わたしの場合 -2ページ目

にゅういんちゅうですよ1

わたしの場合-130520_181622.jpg

今夜のごはんでございます。ヘルシーですな。
病棟は産科ならやだなと思ってましたが、婦人科で、やや年配のご婦人方と同部屋です。
なんか落ち着くのはなんでやろ?

「アレルギーは?」「飲んでるお薬は?」今日は何度同じ質問に答えたことか。
なかなかゆっくりとはさせてもらえませんね。
シャワーが使えるのが16時まで、しかも1人の持ち時間が20分は驚いたし、きつかったです。
しかしそれが入院生活・・消灯22時!絶対すぐに寝るな。
その前におやつ食べるかも。絶食は0時からですから。
頑張ります!

近況報告?

本当にご無沙汰してしまいまして、

せっかくいただいたコメントへの返事も遅れてしまい、申し訳ありませんでした。


最近はなかなかPCを開く時間もなく(というか新しい住処にPCがなかった!)

携帯すら(未だガラケー)触っている時間もなく、

引越ししたおかげで通勤時間が長くなり、スーパーで買い物もしないといけないし、

そうなると買い物のしやすいスーパー探したいしとかで、

会社帰りウロウロと走り回ったりしてですね、

最近はその辺はちょっと落ち着いてきましたが、旦那さんの帰りが23時頃なもんで、

その間に洗濯したりとか、荷物を片付けたりだとか、

なんかゆっくりする時間がないまま5月になってしまいました。


一応ですね、3月に形ばかりのといいますか結婚式をしまして、4月に入籍をいたしました。

もう、それはそれは、その時が来ると家を出るのも名字が変わるのも寂しいもので

旦那を睨みながら過ごす日々といった感じでして、

40前にしてやっと親のありがたみが分かったところもあって、情けないやら。

最近は、なるべく親の顔を見に行くようにしております。

職場から新居とは逆の方に走らないと(車ね)いけないのですが、

そこは旦那さんの帰りが遅いので自由にさせてもらってます。


その一方、とても辛いことなのですが

うちの大切な大切なネコさん(男の子)に腫瘍が見つかりまして、

そのことを考えると目からジワジワと涙が滲んでくるといった日々でもあり・・


うちのニャンズは男の子女の子の兄弟でして、今年あと少しで18才を迎えるのですが・・

忘れもしないのはその子達が家に来た時に、母が

「あんたらがおじいさんとおばあさんになる頃には姉ちゃん達(私と妹のこと)は

結婚しておらんようになっとるで、お母さんがちゃんと世話したるでな」

と言ったこと。

去年の今頃は、私も母とずっとこの子達を見ていくんだろうなと思っていましたが

結局そうはならず・・腫瘍が分かったのは私の結婚式の翌日でした。


母の言葉を覚えていたのか、私が家を出る前からちょっと痩せたなとは

話していたのですが、病院には他の病気のこともあって定期的に通っていたし、

年齢のこともあったので、そんなこととは思いもしませんでした。

できることなら私が家にいる間に分かってほしかった。


腫瘍は見つかってから1週間で倍の大きさになり、胸に水が溜まり

一時は本当に危険な状態になりました。

その後、病院の勧めもあって、副作用の弱い抗がん剤を使い

少し楽にはなっているようですが、リンパ腫を診断されたので

危険な状態に変わりはなく、家族としてはどこまで治療をするのか、

どの時点で覚悟を決めるのか悲しみ、怯え、悩んでいます。

母は「あんたが家出るまで気ぃ張って頑張っとったんやで」と言いますが、

私はそのことで、家を出たことを1番後悔しました。

なんでやねん・・って。


最近は調子が悪いと自ら高濃度酸素のハウス(病気が分かってすぐにレンタルしました)

に入ってくれるようになり、食べ物も頑張って食べてくれるし、

見ていていろんなことを教えられている気がします。

そして、そんな状態にありながら、階段を上り下りして私達を驚かせたり、

お刺身を奪おうと狙ったり、私達を笑わせ、癒してくれることに感謝しています。


そしてもう1つですが、こんな時なのに私は入院することに・・・

大丈夫なのかな~と思っていたけれど、やはり子宮口が狭くなりすぎて

手術が必要となってしまいました。

採血に使う注射針くらいの太さのものでも入れられると痛いくらいで・・


手術と言っても時間としては30分程度の短いものだそうですが、

大学病院の決まりで麻酔をする為に3日間の入院が必要なんですと。

入院なんてしてる場合じゃないのですが、これも今しかないようなので

ネコさんのことは母に託すことにしました。

辛いです。ホント、泣けてくる。

ちなみに来週の月曜に入院して、火曜日が手術です。


これで3回目の入院。

病院もまた新しい病院(不妊を診てもらってるトコ)。

頑張らなあかんですな。

自分に言い聞かせながら頑張りたいと思います。


また、入院中など時間がありましたら。


5年目の私です

ついに、東京で手術を受けてから5年が経過いたしました。

と、いうことで久々過ぎる更新です。


ブログは・・・なんでこんなに休んでしまったんでしょうね・・・


ある人に言われた一言で気が抜けちゃったということもあったり、

そのうち面倒な気持ちも出てきたり、時間がなかったということもあります。

最近は帰宅してからPCを開こうとか思わなくなってしまったり・・・

ま、でも一番は私のぐうたらな性格のせいだと思っています。


話を戻しますが・・・5年ちょっと前、東京で手術を受ける前は

5年後の自分というのは一体どうなっているのだろうかと思っていました。

ちょうど40歳をむかえる年でもあり「40歳かぁ・・」とため息・・

みたいなことも何度かあり、

その頃自分がどうなっているのかは、全く見えないものでした。

ちなみに6月で40歳になります。

顔が急激にたるんできまして、ほうれい線がえらいことになってきました。

母を飛び越えて、婆さんに似てくるのがめっちゃ気になってます・・・。


病気の方はひとまず、ありがたいことに変化はナシ。

仕事は人が減って以前の1.5倍ほど忙しくて神経を使ったり、

ストレスがすごいことになりましたが、なんとか続けられています。


お腹の傷は、以前ケロイド状態の部分が繰り返し膿んでしまうと

悩んでいたのですが、なぜかその後急激にケロイド部分が萎み、小さくなり、

最近は膿が出てくることはなくなりました。


おへその横から下腹部まで、ミミズが張り付いたように

茶色く盛り上がっていた部分は、盛り上がりはあまり変わりませんが、

色が少し薄くなったと思います。

私の中ではこのような傷あとの変化はとても大きなことであり、

5年てすごいなぁと感じています。


あとは、大きな変化と言えばですが、この3月に、

ここ3年くらいお付き合いしていた人と結婚をしてみようかということになりました。


これはお互い悩むところが大きく、別に結婚なんかしなくても

遊びに行ったり、用がある時に会えたらいいじゃないかと

思っていた頃もありました。

相手の人が1人暮らしをはじめ、時々行って世話をしなければ

ならなくなったことで、双方の両親から「けじめをつけた方が良い」

という意見が出、こういう流れになりましてですね・・。


今になっても迷いはあり、こういう関係になることが

お互いにとって幸せなのかなという思う気持ちは消せません。

私はとても気ままだし、自分勝手だし短気だし、

長続きするんかいなとも思います。

女2人姉妹の長女ということでも少々悩みましたし、

正直な話「おめでとう」と言われても、この年で私が(相手にとっては私と)

結婚することはおめでたいことなのか疑問であり、複雑な気持ちになります。

友人にもなかなか言えず・・なるべく騒ぎ立てず、

ひっそりこっそりと済ませたいと考えています。


ここにくるまで私達が1番悩み、悩みながらも触れないようにしていたのは

子供のいない夫婦になっても大丈夫かということでした。

私の場合、可能性は0ではないのですが、年齢のこと、

望むならそれなりの治療が必要でありリスクが大きいと思うと気が重く、

本当に触れないようにしてきました。

相手の人には、隠すことはできないと思い、2人で会うようになった

かなり早い段階で病気のことはすべて話しておいたのですが、

あの時、頭の中ではサラッと「私と子供を作るのは難しいと思います」

と言おうとしたのに「子供」という言葉がなかなか言えず

「私、こ・・こ・・・・こ・・・こ・・」と、心臓がドキドキして

息苦しくなってしまったのには自分のことながら驚き、

今でも強烈に覚えています。


これは、相手の人は子供好きで、また子供に好かれる人なんですが、

弟さんに子供がいることや、ご両親に話したところ

(私から話して欲しいと頼みました)

本人達がいいのならかまわないよと言って下さったことから

決心してくれました。


ただ、何もせずに諦めて後悔しないかという思いも少しあり、

この年齢になって恥ずかしい気もするのですが、

産婦人科への通院を2ヶ月ほど続けています。

てか、断られるの覚悟で相談に行ったら受け入れて下さり

「今日はタイミング的にいい日ですね」と、

有無を言わさず痛め(排卵の為の)の注射をシリに!(゜ロ゜)

もちろん、そんな上手くいく訳はなく・・戸惑いだけでその日は過ぎて行き・・

そこから、身を任せようと、言われるがままに通院しています・・・。


こちらの診察というのは、婦人科とはまた違いすぎて驚きの連続なのですが、

通い始めたことで、以前から言われていた内側の手術痕(子宮口)の

狭いのを広げておいた方がいいということになり、痛い思いをしたり・・・

でも細い棒から入れる形で(少しずつ太いのに変えていってもらいます)

少し広くはなったようですし、いつ閉じてしまうかという不安が減りました。

あとは手術の後遺症と言いますか、腸の癒着というのがやはりあるみたいで、

そのせいで右側の卵巣がつられて上に上がっていってしまっているらしく、

(カーテンの向こうで先生が「右側の卵巣が遠い・・・」と呟いていました)

今まで知らなかったこともいくつか分かってきました。


この治療については話し合って、いつまでもずるずる続けても仕方がないし、

第一年齢的に厳しいので、ある程度自分達の決めた期間に結果が

出なければきっぱり諦めようということになっていますので、

私としては、新たな目線で自分の体を見つめ直す気持ちで通院しています。


今はそんな日々を過ごしています。


このことを記事にするのはちょっと悩みましたが、

このブログは、こんな人間がいますよという思いでタイトルを

「わたしの場合」としたので、書かせていただきました。


まぁ、いろいろとありますが頑張ってみようと思います。

5年が経過して、本当に再出発の区切りみたいな感じですね。

不安もあるけれど、考えてみれば贅沢な話でもあり、

改めてまわりの人や、お世話になった方々に感謝だなぁと思います。

ありがとうございます。