おはようございます!
綺麗な雪の朝です。
今日は母の月命日ですから
大振りの壺にたっぷりと花を飾りました。
これからお坊様が読経においでになるので
玄関前の雪かきをしました。
それから雪を避けて軒下に入れている
鉢たちに水をやりました。
その中にある鉢の一つ、
これは何でしょう?
小さいけれど、
可愛い棘がありますね。
実はこれは夏ミカンの木です。
そして、ただの夏ミカンの苗木ではありませんよ~♪(´ε` )
母が亡くなって葬儀までの間に
沢山の方々から お花や 果物のお供えを頂戴いたしました。
そのなかで、夏ミカンの盛り籠がありました。
夏ミカンや蜜柑、グレープフルーツなど、色とりどりで
大変綺麗な盛り籠でした。
葬儀が終わり、
しばらくしてから
段崩しといって
お供えなどの
盛り籠の中にある物は籠から、
包装されていたものは包みから出して
近親者にお配りします。
その中にあった一つの夏ミカン、
香りが良くて 御霊前に置いてよい香をしばらく楽しみました。、
3日程すると 香りも無くなり 皮はツヤを失って来ました。
もうこの時すでに頂いて一週間くらいは経過しています。
仏様には、香りが何よりの御馳走だと言いますが、
もう、御馳走も終わりになったので
下げて来て
リビングのカウンターに置きました。
何故かまだ、食べる気になりません。
違う色の果物と一緒にお皿に盛って
綺麗な黄色を楽しみました。
それから2日経ちました。
他の果物はどんどん我が家族のお腹に消えて行くのに
何故か夏ミカンは誰も食べません。
おかしいなぁ、みんな夏ミカン大好きなのに?
と思いつつ、ここまで来れば
面白くなってきて、
意地でも下げない夏ミカン。
とうとう、一つだけ残ってしまいました。
それから数日して、
皮もカサカサ、
あら、私の最近のお肌みたいになってきたわ、、
さすがにもう、食べなくっちゃ
(え!食べるんかい!
って驚いた そこのあなた、あなたは正しいです)
今頃食べるならば、何故もっと早く食べないのか
とお思いでしょうねぇ。
私にも良く分からないのでした。
ここまで嗅ぐだけ嗅いで、
見るだけみて、
食べる事はこの際 諦めていたと思いきや、
私は何の躊躇もなく
皮を剥き始め、パサパサの
ミカンの房を分けて口に運んだのでした。
味に関してはうまく表現できませんなぁ。
味はないです、こうなると。
かつて瑞々しかったであろう、果肉は
すでに張りを失い、
少し水気を含んだドライフルーツみたいに
なっていました。
皆さんはこんな夏ミカンを食べたことはないでしょう。
何だか威張りたくなってきました(笑)
その房の中に 種がありました。
種も乾き始めています。
あ、こうなると種も乾くのね、
としみじみ見てみると
何と、種から小さな芽が出ています。
まるで幼い子供が膝を抱えてうずくまっているようで、
可愛らしいなぁと
観察していましたが、
ふと、この種を埋めてみたくなりました。
庭にあった小さな鉢に土を入れて
埋めてみました。
それから一週間ほどすると
薄いみどりの芽が土から顔を出してくれました。
あら
お母さん、こんにちは、とつぶやいてみたら
何となく嬉しくなって来ました。
母が亡くなった翌日我が家に来た夏ミカンですから
母の肉体がこの世にあった時 最後の時間を
一緒に過ごしている種です。
もしかして 肉体から離れて自由になった
母の魂の微粒子の一部が 溶け込んでるかもね!
と考えると一層嬉しく
しゃがみ込んで、暫くその小さな芽を眺めていました。
それから八カ月、今ではこんなにイッチョマエな
苗木になりました。
種って凄いですね!
一番小さくて
一番偉大なる植物の種!
こんな小さな中に命がぎゅーっと
詰められていて
土と水さえ与えられたら、
後は自分のシステムに従って
成長してくれる植物の種。
大好きな
金子みすゞの詩を思い出します。
蓮と鶏
泥のなかから
蓮が咲く。
それをするのは
蓮じゃない。
卵のなかから鶏(とり)が出る。
それをするのは
鶏じゃない。
それに私は気がついた。
それも
私の せいじゃない。
金子みすゞ
様々な命を与えてくれる
大きな何かに感謝して
今日も一日暮らします。
では、ちょっと遅くなりましたが、
ご用を済ませに出かけます!
皆さんも良い1日を*\(^o^)/*