飯岡助五郎は相州三浦の漁師の息子に生まれ、江戸の相撲を経て二十歳で九十九里の飯岡浜の漁師になる。網元半兵衛に見込まれ娘を娶って跡目となっただけでなく、銚子の木村屋五郎蔵にも目をかけられ博徒にもなり、関八州取締の銚子陣屋から十手捕縄も受ける。
    九十九里に流れて23年目の天保6年、飯岡浜の鰯漁船八艘が突風で沈み380人余りがなくなるという大事件が勃発。安房天津で知らせを受けた助五郎は急遽飯岡に戻り(ここは道中付けになっていた)、大方の葬儀を終えると後援者の鶴崎屋彦兵衛から道中差し一本を担保に二千両を借り、故郷の三浦で男手を集める。漁師としても後家対策としても400人近い男手が必要だったのだ。条件は半年分の賃金4両を先払いで支度金2両をつけ、女もつけるというもので、農家の次男三男を狙ったのだった。
    見事に男手を集め、船も新造した助五郎だったが、大きな借金を背負うことなった。そこで清滝村岩井滝不動の賭場の上がりに目をつけ、このシマを奪おうとして笹川繁蔵との争いになる。