私はこの幻想の世界で自分が欲しいと思うものを一生懸命手に入れようと努力してきた。

その中で手に入ったように見えるものも少なからずあった。

自分と向き合うことでいいことが起こり始めたように感じたし、人間関係も改善していったように思われた。

でも全てではなかったし、どんなに努力しても決して叶わない事もあった。

切り落とされた腕は生えてはこないのである。

 

コースに出会い、このエゴの幻想の世界でどんなに頑張ったって限界があるのを知った。

色んなことが合点し、腑に落ちた。

もしかしたらまだ個人的な夢を追っている人、もしくは違う意見の人からそれは私の言い訳だと言われるかもしれない。

でもそれはそれでいいのだと私は思う。

だって存在しない誰かが納得するんじゃなくて私が納得すればそれはそれでいいのだから。

 

重要なのはこの幻想の世界で成功することでも幸せになることでもない。

この世界は全て自分の罪悪感から始まった心の投影なんだと認識し、全てのエゴを解体し、聖霊の意識に変換し真に目覚めることなのだ。

 

起こる出来事、周りにいるように見える人、それらは分離して存在しているわけでなく全て自分の内側(心)の投影。

誰かを責めるということは自分自身を責めていることに違いなく、何かを恐るれるということは自分で作りだした罠にはまっているということなのだ。

それは時にそんなわけがないと思えるとようなことがらなのだが、無意識下のことなのだから仕方がない。

↑コロナとか

でもその無意識が目に見える、感じれる出来事として周りに浮かび上がっている。

エゴを解体するにはその自分が作り出した分離、出来事を使うしかない。

 

その一つ一つに意味を与えず、価値判断せず、恐れずただ受け入れて赦し、聖霊に委ねるを徹底する。

その先に唯一実在する天国への道が開かれる。

エゴを解体し全てを悟り、夢から目覚めるのである。