呼び出された浅野家の家来たちが殿様から聞かされたのは、大石内蔵助が山鹿素行を赤穂へ護送することになったので話し相手を務める者を選ぶと言うこと。
    山鹿素行の門人が素行奪還を狙って襲って来ると恐れ、しかも昼行灯の内蔵助が責任者では、と皆が頭を下げて自分が指名されないよう願っている。ところが臆病者と評判の近藤源四郎は内蔵助と目が合ってしまい、話し相手に指名されてしまう。
    防備の軍勢など整えず、わずか50人の足軽を二班に分けて翌朝出発する。先頭の近藤が25人を率い、最後尾の駒に乗る内蔵助が25人を率いた。初日は銀座、新橋から品川、池上から保土ヶ谷を経て戸塚泊まり。大石の班は夕飯に酒が出てぐっすり寝るが、近藤の班は一睡もせず敵襲に備えぐったりして朝起きる。翌日は小田原泊まり。もう安心かと問う近藤に、内蔵助は出るなら箱根越えと悠然と答える。
    果たして箱根越えで山鹿の門弟300人が現れると、憶病者の近藤は逃げようとして落馬してしまい、足軽は逃げ出す。だが内蔵助は悠然と「各々方は何者?」と問うと「先生の門弟だ。先生の無実で、赤穂へ配流するなど以ての外。先生を放せ!」との答えが返って来る。
    槍を素行に突きつけた内蔵助は「山鹿護送の命は受けているが、門弟が出たら放せと命は受けていない。槍で突いて死骸にして渡そうか?」と言い、「無実だと言う先生をいずれに連れて行くのか?日本国中が徳川の領地で探し出されて捉えられれば先生に罪がつく。なぜ時節を待たないのか」と諭す。
    門弟たちは内蔵助を騙そうと最後の別れをさせてくれと願い出て、内蔵助は許す。この時内蔵助は懐剣に手をかけいつでも素行を刺せるようにしていたと言われるが、そんなことはない。そんな小さな肝っ玉では、後年大事は成せなかろう。駕籠から出てきた素行は、逃げるように言う門弟たちを「それでは内蔵助に対して礼儀知らずになってしまう」と叱り、別れを惜しんで門弟たちは去って行く。
    近藤は腰が抜けて動けず褌も濡らしたと言うので、内蔵助が槍で脅すと近藤は立ち上がり「腰が立った。大石殿は薬いらず」と褒めそやす。
    見事に内蔵助は山鹿護送を成し遂げるのだった。