昨日、4月6日は、孫2の小学校の入学式でした
おめでとうの嬉しい春です🌸
入学式ということで、それに絡めて
自分自身の子供の頃をちょっと振り返ってみます。
子どもの頃の記憶って、何歳くらいから始まっているのでしょうか?
麻疹になって辛くて、母親に連れられ病院に行ったら、腕じゃなくて、なぜかお尻に注射すると言われ、嫌だ、嫌だとジタバタ逃げ回ったとか(お尻の筋肉注射、ほんと痛かった)
幼稚園で『ネズミの嫁入り』の劇でチュー子さんの役をやって、綺麗な着物が晴れがましかったけど窮屈すぎたこととか
直接的な記憶はかなり覚えていて、それは、多分すべて 4歳くらいからの記憶
その前の3歳までの記憶は、まるで無し
だから、父親の自転車の後ろに乗せられて 出かけた時に 脚が後輪に巻き込まれて
右足の踵の横に今もひきつれの跡が残るくらいの怪我したことも、全く覚えてなくて
(痛かった記憶なんて残ってる方が嫌ですけど)
だいぶ成長してから、
姉が『あなたが3歳の時に自転車で怪我をした時は、ほんとにみんなびっくりしたのよ』と言われても、
『ふ〜ん、そんなことがあったんだ』くらい他人事
(そのことがトラウマになったのか、自転車に乗る事を暗に避けてきて、乗るのは確かに苦手です)
小学校に上がってからの記憶は、更に鮮明で
1年、2年、3年の時のクラス担任の名前や
仲良しだった双子の元ちゃん、直ちゃんの事とか、
帰り道、待ち伏せされて家まで着いて来られるのが嫌でたまらなかった極悪男子2人組のこと、
それが原因でしばらく登校拒否したこと、
校庭にある登り棒が大好きだったことなどなど
良くも悪くもたくさんの記憶に残っているのは、
私が小学1年から3年まで過ごした、埼玉県『川口市立並木小学校』
4年になる時に、神奈川県に引っ越しをしたので、
川口での思い出は3年生までしかなかったけど
人生を折り返し、時間も出来たことで、いつか行ってみたい、と思える場所の一つでした
幼少期からある程度の年になるまでずっと地元で関わって、幼馴染が多くいるという環境の人からすれば、学校、まして校舎なんて
見慣れた景色の一つなのでしょうが
長く離れてしまったからか、望郷の念が強まってきたのです
そんな懐かしさもあって
(話は遡りますが)
2021年4月に念願の小学校に行ってきたのです
川口駅から自宅があった場所まで、車ではなく敢えて思い出を振り返りながら歩くのは、とても、満ち足りた時間でした
当時 駅から歩くと 左にサッポロビールの大きな正門があり しばらく行くと 左に斜めに折れる道 折れた道の少し先が私の家、そのはるか先にはJR(当時は国鉄)線路が見えるという記憶
今はサッポロビールはなくアリオ川口という大きな商業施設になっているのは、Google mapで確認済み
自分の記憶と、スマホがあるので道に迷うことはありません
自宅から学校までは、10分ほど歩いた記憶
ちょっと距離がある?と行ってみたら まあ、なんて近いこと
2分足らずの場所に小学校はありました
実に半世紀ぶりの母校です
校舎はもちろん新しくなっているけれど、建物の配置、グラウンドは記憶そのもの
私が毎日 子猿のようにスルスル登っていた登り棒が、
なんと、同じ位置にまだ存在していました
(私の頃は、竹製)
グラウンドでは警察官による、自転車の乗り方講習までやっていて
私の時も、『これ、やったー』なんて ワクワクした気持ちで眺めてました
柵越しに眺めてる私だけがおばあちゃんになって
昔のままの学校にタイムスリップしたかのよう👵
まだまだコロナ禍で不自由な日々だったので
この日からしばらくは、ほんわかと気分良く過ごし、ブログにアップすることもなく 胸の中に収めていましたが
孫が小学校入学というタイミングと
3月に起きた事件で埼玉県川口市並木町が
ニュースとして全国区になってしまったのが、
ちょっと やるせなく 払拭する意味で 子供の頃の川口の思い出を文にしてみました