ある方の英検1級への試みを垣間見たんです。
その方は合格ぎりぎりだろうと何だろうと
受かればオッケー
というスタンスで非常にサッパリとした感じでした。
使用した教材も(私に比べたら)全然少なく(最高のコスパが目標らしく)、たとえば作文や二次試験のスピーチにさえそれほどエネルギーを注がずにちゃっかりと一発合格していました。
(ちゃっかりでも受かるところがすごいw)
二次試験のときの質問など、サンプルでは5つくらいあるのに、その方の場合、当日の試験で投げかけられた質問は2つだけ
それもどうやら回答も短めでサッパリ。
そもそもスピーチ自体が、2分の制限時間を過ぎて結末を即される始末(苦笑)。
やはり二次試験もギリギリで合格。
あ~、そんな軽い感じで要領よく英検を経験する人もいるのだなぁと。
(もちろん私には知る由もないその方の陰の努力というものがあるのかもしれないが)
別の方がうまいことを言っていました。
英語はアートだと。
だから効率だけを追うというのは必ずしもベストではなく、返って非効率になることもある、と。
(かなり意訳しちゃったけどw)
こちらはまたまた抽象的な表現だなぁと思うのだけど、要するに要領だけで計算できない世界がある、要領よくということだけにこだわると十分に味わえない醍醐味がある、ということかなと勝手に想像しました。
そして同時に英語をアート的にとらえる人と、データー的(ゲームの得点のよう)にとらえる人とが存在している気がしました。
そもそも英語に対するとらえ方がまったく違う。いいとか悪いとかじゃなく。
私の場合はもれなくアート派だろうなw
だから自分的には理解しがたいけれど、
英語=TOEICの点数
合格、はいスッキリ
次~~
みたいな感じでそれによって人生を左右されたりしないというか、(語弊があるかも知れないけど)それだけに思い入れも拘りも薄い目というか…そういう人々も確かにいる
もっと大事にしたいものが他にあるのでしょう。
自分は明らかにそういうタイプではなく英語自体に拘っていて、答えがでないようなものに対してあえて楽しんで答えを探そうとしているようなところがあるんで、これからもすったもんだして行くのでしょうな。
アッサリもありだし、熱血もありということで…
アッサリ派に熱血を無理強いすることなどできないから、やはり自分が集うことになるときには必然的に熱血タイプを引き寄せることになってしまうのかなと