大切なものとは? | 日月堂日記

日月堂日記

里山にある小さなお堂の観音様のお話です。



今日はひな祭りですね。


我が家の周辺では
まだ桃の花も梅の花も咲いていませんが
お花屋さんの店先は
桃の節句らしい彩りでいっぱいです。

桃の花のピンク色と菜の花の黄色い彩りを見ているだけでとても幸せな気持ちになりますよね。
あー、春が来たんだわ、、( ´ ▽ ` )って
いう何ともハッピーな心持ちです。

皆さんの地域ではもう桃や菜の花が咲いている所もあるのではないでしょうか?

なんせ、北国から南国まできちんと揃っている素晴らしき日本国ですものねぇ、、


こんにちは、蓮ねであります!

昨日久しぶりにブログをあげたのに
以前の記事の再アップで申し訳ありませんでした。

迷子を見つけたお母さんの気分で
つい、、(≧∀≦)

さて、今日は日月様のお話です。

疑問に次ぐ疑問だらけの昨今
いったい日月様は何とお考えなのだろう?

といつも朝のお参りの時に
心の中でいくつかの事を訊いていました。

もちろん何を伺っても言葉でお返しくださる訳ではなく、

日々変わる表情とエネルギーで感じる訳なんですが。

興味深げに私を見つめている日があるかと
思えば、
全くのおすまし顔の日もあります。

そのお姿の前にじっと目を瞑って座っていると

私の脳裏に言葉ではなく、イメージでメッセージを
伝えて下さる事が多いのです。

ここからは

私の激しい

妄想かもしれませんが

ここ数年私が受けるメッセージで
一番具体的であったものを
そのまま書きますので蓮ねの

妄想タイムにしばし

お付き合いくださいませ。

そのメッセージは
当時の私にとっては思いもよらない
ものでした。

この国を守るためには
神社がなくなって行く事を
防がなくてはいけない、と観音様はおっしゃいました。

神社が無くなる、、?

どういう意味なのか何度も問うてみました。

最初に

ボンヤリとしたイメージの
この不可解なる
メッセージが来たのは十年位前でしょうか。

いや、もっと前かもしれません。

現在も昔も沢山の人々が
参拝に訪れている場所、
それが日本の神社です。


大きな観光地になっている様なお社(おやしろ)

から

産土神社という身近なものまで

普段意識する事もないけれど

在って当たり前だと思っている

神社。


私達にとって

とても大切な存在です。


メッセージを頂いた当時は
今をも上回る神社ブーム到来の時期で
日本全国神社巡りをする人達で
賑わっていましたから

尚のこと意味がわかりませんでした。
神社が先細りになって無くなるの?

そんなはずは無いと思うものの
その教えはいつも心に引っかかっていたのです。
でも、ようやくここ数年で
その意味に気づきました。


前の記事二つに書いた様に
今現在
日本国は日本の政府の名を騙った(かたった)悪魔によって
国土を切り売りされ、
ライフラインを絞られ、、。

彼らは
日本国民の経済生活の息の根を止めようと
必死です。

この三十年間ずっと苦しめられて来たましたが
日本人はそれでもまだ踏ん張って来ました。

この底力は
一体どこから?
日本人の精神構造はどうなってるんだ?
などと彼らが考えてもおかしくはないです。

そして、日本人の強さの根底には
正直に明るく生きよ、いつもお天道様がご覧になっている、助け合って強く生きよ、
という八百万の神の教えがある事に
気づいたはずです。

そう、
神社とは 日本を大切に思う人々にとって
一つの装置です。

精妙なる波動を私達は気づかないうちに毎日頂けるシステムになっています。
神社とはご先祖様が今まで残して来てくださった
大切なエネルギーが蓄えられた場所だと思います。

ですから
それぞれの土地に産土の神社が存在します。

清らかな構造物、

その中で行われる祀りごとの様式、
祝詞に宿る言霊の霊妙なる仕組み等
全てに正のパワーが集まる場所が
神社ですね。

鎮守の森に守られた
日本人の心の拠り所である神社。
すごい装置じゃあないでしょうか?

これを護れるか
失ってしまうかで
これからのこの国の行方が決まるように
私は受け止めました。

神社は鎮守の森に囲まれているものです。

昨今の都会の土地事情もあり


森はとっくに失ってしまい数本の樹木を残すだけのお社(おやしろ)

も沢山ありますが

大きな神社はいまだ立派な森に囲まれています。


何故神社と森が一対なのか、、。

木々が

大切な依代(よりしろ)となっているのではないか、と

私は考えます。


依代となった樹木は風格を備え独特の

形を成します。

御神木と言われる古木の素晴らしい事。

皆さんもその姿に思わず

息を呑んだ事が何度もあるのではないで

しょうか。


本当に神社か危ないかも、と思ったのは

全国の御神木が枯れているとニュースで知った時でした。

何年くらい前でしたか、

御神木の根元に薬剤を注入して枯らす事件が相次ぎました。

枯れたのではなくて枯らされたのでした。

もちろん自然に枯れてしまったり

鎌倉八幡宮の大銀杏の様に

ドウッと倒れてしまう場合もあるでしょうが


何故この様な事が全国的に相次ぐのか、

単なる偶然とは思えず

またまた私の中の

時事ネタ探偵の目付きが鋭くなるのでした。


           つづく