30年以上前のこと。

都内で4 t トラックで早朝、あちこち回る仕事をしていた。ルートは決まっていたが、あるとき、悪い心が起きた。


地図をみて、この道を通れば近いではないかと、勝手に、別ルートを通ろうとした。


踏切があり、その先がほぼ直角に右に曲がっている。通れるかな?と歩いて見てきてから、車を進めた。


30 m くらい進むと丁字路になり、左に曲がりたいが、狭くて曲がれない。

さがって踏切の手前まで戻るしかない。直角は一発では通過できず時間がかかりそうだから、上下両方向の列車が同時に通過するまで待ってた。


その後が一番長くあき時間があるから。

やり始めたが案の定、うまくバックできない。やりながら、「これで自分は一巻の終わりかな?」とか。


次の瞬間、思いついた。

列車止める❗️ と。


車外に出て、恥も外聞もなく叫んだ。

「お願い!誰か!非常停止ボタンどこ?誰か!

すると線路沿いのアパートの二階から女性が顔を出し、「そこに電話があるでしょう」


あったが、構内・切り替えとかボタンがあるが、どれを押すかわからない。


こんなもの❗️と投げ出して、列車が来るであろう方向に走りだした。下り方向だけふさいでいたから。


走りながら中学校の国語の本で読んだ、ガルシンの「信号」を思いだした。

あそこまではやらなくていいだろう。


数十メートル走ると次の踏切があり、警報器が鳴り始め、遮断機が下り始めた。走ってきたタクシーが停まった。


「すいません、非常停止ボタンどこ?」 


「何かあったんか。そこにあるだろ。」


あった❗️


押した。


ジャーン❗️


最悪の事態は避けられた。


走ってトラックのところに戻ると、上り列車が来て停まっている。

降りてきた運転手の名札も覚えている。


事情を話すと遮断機の竹竿をへし折ってもいいから車を踏切の外に出してくれと。


バリバリバリ。


そして遮断機が正常に作動するか確かめてからにしたかったが、列車が数珠つなぎになってたから、閉まりっぱなし。


折れた竹竿の中のヒモをナイフで切り離して、レールの横に置いた。


会社の或る管理職の自宅に電話した。当時は携帯電話はなかった。


その頃、私は自販機で飲み物を買う習慣はなかったが、その時は喉がカラカラに渇いたので、買ってのんだ。


少し話を、はしょるが、仕事が一段落した帰りにターミナル駅により、助役室に赴いた。

しこたまドヤサれると覚悟していたが、よく衝突を防いだと半分ほめられた。


非常停止ボタンが無くても代わりの装置があるかもと、保線の仕事をしている知人に

聞いたので、後で現場に行ってみたら、あった❗️


線路と平行に赤外線を4本くらい通していて

、それが遮られて一定時間が経つと、踏切内に障害物があると機械が判断するのだと。


業者は、それをレンズと呼ぶと。


だから、どうしてもという場合は、そのレンズに衣服とかを被せればよいと。


★その事故の日の夜、私は英国ロイヤルオペラ公演の切符(2万円くらい)を買ってあった。

無駄にしたくないので行った。


観ている間も、終わったあとラーメンを食べているときも、朝の事故(未遂)のことが頭にあり、心ここにあらずだった。


★踏切トラブルに関する一般的なことを述べる。

脱輪などして動けなくなったとき、遮二無二、車を出そうとしてはならない。私がやったように列車を止めることを考えるべきだ。


あと、踏切に車を入れたが前がつかえていて渡りきれないことがある。

勿論、渡った先に自車が入れるかを見定めてから進入すべきは当然だが、不運にして自車の一部が線路内に残った場合、こちらがトラックのときは前車を押して進め。


車両積載車の取説には、そう書いてあるそうだ。押して傷めた車は後で弁償すれば済む。

もし列車に衝突させれば脱線とか、悪くすれば死者が出る。


私が事故をやってから13年後に、西武線の埼玉県狭山市で、トレーラーの後部が踏切内に残っているところに列車がきて、脱線する事故が起きた。