日月堂日記

里山にある小さなお堂の観音様のお話です。


テーマ:
夢を使って母にもったいないの共感を求めに行った
叔母ちゃん、

現実の世界では
毎日昏睡状態が続いていました。

夢事件(笑)以来
身体は昏睡状態でも叔母ちゃんの

中身は起きていることが分かったので
色々と話しかけながら側にいました。

一生を通じて とても沢山の人のお世話をしたり
人の為には骨身を惜しまずに
本当に良く働いた人でしたから
病室には沢山の人が毎日訪れてくれました。

皆さんが、きよちゃん、きよちゃん、と言って
身体を撫でたり、側で涙を流したりしています。

全て分かっているであろう叔母は、穏やかに
横たわったままです。

ただ、1日のうちに血圧測定のその時だけは、
腕が締め付けられる感覚が痛いらしく
身体を動かして 拒否するような表情をしました。

いろんな人が、ゾロゾロと引きも切らず
病室に来るので

看護師さんが、
この方は何をなさっていた方なのですか?
と聞いてこられる程でした。

下宿屋さんのおばちゃんですよ、って言って
私がにっこり笑ったら

「きっと、素敵な下宿屋さんだったんですね。」
と言って 微笑み返して下さった
可愛い優しい看護師さん。

ありがとうございました。叔母はそれを聞いて
きっと嬉しかったと思います。

そんな日が続いたある日の事、、、
私は傍にある椅子に座って
ぼんやりと休んでいました。
珍しくお見舞いの人が途切れて
病室は静かでした。

ふと、叔母をみると、
なんと、目をうっすらと開けて
口を動かしています。

私は嬉しいやら、びっくりするやらで
直ぐに 側に行って
「どうしたの?おばちゃん、目が覚めた?」
って話しかけました。

叔母はしきりに口を動かし続けます。

声は出ていません。
私をじっと見つめて、何か言ってます。

何度も繰り返す
口元を読んでみると、「髪のびたねー、、、」と
言っているようです。

「あぁ、髪のびたでしょ、切らなきゃね。あはは」
と答えながら

(確かに何時もベッドの上から覗き込むように
している私の前髪は伸びて垂れ下がるように見えます。
横になっている
叔母ちゃんが見たらさらに長く見えるのでしょう。)

しかし、生死の境界線にいるおばちゃん、
久しぶりに目覚めたと思えば

何故に 今私の 髪の毛の感想、、、?(笑)

まあ
普通は疑問も湧くでしょうが、
それが、おばちゃん、、。

自分の事より人の事☝️️
が一生ブレないスタンスでした。
嬉しくて悲しかったです。

しかし
髪に言及するという事は意識はしっかりしている
証拠です。

この時とばかり
何処か痛いとこ無い?
と聞いてみましたが、ちょっと微笑みを
浮かべて また直ぐに眠りについてしまいました。

でも、よく見るとやはり
口は動いています。

何度も何度も、同じ言葉を繰り返しています。
どうやら
ありがとうね、ありがとうね、
と言っているのです。

何度も何度も。

私は
いいのよ、私がどれ位おばちゃんの
お世話になったと思っているの?
感謝してもしきれないのに、
私にお礼なんて言わないで。
と言いましたが、聴こえていないようです。

しばらく、その言葉を繰り返していましたが
そのうちに疲れたのか再び眠りに就きました。

そして、翌日の昼近くに
とうとう、64年の生涯を終えて
叔母の魂は 天に還って行きました。

まだ天に帰るには早かったなぁ、、。
もう少し一緒にいたかったなぁ、、。
やさしいおばちゃん、
明るいおばちゃん、ありがとね。

そして、私はお通夜の晩に
驚きの話を耳にします!

明るい、やさしい、にミラクルなおばちゃん
と言う言葉を付け加えたいと思います。


叔母が亡くなったその日
早速留守宅であった叔母の家にお葬式の花輪が
立ちました。

今こうして書いていて気付きましたが
最近 あの花輪は見ないですね。
あの大きいリースみたいな、菊や金色の蓮の飾られた
白黒のテープを巻いた脚のある花輪です。
紅白は開店の時にまだ見かけますが。

それが叔母の家の玄関先に並べられました。
そこを通ったある方がびっくりして、

「あら?どなたが亡くなったの?」
と、お隣の家に聞いたそうです。

「きよさんが亡くなったのよ、花輪がでれば
一人暮らしだもの、きよさんに決まってるでしょ」

と、お隣の方は、ちょっとイラッてして
答えたそうです。

聞いた方が、ふざけているのかと思ったそうです。

すると、その人は、逆に怒りだし、

「冗談は言わないでよ。
昨日この玄関の前でニコニコして、
立ってたじゃないの。

ありがとね、って言ってくれたから
何でありがとうかな?とは思ったけど
お辞儀して通り過ぎたのよ。」

と言ったのだそうです。

え!って驚く人に向かって
さらにその人は続けます。
いつも着ている青い花柄の割烹着を着て
ニコニコ元気で、ここに立ってたわ。

と言ったそうです。
その青い花柄の割烹着とは
私の娘からのプレゼントで、とても
喜んで着ていたお気に入りの1着です。

娘は産土神の神社の結婚式があると
三々九度のお酒をつぐお稚児さんとして
よく頼まれて 行っていました。小さな子供なのに、
1日神前結婚式に出るとちゃんと、神職様から
綺麗な袋に250円入れて下さるのです。
それを貯めて娘が大好きなおばちゃんに
その青い花柄の割烹着を買ってあげたのでした。

その割烹着を着て、
おばちゃんは真昼間の太陽の下
ちゃんと叔母の姿で、

道行く人にお礼の
挨拶をしていたのでした!

それが、おばちゃんを見たのは一人だけではなくて
あと、二人の方も目撃しています。

それを聞いた時の驚き!
まさしく、あの時間です。
叔母ちゃんが、ありがとね、ありがとね、と
言っていたその時間?

あれは私に言ってたと思ってたけれど、
身体を残して、魂は家に帰っていたのね。
近所の人に最期のお別れに行ってたのね。

おばちゃんは、最後までキッチリしてましたね。
流石です。

いつも、観音様に祈っていた人でしたから、
きっと、観音様が手助けしてくださったのね。
ちゃんと皆さんにお別れ出来て良かったね。

それは、4月の3日の事でした。
叔母は沢山の花に囲まれて、安らかに旅立ちました。

私が日月様の忠実なるしもべになる
きっかけを書いてみました。
あの日以来、
日月様のハチ公のように、
足元にまとわりついておりますが、
やはり、
長い年月を掛けて

私に魂のある事を知らせて下さっていると
有り難く思います。

この様に、
肉体から魂魄が離れて
人の形として、昼の明るい太陽の下で
挨拶に回っているなど
信じられないでしょうが、

紛れもなく 私が体験した実話です。

叔母ちゃんは、違う人に挨拶してたのに、
横から
いいのよ!こちらこそ!なんて
私がずっと言ってたから
うるさくなかったかしらん?
と考えると
ちと、恥ずかしいです\(//∇//)\
という訳で

娘が入学式を終えてランドセルをかついで
帰って来た時は
叔母ちゃんは、
その日がお通夜となりました。

おばちゃん、知ってたのね。
ふざけてるとばかり思っていたのに、
お別れの日をちゃんと知ってたのね。

でも、あの時は
体調が悪いなんて自覚がなかったのに、、、

今でも不思議に思う私です。
観音様とおばちゃんのおかげで
魂の存在というものを、
首根っこを押さえられて、
目の前に
拡げて見せられたような気持ちになった
お話でした。

もうすぐ
お盆ですね。
先に逝った人達の魂について
思い巡らしてみるのも
良いですね!

今日は、台風が日本をゆっくりと縦断しています。

みなさん、
気を付けて、

元気でお過ごしくださいね!


では、
またね〜(^O^)


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その後 叔母は
紹介された大学病院に入院をして
手術を受ける事になりました。

本人を始め、周りは私を除いて 皆そんなに大変な
状態だとは考えてはいないので
いたって明るい入院でした。

病院側は、膵炎と説明してくれていました。

今は ガンであれば、本人が望むと望まないとに関わらず
すぐに宣告ですから、
25年前とは隔世の感がありますねぇ。

私は叔母に末期ガンである事を
教えなかったのは
良かったと、
今でも思っています。

人にはそれぞれ 異なった死生観がありますが、

叔母にとって自分の人生の終わりを
知る事はいきなり真っ暗闇の部屋に入ると
同じくらいの感覚だったでしょう。

いつも一緒にいた私には叔母の性格から見て
そうなる事が良く判りました。

残された時間を
心を絶望で一杯にして、
毎日を過ごして欲しくなかったのでした。

余命の宣告が良いかどうかは人それぞれだと
今でも思う私です。

手術が終わり、やはり取りきれるほどの
ものではなかった、との報告を聞いて
初めて 母と、末の弟の叔父に 真実を伝えました。

二人ともショックから立ち直るのにかなりの
時間がかかるだろうと思いましたが
もう、時間がないから
明るい顔をみせてあげようね!と、意見が一致して

私もやれやれ、と一安心でした。
すごく仲良し三人組だったので、
最初から教えなかったのは大正解でした。

知っていたら入院始めから母も叔父も
しょんぼり、シクシクで、
叔母の方が心配したことでしょう。

それから最後の時間を迎えるまで
不思議に
明るい病室、病人でしたから
あれはあれで良かったのだと
思っています。

私は病院に泊まっていたのですが、
2日に一度3時間ばかり自宅に戻ります。

その時に必死で観音堂にこもって祈りました。

どうか、叔母ちゃんの旅立ちが安らかでありますように、
痛みと苦痛のない毎日がおくれますように、と
観音様に心からお願いしました。

その時 ふと見上げた日月様のお顔が
とても優しく、美しく、慈愛に満ちていたのです。
長く一緒に暮らしていても、
気がつかなかったわ!
こんなに表情のあるお方だったのね ∑(゚Д゚)

と衝撃を感じて 暫くお堂で
見とれておりました。

この様に生きておられるみたいな観音様ですから

きっと、
質問に答えて下さるに違いないと思った私は
その時
日月様に、聞いてみたのです。

人間は死んだら無になるという人もいますが、
私にはそうは思えません。
人の魂は永遠だと思います。

叔母ちゃんの
肉体は間もなく無くなってしまいますが、
あの優しく、明るい叔母ちゃんの魂は
不滅だと私は思っていたいのです。
それを、確信出来る方法はあるのでしょうか?

日月様は じっと聞いて下さっているように
見えますが
私を見つめて
ただ静かに微笑んでいるばかり、、。

それから数日後、
先生から
これから痛みがかなり強くなって来ると思いますが
痛み止めは、モルヒネ系を使用いたします。

それを使うと意識の混濁が伴いますので、
使用時期はご家族の方の同意を得て決定します、
とのお話がありました。

つまり ちゃんと意思の疎通が行える最後の時期の
決定を 家族に委ねていただいた訳でした。

既にかなりの痛みが出ていたので、
痛みが極限になる前に、
痛み止めで楽にして欲しいと
本人の希望もあり、
モルヒネの使用をお願いしました。

それから毎日うつらうつらしている時間が増えましたが
一切痛みの苦痛から解放されたらしく
穏やかな眠りについている毎日でした。

ある日の事、
叔母の親しい友達Hさんがお見舞いに来てくれて
ベットを 挟んで私達は向かい合い、
両側から、そっと叔母のお腹をさすりながら
話をしていました。

既にその時には、叔母は我々とのコミニケーションは
取れない状態で、穏やかなる昏睡状態と
いう感じの時間でした。

Hさんが、その時私にこんな話をしてくれました。

「昨日ね、息子夫婦が遊びに来て帰り際に
お米をお土産に持たせてあげようとおもって、
家の中から運んで来たの。
それをいざ車に乗せようと
思ったら 袋の底が破れて 全部こぼれてしまったの!

それで、きれいな所は手で掻き集めつひろったのだけれど
かなりの量が下水に落ちて、それは拾えなかったのよ。

そんなところに、お米が落ちてるのはもったいないやら
恥ずかしいやらで、ほうきで、そっと掃いて
家の裏まで流したのよ。」

「へぇー! もったいなかったですね。」

という会話を意識のない叔母の側でしていたのでした。

その翌日の事です。
母を車に乗せて病院に向かっている時に
母が、ふと思い出した様に
昨日おかしな夢を見たのよ、と言いました。

「あのね、なんだかすごく重いコメ袋を
破いてしまって、それがザアッて地面に落ちて、
ドブにまで落ちて、ほうきで掃いているのよ。
もったい、もったいないって言いながら。」

運転しながら聞いていた私は
「何いってるの?笑
それは、昨日のHさんの話じゃないの。」

と言ってから ハッとしました。

昨日のその話は 私とHさんと叔母の三人だけしか
いない病室でした話です。

Hさんはそのまま 自宅に帰っていますし、
母との接点のないお方。

私は朝病院を出て母を迎えに行って車に乗せたばかり
ですから、当然その話はしていません。

その瞬間
ああ、叔母ちゃんだわ、、って判りました。

叔母は下宿屋さんをしていたので、
お米の確保は常に怠らない人でした。

とても、お米を大切にしていて。

当時も今も、私達は
お米を大事にする国民性ですが、

その中にあっても、本当にお米を
大切に扱っていた叔母は、
一見昏睡状態にあっても、
ちゃんとその話を聞いていて、

あぁ!何ともったいない!
誰かに話さずにはいられないほどΣ(-᷅_-᷄๑)
と思ったのでしょう。

それで、そういうアンテナのある母に
夢という方法を使って 話しに行ったのです。
既に肉体を使っての会話は不可能になって
いたので。

その話をすると、母は、
「なるほどねぇ、きよちゃん(叔母の名前)が
あんまりにも、もったいない話で 私に教えたかったんだね。」と納得していました。

病室に入って叔母ちゃんに、
私達は直ぐに話しかけましたよ。

「本当にもったいなかったねぇ!
でも、あの後Hさん、下水のお米拾って
洗って乾かして、雀にあげる餌にしたんだって」

そう言ったら、何と叔母が笑ったのです!

あぁ、みんな聞こえている、
みんな分かっている、、。

叔母の意思が
母の夢のコントロールタワーに
働きかけたのです。

それから病室では、叔母の喜びそうな話を
沢山、沢山いたしましたよ!

これで、一つ判明しました。
人間の構成は肉体と魂であるが、
肉体が使えなくても魂は
あらゆる伝達手段を持っている。
肉体の消滅イコール魂の消滅ではない、
という事を教えて頂きました。

お母さん、帰ったら観音様に私から
お礼を言ってたって
伝えて下さいね。と帰る母にお願いしました。
何で?とも聞かずに
はいよ、と言って帰る母でしたが、

話はまだまだ
続きます。
本当、魂って、すごい!という出来事が
もう一つ。
観音様と叔母ちゃん、驚きの技の連発です。



パート3に続く、であります。















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暑い日が続いておりますが、
皆さん お変わりなく過ごしておられますか?

何とか 暑さを凌ぎながら
日陰を探して生活している
蓮ねであります\( ˆoˆ )/
お久しぶり〜!

最近は 観音様におあげする花があっという間に
しおれてしまい、
花の確保に右往左往している毎日です。

なんせ、我らが日月様は、お供えする花の
鮮度には厳しいのです。

新しい花を活ける度
チェックの目が入ります。

活ける時に、
チロッと
御覧になるような気がするのですよ。

新しければお花の種類や量には
無頓着でおられます。
どんなお花でもよいのです。

咲こうとしている時の
真っ直ぐで優しいエネルギーがお好きなようです。

今は百合を活けていますが、
明日あたりは

庭の桔梗にしましょうか、、。
それとも 色付き始めた鬼灯(ほおずき)にしようかしらなどと考えている時間も楽しみの一つであります。


お仏像に
お花やお水をお供えしたからと言って
果たして 本当に それが 伝わるものであろうか?
と、思っている方もおいででしょうねぇ。

何を隠そう、私とて、25年前までは
そんな風に思っていたのでした。

ただ、母が毎日お供えをして
お参りする姿を小さな頃から見ていたので

私もいつの間にか そのように
母の真似事をしていた訳ですが、
日月様の反応など、考えた事もなく

お供えをお上げした後のお顔も拝見せずに
速やかに立ち去って行くという

まっことビジネスライクのしもべであったように
思います。

それが今では お顔のちょっとした変化も判りますし、
ここに今おいでにならなくて、
何処かに行かれている時や

新しいお花があがって、
そのエネルギーが大満足なときの

とても優しく美しいお顔など、
様々な表情が、
感じ取られるようになりました。

私には、
何かが見えるとかの能力がある訳では
もちろんありません。

強いて言えばやはりエネルギーを感じる、
としか表現しようがないのです。

何故ビジネスライクなしもべであった私が
このような、従順で、
飼い犬のように(笑)
ご主人様に忠実な
しもべに変身したかと
言いますと、


これには 長〜いお話があるのです。
ƪ(˘⌣˘)ʃ


それを今宵はお話いたしましょう。

おトイレに行きたい方は今行って来てね(笑)

さて、私が初めて日月様にお会いしたのが
小学生の頃でした。

そう、今日のように
暑い夏の日に、日月様はひょっこりと
我が家にお出でになりました。
その経緯は最初の頃のブログにかいてありますよ(´∀`)

それ以来ずっとご一緒でしたが、
母が観音様にお願いをして それを叶えて頂いた
ことを目の当たりにしても、
やはり
そこは、
母娘と言えども 自分の事でないので、
客観視していた、わたくし。

偶然でしょうねぇと 心中考えていました。

しかし、
今迄の経緯にも書きましたように

余りに自立して、ご自分で、とっとこと
周りを整えて行かれる その様子を目の当たりに
した私は

だんだん、観音様の計画通りに
いつの間にか 母の跡をついで、しもべ業に
昇格(たった一人の家来でも昇格というのだろうか?)
させられている事に気づきます。

それでも、まだまだ観音様のお気持ちや
お顔の変化にまで
きがつきません。

実は
気がつくきっかけがあったのです。

それはいまから25年前の事でした。

叔母の臨終の際に経験した事が
私を
目に見えないエネルギーについて
覚醒させてくれた事に始まります。


私には大好きな叔母がいました。
母の一番下の妹でした。
ある日突然
その叔母が
(以下叔母ちゃん、叔母などと混ぜて書きます)

私の娘の小学校の入学祝いにランドセルを買ってあげるよ、
と ニコニコして言ってくれたのです。

叔母ちゃんは、私が中学、高校に入った時には
必ず学生鞄をお祝いにくれる、優しい人でした。

その叔母ちゃんが私の娘にもランドセルを、と
言ってくれたのは 入学式がまだ半年も先の
10月頃でした。

ありがとうね!でも、まだ早いよ
って言って私は笑いました。

叔母ちゃんは、生涯独りで生きた人でした。

幼い頃、養女に出され、躾の厳しい
お福おばあちゃんの元、

仕立物や、お料理、お掃除を徹底的に、仕込まれて
何でも作れる、綺麗好きな、優しい人でした。

私はあまりに叔母ちゃんが大好きで、
中三の時に、叔母ちゃんの子供になりたいから
養女にして、って頼んだ事があった程でした。

叔母ちゃんは喜んでくれて
私も両親に頼んだのですが、
せめて、高校に入学してから決めても遅くないと
いう事で、その話は一時預かりになりました。

結局、そのまま時は過ぎてしまい、私は叔母ちゃんの
養女になる時期は逃してしまい、

県外に進学して、その話は
立ち消えになってしまったのでした。

そんな関係の叔母と姪だったという事を
書いておかないと 次にお話が続きませんので

そんな関係だった事だけ、
説明いたしました(☝︎ ՞ਊ ՞)☝︎

この辺で
一服!
🍰☕️

では、次に進みます。

中学時代は叔母ちゃんの家から
学校に通っていた私でしたから
叔母ちゃんにとっては、私は娘同然だったのです。

そんな 私の子供にランドセルを買ってあげたいと
言ってくれたのは、叔母ちゃんにとっては
当然の思いだったのですが、、。

いかんせん、来年の3月の入学なのに
10月は、早いよー。
大体まだお店に並んでないもの。
と言う私に
じゃあランドセルが
並んだら直ぐに、1日も早く、買いに行こう!
と、いうのです。

私は○○の入学式まで生きていないから、
せめて、ランドセルをかついだ姿が見たい
との言葉に 私は笑いました。

叔母ちゃん、こんなに元気じゃないの。
大丈夫、
入学式は一緒に行こう!
○○の事 凄く可愛がってくれてるものね。
ありがとう!

いや、入学式は見られないよ。

と何故か確信に満ちた話し方です。

え?どこか悪いの?

いや、どこも悪くない。

じゃあ、そんな事あるわけないよ!笑
どうしたの、いったい。

などという会話をしたのを昨日の事のように
覚えております。

そんな事があって、
その年のクリスマスに、
早々と並んだランドセルを
一番に買いに行ってくれた叔母ちゃんでした。

それを娘に担がせて嬉しそうに
目を細めていた
叔母の顔が忘れられません。

お正月が過ぎて、2月に入り
叔母は背中を痛がるようになりました。

日頃元気な人でしたから
なかなか病院にお世話になることもなく
過ごしていましたが、

だんだん痛みが激しくなってくるので
私と母と叔母に付き添って病院に行きました。

様々な検査の後
先生が難しい顔をなさって、
大学病院に紹介状を書きます、とおっしゃいました。

嫌な予感がしました。
叔母と、母が診察室を出た後、私だけ
もう一度診察室に戻りました。

先生に、私には本当の事を教えておいて下さいと
お願いしました。
先生は、私と叔母の関係を聞いて、子供がいなくて
私が子供代わりだという事を確認してから

現在の状況を教えてくれました。
ガンが、腹腔内にひろがっていて、
あと三か月くらいの命であるとの事でした。

当時は本人には宣告しない病院が殆んどでしたので

私も 真っ白になった頭の中を
悟られないように
平静な顔で、二人の所にもどりました。

叔母ちゃんは、それから二か月の闘病で
亡くなるのですが

人間は肉体と魂とで
できているもので、魂は、
時に身体から離れて
肉体として視覚化する事がある
と、思い知る事がありました。
それだけでなく、
意識のレベルで、伝達する事は
誰にでも出来る、という事を経験させられた
看病の二か月間でした。

ここにも日月様が大きく関わって
くるのでした。

つづきます。

つづきは直ぐに書きますから、待ってて下され!

では、また明日!
一先ず
お休みなさい!

みなさん、良い夢を🖐👋👋











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