両国広小路は回向院の出開帳で大にぎわい。その中で倒れかかって浪人者の刀の鞘をつかんでしまったのは、行徳の塩問屋松葉屋惣吉の若旦那惣七だ。若旦那と番頭が浪人者に迫られ危ういところ、白扇を投げ浪人を追い払ってくれたのは勝小吉の息子麟太郎だった。お礼をしたいという惣七に麟太郎は団子一本もらえれば結構と断る。惣七はそれなら何かあった時、行徳の松葉屋を訪ねてくれと申し出て、麟太郎は団子一本くわえて二人は別れる。
    それから三十年ほど経った慶応4年3月、安房守となった勝麟太郎は山岡鉄太郎と話していた。鉄太郎は西郷と和平交渉にあたり戻ってきたばかりだ。勝は西郷の出した「慶喜を備前藩お預け」という条件が気に入らないという。大鳥圭介と話して同じ考えだったというのは、官軍が江戸に攻めてきたら江戸市中に引き込んで外から町を焼き払うという作戦だった。勝は既に新門辰五郎に頼んで江戸焼き払いの手はずを整えていた。
    問題は江戸の町人をどうやって助け出すかだった。茶受けに好物の団子一本を出された勝は松葉屋のことを思い出す。すぐさま馬で行徳に駆けつけた勝は、今や塩問屋仲間のまとめ役になっていた惣七に、安房上総の船をかき集めて江戸の町人を房総に運ぶことを頼む。さらに惣七に清水次郎長を紹介し伊豆相模の船もかき集められるように手配を頼む。惣七は快く引き受け、こうして官軍の攻撃に対抗する準備は整った。
   3月15日が江戸総攻撃の日と定まって、交渉にあたる西郷と勝。そこへ西郷の部下が飛び込んで来て海を指差す。小舟が舟揃いをするように江戸湾を埋め尽くしていた。江戸に煙が上がれば川を遡り江戸の町人を運び出す体制だ。西郷は勝の作戦を悟り総攻撃を中止し再検討を約束する。こうして官軍の江戸総攻撃は回避された。
    後日、駿府に赴く慶喜に従って行く勝を惣七が見送る。船頭らへの手当などで莫大な支出をした惣七に、勝は百両を例として差し出すが、惣七は受け取らず団子一本を求めたので、二人は笑い合う。