ぼくはみみずくん その11 かえるくんはどこから来たか | ジャズと密教 傑作選

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空海とサイババとチャーリー・パーカーの出てくるお話です

突然、かえるくんがにやりと笑う。「それは神の方法ではない」
「なんだって」
「シヴァ(作者注:ヒンドゥ世界における三大神のうちの一柱。創造・維持・破壊によって成り立つ宇宙観のうち破壊を担う)はもういない」
「かえるくん、君は・・・」

かえるくんは人類の利益を代表していたのではなかったのか。違うのか。いや、そんなことはない。どう考えても彼の言い分は人間社会の合理性に基づいている。

「シヴァがいないってどういうことなんだ」
「排除なんてしない。破壊する必要なんてない」
かえるくんは我々の前に立ちはだかった。我々は凍りついた。大地は鼓動を止めたかのようだ。

個我同士のせめぎ合い。その壮大な折り合いの力学から生まれる関係性。人類社会は「我執にまみれた人類のかつてなかった都合」に過ぎない。その本来ならあるはずのない理路に立脚したかえるくんの主張だったはずだ。

人類の我執に彩られて帰着し具体化したこの現代人間社会と、その人類の個我さえなければ寸分の混じりけもなく展開されたはずの至福の大自然世界。その大きな乖離が軋みとなってシヴァの破壊が今、起ころうとしている。

あくまでもその筋道にあっての「そこをなんとか」というかえるくんの人類を代表した哀願だったのではないのか。そうではなかったというのか。

では、この度のかえるくんの行動を裏付ける理路とは実はどんなものなのか。彼の哲学の地平とはいったいどのようなところにあるのか。

もはや我々には分からない。大地もそれを理解し得ない。
もし、我々のあずかり知らない、まったく新しい哲学をかえるくんが提示するなら、今ここにある大地も我々も今までになかった法則の下で働き始めなければならない。

あるひとつの法則を盛り込まれて誕生した宇宙はその生成の働きを一旦すべてやめて、新たな法則を一から受け入れることになる。そんなことが可能だろうか。法則に基づいて生成し続けてきた森羅万象が全く別の法則にそのまま組み込まれる。どうやって。

わたしだったらどうだろう。我が身に照らして考えてみる。そんなことができるだろうか。思いもよらないことだった。しかし、かえるくんはそれを示唆している。本当だろうか。