
車の修理工場の代表が疑われたが、本人は知らないと言い続けた。
組の中でここいらを縄張りとする兄貴(佐藤五郎)が調べていたが、埒が開かなかった。


組の中でも武闘派の竜二(倉本朋幸)兄弟が先頭に立って探していた。


犯人は睨んだ通り、組員でもある自動車修理工場の代表だった。
隠し持っていた覚醒剤を売り払おうとしたところを竜二兄弟に見つかったのだ。
竜二兄弟は裏切り者として代表を殺した。
ところが運悪く、そこに代表の奥さん京子(亀田七海)が居合わせてしまった。竜二兄弟はあっさりと京子も刺したのだ。
そこにたまたま荷物を取りに来た京子の妹の葵(森田想)が目撃してしまった。


死にかけた姉、京子を連れて逃げようとしたところを竜二に発見され、追われているところをたまたま葵を工場に送り届けた辰巳(遠藤雄弥)が助けることになってしまった。
これで辰巳までもが組から追われることになった。



辰巳(遠藤雄弥)は葵(森田想)をかくまおうと、仕事仲間の後藤(後藤剛範)に頼み込み、兄貴(佐藤五郎)の元へ出向く。


勿論、竜二兄弟が納得するはずもなく、話は物別れとなる。
しかも葵は辰巳をつけてきたのだ。
姉貴を殺された恨みは自分で晴らすと竜二の弟をナイフで刺し殺したのだ。


これで竜二は葵と辰巳、2人の命を狙い始めた。しかし葵はやられる前にと自分から竜二のねぐらに潜り込むと、竜二をも刺し殺してしまった。
全く後戻り出来ない状態になった2人だが、辰巳は兄貴との話に行く。


辰巳は竜二に腹を刺されていたが、兄貴に葵には手を出さないでくれと頼み込んで死んでいった。

兄貴(佐藤五郎)の前に葵(森田想)が現れた。葵に辰巳の最後を告げると「次は殺すから二度と顔を出すな」と葵を追い返した。
葵は辰巳の車に乗り帰って行った。
エンド。

という映画です。
最初から最後までヤクザのアンダーグラウンドな世界を描いています。
子供の頃から父親がなく、悪さばかりしていた兄弟。勿論、まともになるわけもなくヤクザの道へと堕ちていく。
弟は覚醒剤に手を出し、ジャンキーに。そして覚醒剤の過剰摂取で死ぬ。
そんな弟を助けることも出来ず、無力だけを噛み締めた兄が辰巳だ。
辰巳の仕事はヤクザも嫌がる死体処理。
ヤクザが殺した人間を警察に発見されないように処理する専門家だ。底辺に蠢く虫ケラだ。
それは辰巳だけではなく、悪事に染まる組織の人間は誰もがそうだ。しかし悪事だけで生きていけるほど、今の世の中は甘くなく、堅気の仕事もしている。
しかしそこに流れ着く者は皆どこか社会や制度を恨んでいる。
ただの逆恨みだが。
葵もまたそんな1人。女でありながら、男に混じり自動車修理工として働くが、その精神は虚勢を張った子供の他ならない。相手が誰であろうと噛み付く。野良犬だ。
辰巳は世話になった元カノの妹だから仕方ないと言っているが、葵に死んだ自分の弟を見ていたのかもしれない。
無鉄砲に噛み付くだけの野良犬は言うことを聞かない。
それは組織の中の竜二兄弟も一緒だ。組織の中で兄貴は絶対なのだが、その言うことさへ聞かない。野良犬を通り越し、狂犬病の犬だ。
そんな奴らの中でしか生きられない辰巳。自分だってもしかしたら奴らと変わらないのだ。
そんな刹那の世界をただのヤクザの仲間割れの話だけでこの映画の話は構成されている。
一般的な切った張ったのヤクザでもなく、抗争劇を繰り広げる暴力団でもなく、現実的な反社だ。
そこだけを取り上げて描くこの映画を小路監督は何を言いたくて作り上げたのだろうか?しかも自主制作で。余計な雑音が入らないと言う点では自主制作はいいだろうが、お金は無い。
だからこそアイデアと緻密な計算で映像仕上げていく。
とても自主制作で出来た映画と見えないのはそんな監督の力以外何物でもない。

このジャパニーズノワールは、一般的にはなかなか受け入れられないだろう。
しかしこんな映画こそ、監督は作り上げて問うているのではないだろうか?
這い上がれないような底辺の世界でも生きている人はいる。足掻いている。
それも社会の一つの形なのだと。
噛み付いているのは小路監督なのかもしれない。