宇宙根本原理の社会学 | ジャズと密教 傑作選

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空海とサイババとチャーリー・パーカーの出てくるお話です

とある女性市長が土俵に上げてもらえず、相撲協会に抗議し、協会は「伝統」を拠り所にこれを受け付けない。

市長側主張の論旨は「男女同権の原則に則った場合、女人禁制は差別に当たる」といったところだろう。この理屈は単純で分かりやすい。法律的にも国民の意識としても差別はよくないので女人禁制の伝統は撤廃すべきだ、と。

過去に何度も似たような事態は起こり、その度に女人禁制懐疑派から提示されてきた論拠というのはいつもこの程度の単純な理屈だった(と思う)。

単純だから悪いと言っているわけではありませんよ。分かりやすいということです。

一方で「伝統」となるとこれは一筋縄ではいかないのではないか。ただ大昔から続いているということだけを以って「伝統」を標榜しているわけではないはずである。

この女人禁制なる伝統が定着してきた経緯の背景にどのような哲学が隠されているか。そして、そんなものがそこにあるとしたら、それは我々凡夫が一朝一夕に掴み取ることのできるものではないように思う。

女人禁制に内在する精神性とはなにか。

・ひょっとしたら人間存在の根源的意味にコミットする営為的ななにものかをそこに見い出すことができるのかも知れない(←?)。

・ひょっとしたら宇宙真理の発露としての人間精神にまつわるなんらかの伏流がそこにはあるのかも知れない(←?)。

・ひょっとしたら大日如来曼荼羅の表現するところの五智から導き出される論理的帰結なのかもそれは知れない(←?)。

・などというよりそれは生物学的な性向分担の本質を指し示した概念であるのだろうか(←ほんとかよ)。

・もちろん、そんな人間と社会の本質に根差した意味合いなどまるでなく、その伝統の相承は男権論者の「女子供は引っ込んでいろ」という怒声に起因しただけのものだったのかも知れない。

・また、しかしながら、むしろそのひと言にこそ本来あるべき生成発展の本質を見るべきなのかも知れない。

実のところ、我々は女人禁制の持つ哲学的社会学的意味を深く正しく理解しているだろうか。現代の規範の中でしかものを考えない我々には俄かに考察の至らない命題だろうと思うがどうか。

先ずは情緒に陥らない研究や検証を広く為すことが必須なのである。

少なくとも、女性が発言力を増してきた社会の推移の中で結実した、たかだかひとつの価値観に過ぎない男女同権なる概念に思慮浅く寄り掛かるべきではない。

未だ我々は分かっていないのである。くれぐれも性急な判断はこれを控えるべきであろう。相撲協会にあっては「頑迷に」女人禁制を護り通さなくてはならない。