舟から上がり、甚兵衛を待たせて一人妻子の元へ雪の中を急ぐ佐倉惣五郎。
    家では妻子が惣五郎の帰りを待っている。妻おさんは「今頃旦那様は江戸で何をしておられようか?さぞご不自由されておられよう」と案じている。
    惣五郎はいっそこのまま会わずに戻ろうか?とも思ったが、このままでは妻子にも難儀がかかる、と思い直して妻のおさんを呼ぶ。おさんが出迎える。
    「江戸に出てあちらこちらに頼んでみたが上手く行かぬ。このままでは384ヶ村五万余の人々の命を救えない。来月二十日東叡山寛永寺への将軍墓参の行列に直訴する」と決意を明かす惣五郎。「六どきを過ぎれば舟を出せぬのに甚兵衛が封印を破って舟を出してくれた。甚兵衛も逆磔は免れまい。だがお前や子供たちに罪はない」と惣五郎はおさんに離縁状と子らへの勘当状とわずかな金の入った包みを渡す。
    「子供たちは水戸様のご領内にいる伯母に預ける。旦那様と共に」とすがるおさんに惣五郎は「泣いてくれるな。お前が泣けばわしの心も鈍ってくる。名残は尽きぬ。さらばじゃ」と出ようとする。
    だが「せめて乳飲み子の顔を見てやってくれ」との妻の頼みに応えて、赤児の顔に顔をこすりつけてやると火のついたように泣き出してしまい、他の子供も起きてきて「とおちゃま待って」とすがりつき「坊たちおいたしないからどこへも行ってくれるな」と頼む。さすが剛毅の惣五郎も迷うが、「もしもこの身が留まれば、五万に余る人々を救えない。それに比べれば我が子への思いは何ほどのこと。ここが我慢のしどころ」と惣五郎は家を飛び出す。次第に遠のく子らの声に「これがこの世の別れだ」と男泣きする惣五郎。
    惣五郎は六月二十日四代将軍家綱の行列に直訴し、五万に余る人々を救ったが自身は磔の刑に処せられた。
    たとえその身は朽ちるともその名は長くいつまでも。