象徴の意味 | ジャズと密教 傑作選

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空海とサイババとチャーリー・パーカーの出てくるお話です

「天皇は象徴である」ということを知ったのは小学生の時だ。社会科の授業だっただろうか。拙くもその意味を考えたがよく分からなかった。

象徴なる語の持つ意味は分かったとしても「天皇が国民を象徴する」という一文として提示されると、途端になんのこっちゃ分からなくなる。

そして、未だどこからも誰からもわたしに答えは示されないままだ。長い時間が経ってなお、わたしはよく分からない。精神年齢は12歳で止まっている(ちなみに肉体年齢は○○歳。来季も現役として契約を更改しました)。

この8月に「お気持ちの表明」というのがあり、また、ここ数日の朝日新聞に論考が載った。

天皇陛下は「日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして※1」来た、とのこと。

また、即位時から「天皇としてできるだけ早く全国を回り、国民の生活に触れたい※2」という考えがあり、特に「日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて※3」来た。

それは被災地訪問にあって如実に結実していよう。そうして国民に寄り添い、国民のために祈る※4ことを象徴としての仕事・責務と天皇は捉え、実行してきた。

一方で憲法には「国民統合の象徴」とある。支配層の思惑や都合による意味付けがどこかにないだろうか。

精緻に構造付けされている憲法の中で天皇ご自身は象徴としての行為をそこ(上記)に見出した、と言うのは憲法学者の石川健治さん。12/23付BSフジはプライム・ニュースでの発言。

そして、同じ番組の御厨貴さんは象徴の意味は時代に応じて変わると言った。
なんだ、決まってないのかよ。

と、そんなわけで思考停止中の12歳でした。



※1・3 お気持ち表明より
※2   記事中、侍従長の表現
※4   祈りを鎮魂として重視するのは
内田樹さん