定本講談名作全集別巻(昭和四十六年二月二十日講談社刊)に「明治女天一坊」の記述があったので以下全文引用します。
    執筆者は中沢巠夫・佐野孝・大平陽介・一龍斎貞鳳・寶井馬琴(順不同)となっていて、監修に寶井馬琴・一龍斎貞鳳・木村毅・池田彌三郎の四名が名を連ねています。
    「名講談解題」の章の「明治物について」の第一項目に「明治女天一坊」とあり、217頁から218頁にかけての記述である。

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「明治女天一坊」
    この講談の主役は、青龍刀権次と振袖吉次、それに爆裂お玉の三人である。
    権次というのは幕末のやくざ者で、つまらぬ事から役人に捕まって伝馬町の牢に投り込まれ(ママ)、刑期を終えて娑婆へ出てみたら様子が一変、文明開化の世の中になっていて途方にくれる。この話が象徴しているように、維新この方、移り変わる新時代にウロチョロしている悪党、時を得顔の役人、花街の姐さんなどを廻り燈籠さながらに写し出し、明治の世相を描いたのが、この講談である。
    二代目松林伯円の作ということであるが門下の松林右円、悟道軒円玉などがこれを伝え、それから戦後没くなった(ママ)大島伯鶴が十八番物にして読んでいた。
    題名は「爆裂お玉」「青龍刀権次」などと時によって変えていたが、ザンギリ物の世話講談として出色の物である。
    明治十七年の正月、柳橋の八百松で今をときめく大商人たちの新年宴会、ひどく酔った三十余りの美男子、結城の上着に琉球の艶消しの下着、紺献上の帯、ななこの三ツ紋付の羽織、着物の裾の下からチラリと紺の甲斐絹のパッチが見え、白足袋をはいて金ぐさりを帯の間にぶら下げている。この旦那が川の見える座敷で一休みする。すると、座敷の唐紙を開けて入ってきた芸者、芸者島田に金足五分玉のかんざし、着物は西京お召の金とおし、唐じゅすの丸帯、髪のほつれがニ、三本、小柄の眼のさめるような美人、「さアあなた・・・」と何やら話しかけながら、旦那の寝息をうかがうと、帯の間から抜け出した、その頃流行りの形の大きな二重蓋、十八金側の舶来時計に手を伸ばした。とたんに眼を開けた旦那が、
「オイ、小玉、ふざけた真似をするない・・・」
   と人柄にもないドスのきいた声で咎めるのに、
「アラ、ちょいと、旦那、あなた見ていたの」
    と平気な顔で答える信濃屋の小玉という芸者、実は、これが女賊の爆裂お玉で、紳商になりすましていたのは、振袖吉次と二つ名のある盗っ人であった。
    この二人の仲人を勤めて(ママ)夫婦にしてやったのが、当時、日本橋橘町の唐物問屋英国堂の主人というのは表向き、一皮むけば背中一面に、関羽が八十二斤の青龍刀を小脇にかい込んで髯をしごいて仁王立ちという凄まじい刺青のある青龍刀権次、名題の悪党なのである。
    この三人が組んで悪事をたくらむ。
「今の世の中は凶器を用いて荒稼ぎをする時代じゃねえ、小玉を餌にして大仕事をしよう」と云う事になった。
    たまたま、鷲津侯爵家では十年ほど前、姫君を人さらいに連れて行かれ、今も、その行方を探していると知った三人は、小玉をその姫君に仕立てて乗り込ませ、家族社会で一番の金満家、鷲津家の全財産を奪おうと策謀するというのが「明治女天一坊」の大筋になっている。
    江戸の白浪講談を文明開化の世界に持ち込んだような話であるが、場面の変化に富み、人物、情景の描写が的確なので、
大島伯鶴の口演などは芝居さながらの面白さがあった。
    今の神田伯治がこれを伝えている筈である。
    なお、本筋とは関係のないことであるが、この講談では登場人物の衣装持物などを細かに述べている一方、柳橋、向島、団子坂の菊人形といった盛り場の情景なども生き生きと描写しているので、一種の文化史として眺めるのも興味あることと思う。
    同じく、伯鶴の十八番物に「返咲浪花の梅」というのがあって、これは白浪物とは逆の、立志伝的のものであるが、明治情調をうたいあげる点においては、これ以上のものはあるまい。愉快な講談である。